3話
三話
私の正体を証明することはできない。
黒魔術によって入れ替えられた魂を入れ替えなおすことはできない。
黒魔術が行われたことを証明することもできない。
(どうしようもないじゃない……)
手のうちようがなかった。
(どうしたって……『エリーゼ』には戻れない……)
脳裏に浮かぶのは父上と母上、それに親しい侍女たち、そして…
(皇太子様…カイロス様とも……)
シャルロットのままでは、結婚どころか会うことすらできない。
再びベッドに寝転がり、手で顔を覆えば、自然と涙が溢れる。
(こんな……こんなのって……!)
悲しくて、悔しくて、寂しくて……複雑な感情のままに涙が流れる。
そうして、ひと時も過ぎれば、溢れた感情も落ち着いてきた。
起き上がり、これからどうするのか考える。
そして、一つの結論を出した。
(『エリーゼ』は……もう、いない…)
『エリーゼ』として生きること、それをもう諦める。
そして、これからは新たに『シャルロット』として生きていく。
だけど、この『シャルロット』はこれまでの『シャルロット』じゃない。
そもそも、私はシャルロットを知らない。
知らないのだから、シャルロットにはなれない。なる気も無い。
『シャルロット』だけど…それは『私』。
『私』という『シャルロット』。
それがこれからの私。
「ふぅ……」
改めて部屋を見渡す。
いたるところに置かれている調度品は人目で高級品と分かるが、それにしたって種類も置き場所もまるででたらめだった。
ただ高級品だけを買い漁った様な…はっきり言えば下品な部屋だ。
(この部屋も私のもの……なら、こんなものは要らないわ。片付けちゃいましょ。
そして……それから……それから、どうする?)
『エリーゼ』であったときは、未来の王妃として必要な教養、人脈作りのための茶会・夜会への参加等、様々なことを日々行っていた。
けれど、今はそれはもう無い。
今の私はただの伯爵令嬢。未来の王妃でもなんでもない。
……婿は父様が探してくれるというけれど、できれば自分で選びたいと思っている。
皇太子であるカイロス様とは政略結婚ではあるけれども、それでも互いに愛があったと思っている。
カイロス様と茶会を楽しんだ日、遠乗りで出掛けた日、そして手を取り合って踊った夜…
「うっ……ぐすっ……」
また涙が溢れそうになる。
もうそれは…二度と無い。
無いのだから……
とにかく、婿を自分で選びたい。ちゃんと、愛する人と。
愛する人と過ごす日々がどれだけ素晴らしいかを、知ってしまったから。
そのためには、茶会に、夜会に、人前に出なければならない。けれど…
「この身体じゃねぇ……」
姿見の前に立ち、今の私の姿を見直す。
とにかく肉、肉、肉……
指差されて笑われそうなこの醜い身体。
こんな身体で人前になんて出れるわけが無い。
「まずはダイエットね」
かつての『エリーゼ』の身体にする。
既に身長が足りてないけど、このはみ出す肉を無くさないことには話にならない。
「それに……禁止令を解いてもらわないと」
皇太子様とロトール家に禁止令を出されているままでは、今の私はとんだ不良物件だ。
どんなに自分を磨こうと、王家と公爵家に忌避されているような者を受け入れる貴族などいない。
ロトール家に関しては、あくまでも婚姻の邪魔になるという理由付けだから、婚姻が終われば解除される、と思う。
問題は皇太子様のほうだ。
禁止令が出ている理由が2年前になにかやらかしたことだから、それをなんとかしなくてはならない。
婚姻が済んだあとでもいいから、なんとかして直接会って謝罪する。
代理人で謝罪をしたところで、全く取り合ってくれないだろう。
皇太子様は、誠意を見せればそれなりに考慮はしてくれる。
直接謝罪するには…一時的に会うことの許可をいただかないといけない。
その許可は、父様にお願いするしかない。
けれど、父様はその許可をいただくこと自体を拒むかもしれない。
皇太子様に接触するなと禁止令を出された令嬢がいるのだ。下手をすれば、家を取り潰されていたかもしれない。
それなのに許可をいただくなど、戯言を抜かすなと今度こそ取り潰される。
それでも…それをしない限りは先に進めない。
そして、そのためには覚悟が必要だと。
「…シャル、それは本気で言っているのかい?」
「はい」
父様の書斎で、私は父様に皇太子様への謁見の許可をいただきたいこと、謝罪をしたいということを伝えた。
それに対する父様の表情は渋いものだった。
「2年前…あれだけのことをしてしまった。今こうしてトワイライ家が存続していることが既に温情だということを分かっているのかね?」
「それは……」
(あれだけのこと……一体『シャルロット』は何をしたというのかしら…?)
「まして、あの件はロトール家すら敵対させてしまったのだ。昨日まで何もなかったことのほうが不思議なのだぞ」
(ロトール家とも…?)
まさかロトール家も関わっていると思わなかった。
いや、ロトール家が関わっているなら、私も知っているはず…
(あ……そうだ、あの夜会で)
そこでようやく私は思い出した。
2年前の夜会での出来事を。
あれは王城主宰の夜会でのこと。
婚約者であるカイロス様と私は連れ立って挨拶をしていた。
そこに突然、ずいぶんと太めの令嬢が現れた。
その令嬢は婚約者の私がいる前でカイロス様へ求婚を申し出たのだ。
もちろんカイロス様はそれを断り既に婚約者がいることを告げると、今度は隣にいた私に対して「婚約者にふさわしくない」などと暴言を吐かれた。
それに怒ったカイロス様が、その場で令嬢を退席させた。そして以後、二度と接触することを禁止した。
何故今まで忘れていたのだろうと考えれば、そんな令嬢よりも滅多に怒らないカイロス様が怒った方が衝撃的で、令嬢のほうはほとんど印象に残らなかった。
それに暴言のほうも、あのときのように直接言われることはないが、陰で言われていることは知っていたから、今更気にするようなことでもなかった。
全く余計なことを…と思い出して内心愚痴るも、それこそ今更どうにもならない。
「重々承知しております。ですが、その件について未だ一度も謝罪をしていないこともまた問題だと思います。それにこのままでは、謝罪一つしない令嬢と、それを抱える家、今後ますます状況は悪化するでしょう」
「それは…そうだが……」
「今は…私はただのお荷物です。少しでも、何かしなければ…」
「………………」
「父様……何卒」
頭を下げる。
その私の行為に、父様が息を呑むのがわかった。
「……シャル、お前は一体どうしてしまったのだ?」
父様の口からそんな言葉が漏れた。
当然だろう。少なくとも私が思い出せない程度には『シャルロット』はロトール家に対して何もしてこなかった。おそらくさきほどの侍女の言葉通り、ずっと引きこもっていたのだろうから。
それがいきなり部屋を出てたと思えば、謝罪をしたいと言い出した。
疑問に思うのは当然だ。
もちろん、それに対して「中身が別人だから」などと言えるわけが無い。
「…父様の言葉に、ようやく身の程を理解しただけです。私ごときが、皇太子様と結婚などとおこがましいと。そして、このままではいけないと」
「…………」
「父様…」
「…だが、お前は今の自分の姿を分かっているのか?そのような姿で、皇太子様の前に立つつもりか?」
「わかっております。ですから…」
私は一呼吸置き、覚悟を口にする。
「1年…1年でこの身体を人前に出しても恥ずかしくないものにします。そして…夜会で、皇太子様へ謝罪させてください。もし、1年経ったときに人前に出せるものではないと父様が判断したなら、そのときは家を出ます」
「何!?」
これが覚悟。
1年で、この脂肪だらけの身体を解消する。
そして、夜会という多数の貴族の前で皇太子様へ謝罪する。
それが出来なければ、家を出る。
「本気……なのか?」
「本気です」
父様と、目が合う。
その目は、本当に本気なのかと問いかけるようで、それでいてどこか寂しそうだった。
「……わかった。皇太子様への謁見はなんとかしよう」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、皇太子様へお見せできる身体にできなかったときは…」
「わかっております。自身の言葉を、違えるつもりはございません」
父様の書斎を出た。
もう、後戻りは出来ない。するつもりも勿論無い。
あとはもう突き進むだけ。
(まず、すべきことは……)
廊下の先を見やる。
「食事の量を減らしてもらいましょう」
厨房へと向かうのであった。