24話
「なん…で……」
目の前の光景に頭がついていかない。
ナイフを持ち、そのナイフで皇太子様を切りつけた偽エリーゼ。
何故、あれほどまでに固執していた皇太子様を傷つけたのか。
「貴様…ぐっ!」
「皇太子様?!」
突然こちらにもたれかかる皇太子様。
なんとか力を入れて支えるが、徐々にこちらに掛かる重さが増している。
顔は青褪め、身体全体が震えている。
「くそ……毒…か」
「毒ですって!?」
その言葉を最後に目を閉じ、完全に倒れこんでしまう。
支えきれず、膝をつかせてしまう。
「うふふふ、これでもう皇太子様はおしまい。あとは…」
偽エリーゼのもつナイフが私へと向けられる。
「あんたを殺して、私と皇太子様は天国で結ばれるの。あんたは地獄で永遠に苦しめばいいわ」
「なんですって……」
一体この目の前の女は何を言っているのか。
こちらを睨みつける眼光は恐ろしく冷たい。光を灯さず、これが生きている人間の眼なのか疑うほどに。
「ふざけないで!皇太子様を死なせはしない!」
目を閉じてはいるがまだ呼吸はある。
どんな毒を盛られたかは知らないが、一刻も早く医者に診せなければ。
「ふざけてるのはどっちよ。せっかく身体をあんたから奪ったのに、周りはどいつもこいつも私と皇太子様を認めない。可哀想な皇太子様はそんな連中のせいで私と一緒にいられなくなったのよ。だからその迷惑な連中がいない天国で、私と皇太子様は結ばれるのよ」
(……狂ってる)
そう表現する以外に当てはまる言葉が見当たらない。
私と身体を入れ替えたことさえなんでもないことのように話し、皇太子様の意思を無視し、挙句天国などと不確かなものに縋る。
そのために皇太子様を殺す。
殺人すら厭わない、正気とは思えない彼女とこれ以上の言葉は意味が無い。
すぐにでも皇太子様を医者へ連れて行かなければならない。
けれど、今この目の前にいる偽エリーゼは、今度は私を殺そうとその毒のナイフを向けている。
どうすればいい?
答えは出ている。偽エリーゼを排除する。
だが、その排除とは何を意味するのか。
行動不能になる程度に傷つけるのか、それとも……殺される前に殺すのか。
結論を出そうにも時間は無い。
皇太子様をそっと床に寝かせ、すぐさまナイフを抜く。
「足掻こうとすんじゃないわよぉぉ!!この糞女ぁぁぁぁ!!」
ナイフを持った私がよほど気に食わないのか、激昂しこちらに向かってくる。
だがその動きは、私の眼にはあまりに緩慢に見える。
見える手足の細さが、明らかに必要なはずの筋肉を失っている。
「たああああぁぁぁぁ!!」
ナイフの振り下ろし。
明確な殺意。
訓練の棒ではない、殺傷武器。
一掠りしただけで倒れるほどの毒。
万が一でもよけ損ねれば、死は免れない。
その緊張が、簡単に避けれるはずのナイフを大げさな動きでの回避に変えてしまう。
「あはははぁ……ふふふ、怖い?ねぇ怖い?怖いわよねぇ。だぁって……当たったら死んじゃうものねぇ!」
私の動きを怯えと判断し、愉快そうにナイフを振るう。
当たることはない。
けれど、このままではいけない。
視界に映る皇太子様はピクリともしない。
このまま避け続けて、援軍を待つ。
そのための回避術。
けれど、今この状況での援軍が来れる可能性は限りなく低い。
(覚悟を……決める!)
攻撃する。
そのために、相手の間合いへと踏み込む。
ティーラからは、確実に避けるために自ら相手の間合いに踏み込むなと言われた。
けれど、それじゃあダメ。
どこを攻撃するか。
致命傷となる箇所への攻撃はしない。
まだ私にそこまでの覚悟はないし、万が一でも躊躇えばそこで終わりだ。
怪我に留めて行動不能にする。
狙うは、ナイフを持った利き腕の肩。
ナイフを振るった後の隙を狙う。
プロでも、慣れてるわけでもない偽エリーゼのナイフは大振りしかない。
隙は大きく、立ち直りも遅い。
「この……いい加減に当たりなさいよぉぉぉぉ!!」
上からの大振り。
それを訓練と同じく、最小限の動きでかわす。
目の前を毒のナイフが通過した恐怖を押さえ込み、無防備となった偽エリーゼの肩へとナイフを突き立てる。
軽く、切ることに不向きなナイフだけれど、柄に手を押し当て、押し込むようにして体重を加えた突きなら話は別だ。
ドレスを貫き、その中にある肉へと突き刺さる。
「ぎゃああああああああああああ!!!」
突き刺した場所からドレスに一気に血がにじんでいく。
同時に軽い金属音が聞こえる。
偽エリーゼの手からナイフが床へと落ちていた。
すぐさまナイフを抜き取り、バックへと距離をとる。
「はー…はー……これで、もうナイフを握れないでしょ」
初めて人の身体へとナイフを突き立てた。
致命傷となる傷ではないけど、想像以上の緊張と興奮が鼓動を早く、呼吸を荒くさせる。
肩から流れ出た血が腕を伝い、手から床へと落ちていく。
肩を押さえても、決して浅くない切り傷はそれで血が収まることはない。
「痛い…痛い……痛いじゃないのおおおお!!」
こちらを睨みつけると、反対の腕でナイフを取った。
(まだやるの?!)
その執念に驚嘆するが、痛みのせいか明らかに鈍った動き。
まるで勢いの無い振り下ろしを避け、今度こそナイフを握れないよう、反対の肩へと再びナイフを突き立てる。
「あがああああぁぁぁぁああ!!」
耳元での絶叫に顔を顰めてしまう。
またナイフを落とす音が聞こえ、痛みで立つことすらできないのか、偽エリーゼはその場に座り込んでしまった。
「殺す!殺す!殺す殺す殺す殺すあんたなんか殺してやるううぅぅぅぅぅ!!」
どんなに叫ぼうとも肩を刺されて腕が動くことは無く、毒のナイフは床に転がったまま。
これでもう動けないはずだ。
しかし、遠くから誰かが駆けてくる音が聞こえる。
音は徐々にこちらに近づいてくる。
未だ周囲の剣戟音は止んでいない。
援軍となる騎士なのか、それとも闇ギルドなのか。
…後者なら、覚悟を決めるしかない。
私の体重以上の皇太子様を連れて早く移動は出来ない。
まして、皇太子様の身体からは完全に力が抜けているのだから、平時なら支えることもできない。
けれど、今はそんな甘えたことは言ってられない。
肩に腕を回し、脚に力を込めて皇太子様の身体を支え上げる。
「ぐ………はー……はー……」
「逃げようとするんじゃないわよぉ!殺す!殺してやるんだからぁ!!」
全身に力を込めないと姿勢を維持することすらままならない。
一歩踏み出すのだってやっと。
しかし駆けてくる音はすぐそこまできている。
(…やるしかない)
再び皇太子様を床に下ろし、ナイフを手に取ると、音の方向に構える。
迫る足音。
極度の緊張にナイフを持つ手が震える。
血に濡れたナイフが更に緊張を煽る。
足音が止まり、その主が姿を現した。それは…
「父…様……?」
「シャルロット!」
「何故、ここに…?」
「避難したはいいが、君の姿が見えなかったからだ。まさかと思ったがまだここにいたなんて…」
足音の主は父様だった。
「父様!!」
偽エリーゼから発せられる言葉。
それに父様もそちらに目を向ける。
両肩から血を流し座り込む偽エリーゼと、血に濡れたナイフを持って構える私。
「これ…は……」
目の前の状況に混乱している。
当然としか言いようが無い。
「…彼女が、本物のシャルロットです。そして、皇太子様を殺そうとしました」
「何だと…!?」
「父様!私のことが分からないのぉ!?」
例え、『エリーゼ』のことを知っていたとしても、今の彼女はそれにすら当てはまらない見た目だ。
精々同じなのは金髪であること。それすらも今はくすんで、かつての輝きは無い。
「…本当に、『シャルロット』なのか?」
「そうよ父様!私よ、シャルロットよ!わかるでしょ!?」
偽エリーゼを見る父様の目には疑いの色が強い。
しかしそれでも一歩、また一歩と偽エリーゼに近寄っていく。
「もっと近くに来なさいよ!全く、相変わらず役に立たないわね!」
「…すまないね、シャル」
娘が父に発する言葉とは思えない。
しかし、それが彼女なのか、シャルロットではなくシャルと呼んだ。
一歩、一歩近づき、ついに彼女の目の前に跪いた。
「ほら、そこのナイフを拾いなさい!そしてそこの忌々しい娘を殺すのよ!」
「なっ……」
娘の言葉に驚愕する父様。
「シャル……君は自分が言ったことの意味を理解しているのかい?」
「わかってるに決まってるでしょう!?なんなのよ、さっさと殺しなさい!」
「何故だ……身体を奪っただけではまだ足りないというのかい?」
「はっきりわかったのよ、生きてる限り邪魔なことがね!あの娘を殺して地獄に送り、私と皇太子様は天国で結ばれるのよ」
「…………」
父様にすら一切誤魔化すことなく最悪のことを喋り、挙句その片棒を担がせようとする偽エリーゼ。
「………シャル、君は……」
「いつまでそうしてるのよ!早くやりなさい!」
「……わかった」
「えっ………?」
父様の言葉にこちらが驚かざるを得ない。
わかったって?それってつまり…
ナイフへと近寄り、床に転がったままのそれを手に取る父様。
「それには毒が塗ってあるの!一刺しでもすれば殺せるんだから!早くしなさい!」
「毒…」
「父…様…」
そのままこちらに顔を向ける。
その顔は、笑っているようで、泣いているようで……
「すまなかった、シャルロット。本当に…君には迷惑を掛けてばかりで」
「父様…」
そういうとそのまま今度は偽エリーゼへと歩み寄る。
その行動に再び偽エリーゼが激昂する。
「こっちに来てどうするのよ!さっさと殺しにいきなさいよ!」
「シャル……」
娘の前で跪くと、血に塗れた娘を抱きしめた。
「ああああぁぁぁああああああ!!痛い痛い痛い痛いぃ!放せぇぇぇぇーーーーー!」
抱きしめられて傷が開いたのか、偽エリーゼから悲鳴が上がる。
「シャル……」
「放せええぇぇぇぇ!本当にお前は使えない…!」
「君は……やりすぎたんだ」
「何を言ってるのよぉぉお!!あああぁぁあああ!!」
「だから………」
父様のナイフを持った手が動く。ナイフの切っ先は偽エリーゼに向けられていて…
「もう…君にこれ以上罪を重ねて欲しくないんだ」
「あ…あああ…あああああああああああああああああああああああああああああ!!」
毒のナイフが、偽エリーゼの胸に突き立てられた。
「抜いて!早くぅ!はや、早く!!」
「毒が塗ってあるんだろう?もう、抜いても遅いさ」
「ああああぁぁぁああああああ!あああ………あああ…ああ………」
皇太子様よりも深く切られたせいか、もう既に毒が回り始めているようで父様にもたれかかる偽エリーゼ。
「なんで、わた……し…………の…おも…い………ど……りに……」
そのまま目を閉じた。もう、その目が開くことは無いのだろう…
「父様……」
「……………」
動かない娘を抱きしめる父様。
その姿は………見ていられないくらいに悲しくて……
「シャルロット……いや、エリーゼ嬢。本当にすまない」
「……何故、あなたがシャルロットを」
もう『シャルロット』ではなく『エリーゼ嬢』と呼ぶ父様…いや、トワイライ伯爵。
「何かを間違えた……ただ、大切にしてきただけなのに…亡くなった妻の忘れ形見として…ただ一人の娘として……」
「…………」
あえて聞くことはしなかった。
あの屋敷に、母親の姿がなかったことに。
「これは……私の責任なんだ。どうしようもない…償い切れない罪を重ねた娘を育てた、ね…」
「ですが……」
「だけど、シャルは寂しがり屋だから。あの世で妻が待ってくれていればいいけどそうないなら…」
シャルロットに刺さったままのナイフを抜き取る。それを逆手に持ち…
「何を……!?」
「僕が、一緒に行ってあげなきゃいけないんだ」
娘にしたように、自らの胸にナイフを突き刺した。
「!!」
「来るな!」
駆け寄ろうとした私を、トワイライ伯爵は手で制する。
だが、その手は徐々に下がっていく。
「皇太子様は…毒に…やられてるんだろう……なら、君は急ぐべきだ」
「です…が……」
「娘がこんなことを…した…罪……は……僕…も………償う……ん…だ…」
そのまま、ゆっくりと、倒れこむトワイライ伯爵。
娘に覆いかぶさるように、もう放さないように……
滲む視界を袖で拭い、再び皇太子様を支え上げる。
「行かなきゃ…!」
もう、猶予は無い。
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