23話
いよいよ国王生誕パーティーを前日に控えた今日。
皇太子様の婚約者として最終調整をしていた私のもとにエリル様が訪れた。
「悪いね、今ちょっといいかな?」
「はい、大丈夫です」
私よりも皇太子様の補佐としてのエリル様のほうがずっと忙しいはずだ。
そんな中で訪れてきたというのに断ることはできない。
連れられるまま、執務室へと向かう。
「来てくれたか」
そこにはもちろん皇太子様がいたが、多忙ゆえか、わずかにこちらに視線を寄越しただけですぐに手元の書類の処理を始めた。
「僕もあまり時間無いから率直に言おう。ギリアを捕まえた」
「まぁ」
以前に私を襲撃してきた張本人。
それがようやく捕まったということにほっとした。
しかし、すぐにエリル様の表情が決して事態が片付いたとはいえないことを物語っていることに気付いた。
「……捕まえたんだけどね、少し状況がおかしいんだ。まず本人がやたらと怯えている。ちょっとした物音にすら過敏に反応するほどにね。それに、持っていったはずの金目のものも、引き連れていたはずの部下も無く、たった一人で身一つでいたところを捕まえたよ」
「……物盗りにでも遭ったのでしょうか?」
金目のものを持っていたのだから、被害に遭ったとしてもおかしくはない。
部下がいないのも……もしかしたら部下を見殺しにして自分だけ逃げたのかもしれない。
「それで、少し尋問したんだ。そうしたら割りとあっさり吐いたよ。…彼の目的は、黒魔術で君を自分のものにするつもりだったようだ」
「なっ…」
「………」
驚く私に、皇太子様も苦々しい表情を浮かべていた。
けれど、と思う。すでに黒魔術を受けている私にもう黒魔術は効かない。
「まぁ君にはもう黒魔術は効かないから、捕らえられたとして黒魔術の被害に遭うことはない。とはいえ、その場合別の手段をとられたかもしれないから、捕まらないことに越したことは無いけどね」
「そう……ですね」
「そして、ここからが本題だ。何故ギリアが黒魔術を知っているのか、結論を言えば、偽エリーゼに関わっている人物と同じ人間が関わっている」
「………」
黒魔術、と聞いた時点でそんな予感はあった。
しかし一方で、何故今ギリアという男はそんな状況にあるのか。
一度目は失敗し、二度目は部下が先走って捕まってしまった。
本当に物盗りにでもあったのだろうか。
「どうやらあっちは資金集めに躍起になっているようで、当初は金さえ出せば黒魔術を使わせる気だったようだ。けど、それの対象が君だと知って態度を変えたそうだ」
「効かないから、ですか?」
「だろうね。過去の事例だと、黒魔術に必要な触媒は相手に効く効かないに関わらず消失するんだ。それに、触媒自体もかなり貴重品だから高価。それが分かっていて使わせたくなかったんだろうね」
「ですが、お金は払っていたのですからなにも…」
お金を払った時点で契約は完了し、誰相手に使っても、仮に失敗したとしても関係ないはずだ。それが何故…
「…相当切羽詰ってる、というところかな。やっぱり闇ギルドが関わっていて、あっという間に部下は皆殺し、金目のものも黒魔術に必要なものも全部奪われて。命からがら逃げてきた、というのがギリアの状況さ」
「……ひどい」
「ひどくなどない。自業自得だ」
皇太子様の怒気を孕んだ声。
確かに自業自得といえばそうなんだけども…
しかし、だからこそ気になることもでてきた。
「…何故ギリアだけ助かったのでしょう?部下は皆、殺されて…何があったのでしょうか?」
「……伝言だ」
「えっ?」
「やつら、ギリアを伝言に使ってきた。『王家皆殺し』…だとさ」
「………」
王家皆殺し……常軌を逸した発言に言葉が出ない。
それは王家を…国そのものを敵に回す発言だ。
「先日の襲撃で、闇ギルドが集団で行動していたよね?あれも金にものを言わせていたとすれば納得がいく。個人主義って言ったけど、要は金で動く連中なんだ。金さえあればいい」
「ですが…お金だけで国を敵に回すなんて…」
「闇ギルドに所属するような連中に、誰が敵かなんて関係ない。金さえもらえれば王族も殺す、それがやつらだ」
金だけで国を敵に回す組織。
そんな組織を使ってまで、王家を殺すというのか。
「何故ですか……何故そこまで王家に恨みを…」
以前の話では、ただ黒魔術の研究をもっとしたいだけなのを禁止されただけ。
それなのに、それが王家皆殺しにまで至る、その理由がわからない。
私の言葉に、エリル様が大きく息をつく。
「さぁ……それほどまでに彼が黒魔術に執着していた、ってことなんだろうけど、そればっかりは本人じゃないとわからないね。ただ……」
「…ただ?」
ちらりとエリル様はこちらを見た。
「…いや。とにかく、これは大きなチャンスでもあるんだ。逃亡者を捕らえ、この国に巣食う、文字通り闇の連中を始末する絶好の、ね」
「そうだな」
エリル様の言葉に皇太子様もうなずく。
「ここまで堂々と宣言された以上、絶対に退く訳にはいかない。明日のパーティーをやつらの命日に変えてやる」
「意気込むのはいいけど君が突っ込まないでね。やるのは僕らの役目だ」
臆することなく、明日を見据える二人。
その姿に頼もしさを感じる反面、どうしてももしかしたら…を考えてしまう。
部屋に戻り明日の準備を再び始めるも、落ち着かない。
そっと胸元のガーネットのネックレスを握り締めるけれど、今は輝きは無い。
机の上に置かれたナイフを手に取る。
未だこのナイフで何かを切ったことはない。
鞘から抜き、刃を前にして、もしこの刃を人に向けたら…と考えてしまう。
明日のパーティーではこれ以上ないほどの厳戒態勢が取られる。
そんな中を、いくら闇ギルドといえど突破してくることなどできるはずがない、
けれど、もし突破されたら?
そのときは、このナイフを手に私も戦わなければならないかもしれない。
場合によってはこのナイフで相手を傷つけることも…
しかしそこで訓練中のティーラの言葉が蘇る。
『どうしても相手を傷つけるときは、絶対に躊躇ってはいけません。躊躇いは最悪の隙を生みます。躊躇いが生死を分けます。絶対ですよ』
躊躇ってはいけない。
果たして、それが私にできるのか……その覚悟は、無い。
相手の身体にナイフを突き立てる、その想像ができない。
それすらできないのなら、いっそのこと回避に専念すべきだ。
ナイフを鞘に収め、またガーネットを握る。
(どうか……明日を、みんな無事で……)
大勢の貴族達が集まる国王の生誕パーティー。
王城の中庭で行われ、それを囲むように多数の騎士と衛兵が配備されている。
国王の言葉が終わり、いよいよパーティーの開始となった。
「シャルロット」
「父様」
皇太子様と次々に挨拶に来る貴族の応対をしていたところにトワイライ伯爵が来た。
「襲撃事件があったそうだね。……元気なようでなによりだ」
トワイライ家には闇ギルド襲撃事件以降、帰宅していない。
その間はトワイライ伯爵とも顔を合わせていなかった。
「はい、ティーラが守ってくれましたから」
「それはよかった……」
私の顔を見て安心したのか、安堵の表情を浮かべている。
「まだ……しばらくは帰れないのか?」
「…はい、解決するまでは」
「そうか…」
「大丈夫です。もうすぐ…帰れるようになりますから」
「分かった。待っているからね」
そう言って他の貴族のもとへと向かった。
入れ違いに父上…ロトール公爵がこちらに来た。
「…話は聞いている」
私にだけ聞こえるように、そっと耳打ちしてくる。
今日の襲撃予想のことだろう。
「やれることはやれと言った。だが無理はするな。お前が傷付けば皇太子様も…私も悲しむ」
「はい……」
気付けば、ドレスに隠したナイフを握り締めていた。
パーティーが進み、いよいよダンスタイムになろうとした時。
ついにその時は訪れた。
甲高い金属音と同時に怒声が響き渡る。
瞬時にそれは会場の周囲を覆うようにあちこちから聞こえてくる。
闇ギルドが攻めてきたのだ。
「うろたえるな!」
陛下の一喝に慌てふためき始めた貴族達も落ち着きを見せる。
だが、止まない剣戟音と怒声・悲鳴にその落ち着きも幾分も持たない。
「シャルロット」
皇太子様に引き寄せられ、その背にかばわれる。
それでは、いけない。
私はナイフの柄に手をかけ、いつでも抜けるようにしつつ、かばわれた形から、皇太子様の隣に立つ。
「なにを…」
「言ったはずです。あなたと共に在る、と」
だが、なかなか収まらない騒乱に、徐々に不安が心に溜まりはじめる。
(大丈夫……ティーラだっているんだから)
常に背後に控えていたティーラは今はここにおらず、周囲の警護に回っている。
それにエリル様も指揮をとっている。
万全の体勢。
そのはずなのに、いつまでたっても剣戟音は止まない。
悲鳴は聞こえるけれど、それは果たしてどちらのものか…
突如、ひときわ響き渡る剣戟音。
音の方向に目をやれば、そこには騎士と何者かが剣を交差させていた。
突破された。
その事実は、一瞬にして会場の混乱を招いた。
我先にと逃げ出す者が、転び、踏みつけ、外へ逃れようとする。
だが会場より一歩外へ出れば、そこは騎士達と闇ギルドが剣を交える場所。
巻き込まれれば命は無い。
一箇所突破されればまた一箇所、一箇所と突破され、最終防衛として配備されていた騎士が応戦していく。
「皇太子様!これ以上ここにいては…!」
彼らの目的は王家。もちろん皇太子様も含まれる。
見れば陛下も王妃様も避難したのか姿は既にない。
皇太子様も避難するべきだ。
「ダメだ。俺はここにいなくてはならない」
「なっ!?そんな、危険すぎます!」
「俺まで避難すればやつらは目標を見失い、撤退する恐れがある。俺はここで待つ」
「それ、って……」
彼らを退かせないための……囮。
「シャルロット、君は避難しろ」
「イヤです!」
そんな命令聞けない、聞きたくもない。
何故、そんな大切なことを、危険なことを話してくれなかったのか問い詰めたいが、もはや状況は刻一刻と危うくなっている。
もう周囲に貴族はほとんど残っておらず、最終防衛のはずの騎士のほとんどが応戦している。
「ちょうどいい。あそこに逃げ遅れた令嬢がいる。彼女と一緒に逃げるんだ」
見れば、立ち竦んで動かない令嬢が一人いた。
恐怖で動けないのか、どうしてなのかわからないけれど、だからといって皇太子様と離れるわけにはいかない。
けれど彼女を放っておくわけにもいかない。
「すぐに…すぐに戻りますからね!」
一旦彼女を会場の外へと避難させ、すぐに戻る。
そう決めると周囲を警戒しながら、皇太子様と一緒にその令嬢へと近づく。
「そこのあなた!もうここは危ないわ、私と一緒に…」
「危ない!」
令嬢へと手を伸ばしたら、突然皇太子様に庇われるように引き寄せられた。
「くっ…」
苦悶の表情を浮かべる皇太子様に、一体何が起きたのか分からなくなる。
しかしよく見れば、皇太子様の手に一筋の赤い線が走り、そこから血が流れていた。
「皇太子様!」
どうして、何があったのか、どこから攻撃されたのか、その答えは目の前にあった。
「なん…で……」
助けようとした令嬢。
その手にはナイフが握られ、赤い雫を滴らせていた。
「あ~あ……順番、変わっちゃったぁ…」
「えっ………」
くすんで荒れ果て、かろうじて整髪剤で誤魔化した金髪。
肌の色こそ化粧で整っているが、頬は痩せこけ、肌の艶はない。
ドレスから見える手足は痩せこけ、今にも倒れてしまいそう。
見覚えが無い……そのはずなのにどこか見覚えがある、この奇妙な感覚。
「まさ……か……」
かつて見ていた姿でもなく。
伝え聞いていた姿でもない。
そのどれでもない姿、そしてこの場にいるはずが無い人物。
でも、それでも、目の前の人物が誰なのか、わかってしまった。
「エリー…ゼ………」