16話
ベッドに横になるも、眠りに落ちる感じはない。
さきほどまではうたた寝してしまいそうになるほどだったのに、今は全く無い。
今日は、色々なことが起こり過ぎた。
身体を起こせば、目に入るのは見慣れない風景。
王城の一室。暗い室内。
ベッドから降りるとそのまま椅子に腰かけた。
「はぁ……」
再び婚約者となれた今日。
突然襲われ、父様が重傷を負った今日。
幸福と不幸が一遍に重なり、気持ちの整理がつかない。
何故襲われたのか。
男は言った。忘れたことはないと。
一体どこであの男と関わったのか、皆目見当もつかない。
(もしかして、以前のシャルロットの時に…?)
私に覚えがなければ、その可能性もある。
(……無いわね。引きこもりだったんだし、それなら父様が知っているはず)
そうでなければ、今のシャルロット…つまり私の時に関わりがあったはず。
だけど、まだ私は昨日を除いて社交界に顔を出していない。
他家の貴族と顔を合わせる機会と言えば、後は仮面舞踏会の時くらい…
「……あ」
そしてようやく思い出す。
最初に参加した仮面舞踏会のとき。
強引に誘ってきた、狼の仮面の男。
今思えばなんとなく、あの男と背丈や声が似ていた…かもしれない。
(そうだとしたら……ずいぶんとしつこい男だわ)
しかしそれも解決するだろう。
犯人の素性は父上が知っていたし、エリル様が動いてくれる。
問題は……無い。
無いはずなのに、気持ちは全然落ち着かない。
(…私のせいで、父様が怪我を……)
血を流し、それでも立ちはだかってくれた父様。
そんな父様に縋り付くことしかできなかった私。
(どうしたら…よかったのかしら……)
そのまま、男と共に行けばよかった?
否、そんな選択肢はあり得ない。
闘う?
……もっとあり得ない。闘いにすらならない…
最善の選択肢などあったわけもなく、今考えたところで結論など出ない。
寝間着の上に羽織るものを探し、掛けられていたショールを肩にかけると外に出た。
城内は薄暗く、人の気配は薄い。
一定間隔に設置された明かりに照らされた廊下を歩いていく。
ふと立ち止まると、柱にもたれかかる。
(…ダメ。気持ちが………)
『自分のせいで怪我をさせた』
歩けば少しは気が紛れるかと思ったけど、いくらも効果がないばかりか、薄暗い廊下の空気と相まって更に心が沈んでいく。
先の見えない廊下がどこまでも続くように、心の沈みも底が無いように沈み続けていく。
ずるずると柱に背中を滑らせ、そのまま地面に座り込んでしまう。
ふと、コツ、コツと廊下を歩く音が聞こえる。
その音は徐々に近づいてくる。
ゆっくり顔を上げれば、そこにいたのは………父上だった。
「…こんなところで何をしている、エ……シャルロット嬢」
「……ロトール公爵」
ここは『外』。本来の関係ではいられない。
「…立ちなさい。淑女たるもの、地面に座り込むものではない。まして、そのような恰好で…」
「……はい……」
当たり前の叱責に立ち上がる。
けれど、柱にもたれかかったままのは直せず、そんな私の様子にロトール公爵は眉を潜める。
「…このような場所に居続けるものではない。来なさい」
「………はい」
コツ…コツ…コツ…コツ……二人分の足音が廊下に響く。
どこに連れていかれてるのか…それを考える余裕もなく、ただついていくだけの私。
そんな私を一瞥もせず、歩き続けるロトール公爵。
そうして、ある部屋に入っていく。
最低限の調度品と、ソファーにベッド。
ロトール公爵は上着を脱いでハンガーに掛けていく。
「掛けなさい。紅茶でも用意しよう」
「あ、そんな、私が…」
淹れます、と言おうとしたところを目で制された。
大人しくソファーに腰かけると、お湯を沸かす準備をしているロトール公爵の背中が目に入る。
(…父上に紅茶を入れてもらうなんて、初めてかも…)
当然と言えば当然で、公爵家当主ともあろうものが自ら紅茶を淹れることなどありえない。
が、今目の前の光景は、手際よく茶葉とカップを用意しており、慣れていることが伺えた。
「…ロトール公爵は、自ら淹れるのですか?」
「……今この場は私と、君しかいない。気にすることはないぞ」
「はい……父上」
「よろしい。城に泊まるときは自分で淹れている。気分が落ち着くのでな」
お湯が沸き、カップに紅茶を淹れていく。
しかしすぐにこちらには持ってこず、何か手元でやっているようで、少しした後、カップを渡してくれた。
「ありがとうございます」
息を吹きかけて少し冷ました後、そっと口へと運ぶ。
「…甘い」
紅茶の香りと、ほんのりとした甘さが口に広がる。
「少しジャムを入れた。…お前はあまり好まなかったが、今はいいだろう」
ジャムを入れてくれたらしい。
紅茶にジャムを入れる。そのことが、1年前のことを思い出させる。
(あの時は、とんでもないジャムを入れられたものね…)
紅茶にジャムを入れた…というよりも、ジャムに紅茶を入れた…という表現のほうが合いそうな飲み物を淹れられたあの時。
あまりの甘さにむせてしまった当時を思い出し、つい口元に笑みが浮かぶ。
「…やっと、笑ったな」
「あ……」
父上も紅茶を口へと運ぶ。
私も、次の一口を口に含む。
そうして、無言のまま、カップの半分ほどを飲んだところで父上が口を開いた。
「何を、悩んでいた?」
「…………」
悩んでいた…のだろうか。
顔をうつむかせ、手元のカップの中の紅茶に私の顔が映る。
「…わかりません…」
「……何が、わからない?」
ゆっくりと、導くように問いかける父上。
「…父様、怪我を…して、それは…私のせい、で…」
「…………」
「私…どうすれば、よかったのか……」
「……どうにもならん」
「えっ…」
うつむいていた顔を上げる。
父上は、まっすぐに私の顔を見つめていた。
「過去は変えられん。やつは怪我をした。それは変わることはない」
「ですが…私が、何かできれば…」
「何かできたのか?」
「……いえ」
何もできなかった。縋ることしかできなかった。
それが、あの時の私の精一杯だった。
「そうだ。その時のお前は何もできなかった。……では次はどうするのだ?」
「…つ、ぎ…?」
「そうだ。まさか、このような事態が、もう無いとでも思っているのか?」
「それ、は……」
「お前は皇太子様の婚約者となった。このまま問題が無ければ、いずれはこの国の王妃となる。そうなれば、『次』が起こりうる確率は飛躍的に高くなる」
「………」
「そのとき、お前はどうする気だ?まさかまた縋る気か?」
その時、誰が一体怪我をするのか……答えは決まっている…
「皇太子様…」
「そうだ。お前が王妃となれば、その隣に立つのは王。お前は、王に縋るだけか?」
「………いいえ」
それは…嫌だ。
皇太子様が怪我をして、縋るだけの自分。
そんな自分のままで……いたくない。
「もう…縋りません。私は……共に在ります」
背に隠れるのではなく、隣に立つ。
それが……これからの私の在るべき姿。
「そうだ。今日の自分を超える。……今まで、お前がそうしてきたようにな」
「父上…」
「決して楽な道ではない。だが、難攻不落ではない。常に前を見定め、歩んできたお前なら、不可能ではない。この一年も、そうしてきたのだろう?」
そうだ。
立場も姿形も変わった一年前。
けど、常に先を見る姿勢で、ここまで来た。
不可能じゃない。道は険しくとも、続いている。
「はい」
「良い眼だ。それでこそ……わが娘だ」
「ありがとうございます、父上」
「だが、さっきの姿はいかんな。あのような場所で、そんな姿でいるなど自覚が足りん」
「あっ、う……」
上げて、しっかり落としてくれる父上の言葉に、羞恥がこみ上げてくる。
「…いい時間だ。そろそろ眠りなさい」
「……こんな気持ちのままでは眠れません」
「いいから眠るんだ。ほら、送るから」
無理に父上に立たされると、そのまま部屋から連れ出される。
部屋に戻されると、これまた強引にベッドに送り込まれる。
「さぁ、いい子だからおやすみ」
「そんな、いきなり子ども扱いしないでください」
「父の目から見ればいつでも子供だ」
そう言って、手を頭に載せてくる。
そのままゆっくりと撫でてくれる。
(懐かしい……)
幼い時にもこんなことがあった気がする。
温かくて、大きい手に頭が撫でられる。
その気持ち良さが、全くなかったはずの眠気を呼び起こす。
「…おやすみ、エリーゼ」
「おや……す……」
最後まで言い切ることなく、私の意識は眠りに沈んでいった。