14話
あれからしばらくして、皇太子様と偽エリーゼの婚約破棄が行われたと父様から聞いた。
両家と上流貴族たちの立会いの下行われた婚約破棄に偽エリーゼは大層暴れ、暴言を吐き、衛兵に連行され、強制的に屋敷に連れ戻されたそうだ。
無事にとは言いがたいけど、シナリオは次に進んだことがわかった。
次は、パーティーでの婚約。
ほぼ1年ぶりの、公式の場への参加。
非公式の、身分も素性も隠した仮面舞踏会と違い、シャルロット・トワイライとして参加する初の舞台。
その日のためにと、準備も忙しい。
その中で最も重要なもの。
「………よし。完璧ね」
姿見の前に下着姿で立つ。はしたないけど、今の私の姿をちゃんと確認するためには仕方ない。
「…素晴らしいです。これほどまでに美しい身体の女性を、私は見たことありません」
アリエスの言葉に他の侍女もうなずく。日々、私にマッサージを施してくれた侍女たちだ。
無駄な脂肪の一切を落とし、かといって過度な筋肉も付けず、女性的なラインを徹底的に追及したこの身体。
…女性的ではあるけれど、身体のラインにはあまり相応しくない胸も、少し絞ることに成功し、下品にならないようにできた。
これを維持するための努力はこれからも継続しなきゃいけないけど、一先ずは仕上がった。
ワンピースを身に付け、そのまま父様の書斎へ向かう。
今ではほとんど意味の無い約束だが、一番初めにしたもの。
『1年で人前に出ても恥ずかしくない身体にする』
その成果を、父様に確認してもらうためだ。
ノックとともに入室の許可を貰い、書斎へと入る。
「失礼します」
「どうしたんだ?」
「パーティーの前に、確認をしていただきたいと思いまして」
その場でゆっくりと回る。
少しだけワンプースの裾がふわりと舞い上がるが、そこから見えるふくらはぎだって、少しの無駄も無い。
「確認…?」
しかし父様は何のことかと首をかしげていた。
「約束ですよ、父様。『人前に出ても恥ずかしくない身体にする』そう言ったではありませんか」
「……ああ、そうか、思い出したよ」
しかしそう言いながらも、視線は私の顔だけを見ている。
「父様…?」
「…今更私が何か言うことなどない。シャルロット、君はどこにだしても恥ずかしくない立派な令嬢だよ」
「ありがとうございます」
これであとはパーティーのときを待つだけ。
父様へと一礼し、書斎を退室しようとしたとき、父様から声をかけられた。
「シャルロット」
「はい、何か?」
「……………」
続くはずの父様の言葉が無い。
ただじっとこちらを見ているだけ。
「……………なんでもない。下がっていいよ」
「…はい、失礼しました」
書斎の扉を閉め、そのまま自室へと向かう。
(父様……何を言おうとしたのかしら…)
今日はいよいよ、皇太子様の婚約者探しのためのパーティー。
それに私も参加する。
本来なら皇太子の婚約者となれば、侯爵以上が望ましい。
しかし今回は私も参加できるよう、男爵以上の令嬢であれば可能というお触れを出した。
勝敗は既に決まっている。これから行われるのはただの茶番。
(だからと言って手抜きなどしない。カイロス様のために、それに恥じぬように)
万全に仕上げたドレスと化粧。
首からはあのガーネットのネックレスをかけ、服の中へと忍ばせる。
私とカイロス様の絆の証だけど、見た目だけなら割れた宝石だ。
付け入る隙を与えてはならない。
父様は豪華なネックレスを用意してくれたけど、丁重に断った。
今夜、カイロス様とダンスを踊る。それは最も難易度が高く、激しく、それでいてカイロス様の意地悪なリード付きだ。豪華なネックレスはそれだけ重いし、ダンスの最中に暴れられては困る。
エリーゼのときもそうだ。華美な装飾をせず、自らこそが宝石。
それを胸に、馬車へと乗り込むと会場へと着くのを待つ。
会場に着くと、父様のエスコートに従い馬車を降り、会場入りする。
会場にはすでに大勢の令嬢が入っており、ピリピリした雰囲気が漂ってくる。
父様に付き従い、挨拶周りを行う。
大半はシャルロットの存在を忘れているか、覚えてはいても以前とはまるで違う姿に本当に本人かと確かめてくる者さえいた。
同時に、令嬢への挨拶も行う。ここではライバルだが、だからといって敵対心をむき出しにするなど愚かなことは誰もしない。
あくまでも優雅に、お淑やかに。ただ、そのときを待って。
そうして一通りあいさつ回りが済むと入り口の方がざわめきだす。
王族の来場だ。
陛下と王妃、そして皇太子様と続き、会場の席へと向かっていく。
王族が席に着くと、上流貴族の面々が挨拶へと向かう。
それを私は少し離れたところから、父様とともに見ている。
謝罪のタイミングは、この挨拶が終わり、パーティーが始まる前の数分。
正確なタイミングは皇太子様の近くに居るエリル様が出してくれる。
そして、エリル様が目配せをした。
父様とともに確認し、いざ皇太子様のもとへと向かう。
「ご機嫌麗しゅう、皇太子様。このようなめでたき日にご招待いただけましたこと、大変嬉しく存じます」
父様の礼に合わせて私も頭を下げる。
「…お前はトワイライ伯爵だったな。何の手違いだか知らんが、お前のとこの無礼な娘も招待してしまったようだな」
皇太子様の言葉は冷たい。けれど、これももちろん演技だ。
「はい、その件は私の不徳の致すところ、大変申し訳ございませんでした。つきましては、娘が直接皇太子様に謝罪したいとのこと。何卒、謝罪の機会をいただけないでしょうか」
「……よかろう。直接謝罪に来るというなら、一考してやってもいい」
「ありがとうございます。これ、シャルロット、こちらへ」
「はい」
父様より前に進み出て、皇太子様の前へと立つ。
私の姿を確認した皇太子様は一瞬息を呑んだような表情になるが、すぐに引き締めなおした。
「お前か……それで、何の用だ」
「はい。先年は、皇太子様に対し大変に無礼な行為を働いたこと、まことに申し訳ございませんでした」
深く、頭を下げる。
それに対し、皇太子様はじっとこちらを見ている。……はずである。
すぐに答えず、熟考しているように周りに見せる。
当然私自身も皇太子様の言葉があるまで頭を上げることはできない。
頭を下げた行為が長く続けば、この状況はより会場へと伝わることになる。
そうなれば、まさかこれがかつての皇太子様と『エリーゼ』の姿とは思わないだろう。
徐々にざわめきが大きくなり、「無様」「なんて情けない」と聞こえ始めた頃。
「よい、頭を上げろ。お前の誠意、見せてもらった。このような公衆の面前で頭を下げてまでのお前の意思、確かに受け取ったぞ」
「あ、ありがとうございます」
ひとまず最初の茶番は終了。その安堵感に、つい笑顔になってしまう。
が、それに皇太子様が顔を背けてしまった。
「皇太子様?」
「な、なんでもない。それより、貴様はこのままパーティーに参加する気か?」
「…はい。私も、皇太子様をお慕いしております。許されるのであれば…」
「……よい。貴様も、一人の令嬢として参加するが良い」
「ありがとうございます」
一礼をし、父様に続いてその場を後にする。
顔を背けた皇太子様の耳はほんのり赤くなっていた…
パーティーが始まり、陛下の挨拶も終わると本格的なパーティーの始まりだ。
令嬢たちはこぞって皇太子様の下へと向かい、自分の売り込みに走る。
しかしその令嬢も、ほとんどは公爵・侯爵家の令嬢で、それ未満の令嬢たちは彼女達が離れるまでは近づくことも出来ない。
家格の差が現れた形だ。
私も、現伯爵家の令嬢ということで近づけない側だ。
最も、今の時点で皇太子様に売り込みをかけたところでほとんど意味は無い。それは彼女達もわかっているはずだ。
如何に皇太子様がダンス好きで、それ以外に大した興味を抱かないということを。
私のこの後の予定も決まっている。
許しを得たことになっているとはいえ、直前に謝罪を行った令嬢。
それなのに他を差し置いて図々しくアピールできるはずもなく。
こうして壁際にたたずみ、静かにその時を待っている。
ゆっくりと会場を見渡せば、令嬢とそのエスコート役である当主…つまりは父親ばかりかと思えば、年頃の令息もちらほら見られる。令嬢の兄弟、もしくはこの場で皇太子に選ばれなかった令嬢狙いの者か。
和やか…とは言いがたい談笑タイムが終わり、ついにダンスタイムが始まる。
今回は集団ではなく、皇太子様と令嬢のみが踊る。
それによって婚約者を決める…ということになっている。
そうして一番手にかつての私と同じ公爵家の令嬢が前に出る。
皇太子様と手を取り、ダンスが始まる。
傍目にはとても綺麗で、まさにお手本とも言うべきダンス。
だけれど、だからこそ皇太子様の表情は凍てついたまま。
必死に令嬢がダンスを合わせるが、それでも表情は揺るぐことはない。
しかも、例のわかりにくいリードもあわせてくるものだから、分かりづらいが合ってない場面も見られた。
崩すというほどにならないのはさすがだが、そのままダンスは終わってしまった。
次々と別の令嬢が前に歩み出て皇太子様とダンスを踊るが、その表情は変わらない。
一人、また一人と離れ、見るからに肩を落としていく。
ついには誰も前に出てこなくなった。
「どうした、もう誰も出てこないのか?」
会場の中心、ただ一人立つ皇太子様。
それに近寄る者はいない。
皇太子様が周囲を見渡し、そして、こちらを見て視線を止めた。
「そういえばお前とはまだ踊っていないな。来い」
「…よろしいのですか?」
「私を慕っていると言ったのはお前だろう」
「ありがとうございます」
ゆっくりと皇太子様の下へ歩み寄る。
皇太子様の顔を見れば、表情は凍てつかせたままだが、その口元は小さく震えている。
手を取り、至近距離で見詰め合う。
「…やっと、君と踊れる」
「私もです………やっと、本当の貴方と」
仮面を、身分を偽らず、本当の自身で。
音楽が始まり、ステップを刻む。
身体が踊り、髪が躍り、心が躍る。
時折混じる意地悪なリードも読みきり、そのたびにカイロス様の口角が上がる。
一曲を踊り終え、そこには満足げな表情のカイロス様。
「いつ踊っても、君とのダンスだけだ。俺を満足させてくれるのは」
「ふふっ、ありがとうございます」
「……いつもの。いけるな?」
「もちろんです」
最も難易度が高く、激しく、それでいてカイロス様の意地悪なリード付き。
「エリル!」
「はいはい、おっけー」
エリル様が楽団へと向かい、何かを話しかけている。
それを受けた楽団は明らかに動揺していたが、指揮者が腕を上げた瞬間にピタリと収まる。
流れる音楽に合わせ、ダンスが始まる。
動きの激しさにドレスの裾は舞い上がり、セットした髪は舞い乱れる。
取り合った手は触れた瞬間に再び離れ、右回転をさせられたかと思えば即座の左回転。
それでもカイロス様の表情を見れば喜びに満ち溢れ、そんな表情に私もどんどん心が満たされていくのを感じる。
徐々に疲労を覚える身体とは裏腹に、頭はもっと、もっととこの時間を望む。
しかし音楽は永遠には続かない。
音楽が終わり、ダンスの時間が終わりを迎える。
荒く息が切れる私とは対照的に、軽く息を乱しただけのカイロス様。
「大丈夫か?」
覗き込んでくるカイロス様に笑顔で応える。
「少し、はぁ、疲れました、はぁ。けど、はぁ、楽しかったです、はぁ」
「俺もだ」
周囲を見れば、信じられないといった表情でこちらを見ている。
誰も皇太子様を満足させられなかったどころか、かつてエリーゼ以外は誰も踊れなかった曲を踊りきったのだから、驚くしかないのだろう。それも、直前に謝罪をした令嬢が。
「父上、私はこのシャルロット・トワイライを婚約者とする!」
そう、カイロス様が高らかに宣言する。
それに陛下もうなずいた。
「よかろう。お前の粗野なリードに対応できる令嬢なら、これから先もともに歩むことが出来よう。婚約を認める。よいな、トワイライ伯爵?」
「はっ、この上ない喜びでございます」
こうして、無事に私は再びカイロス様の婚約者として正式に認められた。
その後は、思った以上に疲労した私を気遣って、今日は一旦屋敷に帰ることになった。
「今日は楽しかった。また明日、会える事を楽しみにしているぞ………シャルロット」
まだ周囲には本当の事情を知らない人たちがいる。
皇太子様は言いにくそうに私をシャルロットと呼んだ。
「はい、本日はありがとうございました」
「じゃあ道中、頼んだぞ、トワイライ伯爵」
「はっ」
馬車へと乗り込み、屋敷へと向かう。
心地よい疲労感についうとうとしてしまう。
「疲れているのならお眠り。着いたら起こしてあげるから」
「はい、父……様……」
静かに目を瞑り、しばしの仮眠を、の矢先。
「!? 何だ!」
「きゃあ!」
突如、馬車が大きく傾く。完全に力を抜いていた私は前の席に倒れこんでしまった。
「大丈夫かシャルロット!?」
「つ~…だ、大丈夫です…」
少し額をぶつけたけど血は出ていない。
「一体何事だ!」
そう言って父様が馬車のドアを開け………崩れ落ちた。
「え……………」