1話
今、私エリーゼ・ロトールは混乱の極地に達していた。
昨晩は王城の夜会へと出掛け、婚約者であるカイロス皇太子と踊り、屋敷に戻るとダンスで疲れた身体を癒すため、少し早めに床についた。
そして目覚めた時、唐突な違和感を覚えた。
まず体が重い。呼吸が辛い。まるで体の上に誰かが乗っているかのようだった。
しかし視線の先には誰もいない。けれど、妙に盛り上がった布団の中を覗けば、人はいないが自分の腹と思われる巨大な肉の塊がそこにあった。
「・・・・・・・」
少なくとも私の身体は、このような余分な肉の塊が付いた、肥満などとは無縁のものだ。
いや、一部では芸術家が作ったのではないかと言われるほどに整った身体であり、決してこのような贅肉など存在しない。
だが、手で確認すれば確かにそれは私の腹で、触った感触と触られた感触両方が伝わってくる。
(どういう・・・こと・・・?)
私は一体どうしてしまったのか。
混乱した頭のまま、とりあえず布団から出ることにした。
しかし贅肉だらけのこの身体は布団から出てベッドに腰掛けた体勢をとる事すら困難だった。
そうして顕わになった自分の姿に改めて愕然とした。
身体全体が肉の布団でも纏ったかのようにぶよぶよと脂肪がまとわりつき、特に腹の脂肪は2~3人入ってるんじゃないかと思えるほどに突き出している。
さらに今私が身に着けている寝巻きは、寝る前は確かに白のネグリジェだった。
しかし今はどうか。紫のネグリジェで、しかもこの体型にアレンジされている。
要はとてつもなくでかいということだが。
そうして部屋を見渡せば、これまた見覚えの無い光景が広がる。
記憶の中の部屋は、最低限の調度品で整えられており、あまり華美な物を好まない私は、余計なものを置くことをよしとしなかった。
一方、今視界にある部屋はそこかしこに調度品が置かれ、いたるところに菓子が散らばっている。
寝る前にも食い散らかしたのか、足元にも菓子の欠片が散らばっている。
顔の横を揺れる髪は赤。
記憶の中の私は金だったはず。
あまりにも記憶とは隔絶した状態に私は頭を抱えた。
(どういうことなの・・・?どうなっているの・・・私は・・・ここは・・・どこなの?)
記憶の中の私を思い返す。
名はエリーゼ・ロトール。
ロトール公爵家の長女で、カイロス皇太子と婚約関係にある。
髪は金色で、身体は女性としては少し高め。体つきは細めだが、長時間のダンスに耐えられる程度には鍛えている。少々胸部のボリュームが足りないことが悩みだ。
そこまで思い出したところで、唐突に部屋のドアをノックする音が聞こえた。
つい咄嗟の反応で「どうぞ」と応えてしまい、(しまった)と思いなおす。
普通ならばこのタイミングでノックしてくるのは侍女しかおらず、特に確認もしなかったが、この今の状態では誰だかわからない。
にもかかわらず無用心にも招き入れてしまった。
ゆっくりとドアが開かれ、そこに侍女服を纏った、やはり見覚えの無い顔がそこにあった。
年の頃は20台半ばか。
その侍女はこちらを見ると驚いたように目を見開いた。
「シャルロットお嬢様。おはようございます。今日はもうお目覚めでおいでなのですね」
「ええ、おはよう」
(シャルロット…聞き覚えが無い名前ね)
侍女の発した言葉から今の自分が『シャルロット』であることを理解する。
しかしその名に聞き覚えは無く、本当に一体如何してしまったのかと未だ混乱の渦の中だった。
「それでは目覚めの一杯を淹れさせて頂きます」
「? ええ、お願い」
(目覚めの一杯…?)
この侍女の言葉に内心首をかしげた。
しかし侍女のほうは特に気にした風も無く、てきぱきと準備をしていく。
どうやら紅茶を入れているようだ。
それならば特に気にすることではない、そう思っていた。
紅茶をカップへと淹れ、こちらに持ってくるのかと思ったら、近くの瓶の蓋を開けた。
スプーンで取り出したところからするとジャムか何かなのだろう。
それを入れ始めた。
が、何を思ったのか、一杯二杯では止まらず、三杯四杯と入れる手は止まらず、たっぷり十杯を入れるとようやく溶かし始めた。
(え、ちょっと待って…ジャムってあんなに入れるものだったかしら?)
日々の体型維持のため、あまり甘いものを好まない私は、紅茶にジャムを入れることは知っていたが、実際にジャムを入れた紅茶を飲んだことはほとんど無かった。
「お茶が入りました、お嬢様」
「え、ええ、ありがとう」
渡されたカップを震える手で受け取る。
あれだけのジャムを入れた紅茶。カップの中を覗くと紅茶の透明感は無くなり、ジャムによってどろどろとした感じになっている。
(こ、これを飲むの…)
顔を引き攣らせつつ軽くカップを揺らすも、中の液体は揺れない。
「お嬢様、いかがなさいました?もしや、ジャムの量が足りませんでしたか?」
「い、いいえ、そんなことはないわ。いただくわね」
これ以上ジャムを入れられてはたまったものじゃない。
カップを傾け、中を口の中へと落とし込んでいく。
「!! ごほっ!」
紅茶というより、ジャムを薄めただけという表現が近いそれは、飲み込もうとして喉につまり、咳き込んでしまった。
「お、お嬢様!」
慌てた侍女が駆け寄り、口元をぬぐっていく。
「ごほっ、ごほっ・・・…ごめんなさい、紅茶はもういいわ。それより…ごほっ・・・水を頂戴」
「は、はい、ただいま」
その後、水を飲んで落ち着いた私は、寝巻きのネグリジェを脱ごうとして手が届かず、侍女の手を借りてなんとか着替えた。
そうして、朝食へと向かおうと立ち上がると侍女に不思議な顔をされた。
「何かしら?」
「いえ、どちらに向かわれるのですか?」
「どこって・・・朝食を食べに、よ」
「えっ?もうすぐお持ちいたしますが・・・」
「えっ?」
どういうこと?と問い返そうとしてドアをノックする音が聞こえた。
次いで部屋に入ってきたのは別の侍女と押されてくるカート。
しかし、そのカートの上にはこれでもかとばかりに料理が載っていた。
山盛りのクロワッサン、厚切りベーコンは何枚も、黄色い山はオムレツetcetc・・・
そのとても一食分とは思えない朝食に再び顔が引き攣る。
(何これ・・・まさか私の朝食じゃないわよね・・・?)
そう思っている間に侍女は次々と料理をテーブルに載せていく。
「お待たせいたしました。本日の朝食にございます」
そうして侍女に椅子に座らせられれば、そこには朝食どころか10人分はありそうな量があった。
当然他に椅子に座る者は無く、どう見ても私一人分にしか見えない。
「こ、こんな量を食べるの・・・?」
「えっ?お嬢様の普段の朝食でございますが・・・」
キョトンとした表情をされ、ますますもって今の私が何なのかわからなくなってしまう。
だが、今はそれは置いておく。
今はこの朝食を少しでも食べ、まずは栄養補給だ。
そう考えを切り替え、クロワッサンへと手を伸ばす。
「あらおいしい」
クロワッサンはバターがたっぷりと含まれており、体型維持のためにあまり口にしてはこなかった。
しかし今口にすると、サクッと軽い触感、立ち上るバターの甘い香り。
それでいて中はしっとりといくらでも食べられそうなほどおいしかった。
気付けば、山盛りの朝食は跡形も無く、締めの紅茶(ジャム無し)を飲んでいた。
(ま、まさかあの量を一人で食べてしまうなんて・・・)
この身体の許容量と、食べた食事のカロリーに驚きつつ、これからどうするか考える。
「ねぇ、今日の私は何か予定はあったかしら?」
「えっ、よ、予定ですか・・・?」
「そう、予定よ」
「い、いえ、特に何もなかったかと・・・」
「そう」
やたらと挙動不審な侍女をいぶかしみつつも、ひとまず今日一日はこの現状を調べる時間にあてれそうである。
紅茶を飲みつつ、この現状を考える。
(私はエリーゼ・ロトール。けど、さきほど侍女にはシャルロットと呼ばれていた。まさかこの記憶の『エリーゼ・ロトール』なんて存在せず、私は元々『シャルロット』・・・?……いいえ、そんなはずはないわ。私は確かに『エリーゼ・ロトール』。こんなぶくぶく太った身体の令嬢なんかじゃない)
私自身は、間違いなく私だと。改めて認識した上で、今度は周囲を知るべきだ。
(ここはどこなのか…シャルロットとは誰なのか…そして『私』は今どうなっているのか)
この状況については今もってさっぱり分かっていない。
そのためにも、今は外に出ることが大事だと考えた。
「お嬢様、おやすみですか?」
立ち上がるとそう侍女に問いかけられた。
「朝食を食べたばっかりでどうしてもう眠らなくちゃいけないのよ。部屋を出るのよ」
「えっ!?」
そう言うとこれまでで一番驚かれた。
たかが部屋を出るだけで大げさな…と思っていたらなんと侍女は涙まで流し始めた。
「ちょ、ちょっとどうしたの!?」
「も、申し訳ありません。お嬢様が引きこもりを始めて2年余り…ようやく外に出ていただけるだなんて嬉しくて…」
目元の涙を拭う侍女にまたまた顔を引き攣らせる。
(デブで大食漢で引きこもり…一体どんな奴だったっていうのよ…)
これまでの自分とは大きくかけ離れたシャルロットという存在にため息が出るのだった。
※誤字修正しました