不良神、交渉する
「だあああああああああああっ!」
「ちょっ、トーヤ!静かにっ」
寮の門の前で叫ぶトーヤの口を、ヴィヴィアンが慌てて塞ぐ。そして、怒り心頭のトーヤを宥めるようにぽんぽんと背中を叩いた。
「ふぉふぉふぉふぁふふぁいふんふぁふえ!(子供扱いすんじゃねえ!)」
「ほら、落ち着いて。ふぅ⋯その怒りっぽいところ、直さないとな⋯⋯」
ため息混じりに吐き出された言葉にカチンときたトーヤが納得いかない、といった顔で暴れる。なんとか口を塞いでいた手を放させると、トーヤは子供特有の甲高い声で言い放った。
「なんでお前はいつもそうなんだ。この前も雑用をすべて押し付けられて、その前は課題を丸ごと押し付けられていただろ!それから毎日のようにこき使われて、いつも襤褸雑巾みたいな姿で部屋に帰ってくる!しかも、お前はそれに対して何も言わないどころか、あいつらを庇ったりする!そんなだからあいつらが付け上がるんだ。もはやお人好しのレベルを超えてんだろ、いい加減にしやがれ!!」
しかも、ヴァシュルの存在が牽制になるどころか妬みとひがみの対象になり、虐めが更に酷くなったのだ。ただ名ばかりの無能な貴族どもを根絶やしにするような法律ができないものか、いや、いっそ俺が滅ぼすかとトーヤは一時期本気で考えていた。
ぜえぜえと肩で息をしながら怒鳴り散らすトーヤに、ヴィヴィアンが困ったような顔をして言った。
「だっていつもトーヤがおれの代わりに怒ってくれるから、もうどうでもいいやって気持ちになるんだよ。それに、慣れてるし、あと二年の辛抱だし⋯⋯」
「だ、か、ら、我慢するなって言ってんだろうが!」
毎日毎日、飽きもせずにこれの繰り返しである。ヴィヴィアンはともかく、トーヤは本気でシリルになんとかしてほしいと心から願っていた。
「はいはい、お小言はそれくらいにして。準備はできた?ヴァシュル殿下が直々に招待してくださったんだから、時間に遅れたくないんだけど」
「はああああ⋯⋯ああ、できたよ。できてますよ!そりゃあ一週間も前から急かされてたら嫌でもできてるわ!」
そう。この主、長期休暇に入る一週間前にヴァシュルから国への招待状が届いた際に『うわっ、急いで準備しないと!』と言って、まだ時間があるにも拘わらず、読み終わった瞬間、驚異のスピードで準備を完了させたのだ。
(えーと。いまは夏だから、長袖やふかふかのコートは要らねえよな)
急いで準備を終わらせたからか、ヴィヴィアンの荷物のなかには冬物の服まで入っている。正直、もうどこからツッコめばいいのかわからないトーヤだった。
「あっ、トーヤ。迎えがきたみたい⋯⋯て、どうした?なんか妙に哀愁が漂っている気が⋯⋯」
「気のせいだ、気の迷いだ。そう、ただの錯覚。幻覚だ」
「そ、そう?なら、いいんだけど⋯⋯」
投げやりなトーヤの対応に微妙な顔をして答えたヴィヴィアンだったが、迎えにきたモノを見て自然に口が開いた。
「⋯⋯これって」
「⋯⋯神獣、だな」
そう。どこからどう見ても神獣だった。というか、狼の姿をしたユニコーンのような角の生えた、王家の紋様が掲げられた車を引く迎えのモノが神獣ではなくなんという。
唖然とした様子で突っ立っていると、神獣が突然ヴィヴィアンとトーヤを口でくわえてやや乱暴に車に乗せた。そしてふたりが悲鳴を上げる間もなく大きく咆哮した。
するとどうしたことか。凄まじい突風が巻き起こったかと思うと、あっという間に目の前にレラーキュリ王国と城が見えるではないか。
「⋯⋯何というか、情緒も趣もねえな。景色を楽しむような時間があってこその旅だろ」
「ま、まぁまぁ」
車から降ろされたふたりが城の門の前で立ち竦んでいると、柔らかな顔立ちの老紳士がヴィヴィアンたちの前に現れて優雅にお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。わたくしは、レラーキュリ王国国王シルヴェウス陛下にお仕えしております。侍従のマティアスと申します。この度は、遠いところからご足労頂き、ありがとうございます。陛下により、おふた方の案内役を命ぜられております。どうぞ、こちらへ」
国王に直接仕える侍従。つまり、この丁寧な物腰の老紳士はレラーキュリ王国国王の側近ということだ。
慌てて頭を下げたヴィヴィアンがトーヤの頭を掴んで下げさせながらマティアスに言う。
「し、失礼いたしました!この度はわたしのような庶民をお招き頂き、ありがとうございます。おれ⋯⋯わたしは、ヴィヴィアン=アルスアルトと申します。これは相棒のトーヤですっ。城の方々のお目汚しにならないように、陛下への拝謁が叶いましたら即座に出ていきますのでっ」
「おや?殿下は、城への滞在を招待状に記しておられたように思うのですが⋯⋯」
不思議そうな顔をするマティアスに、ヴィヴィアンが首がもげそうなほど左右に振った。
「と、とんでもございません!図々しくも城に立ち入るどころか滞在までするなんて厚かましいことはできません。や、宿はきちんととってありますので、お気になさらないでください!」
「おやおや」
懸命に断るヴィヴィアンを目を細めて楽しげに見ていたマティアスを見て、トーヤは確信した。そして、何でもないような感じで臆することなく言う。
「くだらん茶番だな。手前、マティアスとかいうじじぃじゃあねえだろ」
「と、トーヤ!?」
ヴィヴィアンが気絶しそうな顔をして金切り声をあげる。それを見てマティアスは笑って首を傾げた。
「なぜ、そう思われるのでしょうか」
「見え透いた演技はやめろ、気持ち悪ぃ。手前からヴァシュルと同じ匂いがする。手前らが知ってるかどうか知らねえが、覇神と契約した王族の直系はその長い契約ゆえか代々特殊な匂いがすんだよ。手前からはヴァシュルと同じ匂いがする。覇神と契約している王族の直系であるヴァシュルと同じ匂いが、な」
「ほう?」
興味深げにマティアスが目を細めると、通路の奥から慌てた様子で誰かがきた。その顔を見て、ヴィヴィアンがあっと声をあげる。
「えっ、マティアス様がふたり?⋯⋯てことは」
怖々とヴィヴィアンが傍らにいるマティアスを見上げる。トーヤに偽者だと断定されたマティアスはにやりと笑い、どろりと姿を変え、本来の姿を現した。
顔面蒼白となるヴィヴィアンを面白そうに見つめた男は、トーヤに興味深げな顔を向けて言った。
「よくぞ見破ったな。我が息子の友達だというからどんな子たちかと思えば、面白い。あれが気に入るのも無理はないか」
「陛下!また勝手に出歩かれて⋯⋯」
豪快に笑う男と、男を窘めるマティアスを見て、ヴィヴィアンがぎこちない動きで顔をトーヤに向けた
「我が息子、て⋯⋯陛下、て⋯⋯もしかしなくても、この方は⋯⋯」
「ああ、現国王シルヴェウスだろうな」
「おれ、陛下と話し⋯⋯うん、トーヤ。思わぬ形ではあったけど、無事に謁見も終わったことだし、城下町に行くか!」
むしろ行かせてくれ、というヴィヴィアンの心の声が聞こえたような気がしないでもないが、あながち嘘ではないと思う。顔がもう既に青を通り越して蒼白になっていた
仕方ないと、ヴィヴィアンと共に城下町へ行こうとすると、それまでマティアスと話していたシルヴェウス陛下が突然ヴィヴィアンの腕を掴んで止めた。
「うえっ?こ、国王陛下!?」
「お前、ヴィヴィアンとかいったな。城下町に行く必要はない。好きなだけ城に泊まっていけ。宿のほうには私のほうから遣いをだそう」
「えっ⋯⋯ええっ!?で、ですからそんな図々しい上に厚かましいことはできません!城なんて庶民には心臓に悪すぎて、いまにも破裂しそうなんです!」
最後は涙目になりながら必死に言い募るヴィヴィアンに、シルヴェウス陛下がさらりと言った。
「んじゃ、命令。この城に泊まれ。よし、決定」
「そ、そんな⋯⋯」
「ああ、間違いなく親子だな。ヴァシュルとシルヴェウス」
「なっ、陛下を呼び捨てにするとはなんと無礼な!」
「構わん。お前、トーヤといったか?俺を呼び捨てにしていいから、俺もお前をトーヤと呼んでいいか?」
「無論」
「交渉成立だな」
どうだ。これが大人の交渉というものだとトーヤがヴィヴィアンに心の中で囁く。そもそも貴族相手でも負けるヴィヴィアンが、王族相手に敵うわけがないのだ。現に、もう既にヴァシュルに負けているのがいい証拠だ。
「さて、息子との出会いから聞かせてもらおうか。第二王子も第一王女も、お前に会うのを楽しみにしていたからな。そうだ、後で城内を案内してやろう」
「へ、陛下、それはわたくしが致しますので」
「一日くらいいいだろう。俺もこの子らが気に入ったのだ」
「またそのような事を⋯⋯」
シルヴェウス陛下とマティアスが言い合いをしながら城内へと入っていく。ヴィヴィアンは、シルヴェウス陛下に引きずられ、トーヤはその後ろを少し距離を保ちながらついていった。
(ああ⋯⋯やっぱりシルヴェウスはヴァシュルに似ているな。性格というか雰囲気というか⋯⋯)
しみじみとそんなことを考えていたトーヤは、ヴィヴィアンの助けを求める眼差しに最後まで気づくことはなかった。