不良神、顕現する
「っ、おれはアシュレイを助けたいっ!トーヤ、アシュレイの元まで道を作ってくれ!!」
「━━━承知!」
ヴィーの言葉にトーヤが応える。
その瞬間、トーヤの身体を凄まじい力の奔流が駆け巡り、激しい光を放った。ヴィヴィアンは目も眩むばかりのその光を両手を掲げて遮り、光が消えていくのを待った。
やがて光が徐々に収まっていき、ヴィヴィアンはそろそろと顔を上げた。そして、目を丸くした。
「━━━は?ちょっ、どちら様ですか??」
間抜けな声でそう言ったヴィヴィアンの目の前には、苛烈な波動を身に纏った凄まじい存在が立っていた。
漆黒の髪は頭の上でひとつに纏め上げおり、脚首まで伸びた尻尾のような毛先は紫色をしている。刃のような銀色の瞳を縁取る目元は鋭利で、眦に緋い刺青と下瞼から頬に掛けて同色の線が流れている。その右手には途中直角に曲がった紅の刃の大太刀が握られており、研ぎ澄まされた不穏な光を放っている。前合わせの見たこともない衣装を纏い、大太刀を手に鋭く前を見据えるその青年は、尋常ではないほどの凄まじい美しさを放っていた。
それはまるで、戦場に降り立った鬼神のごとく
⋯⋯⋯おれ、いま初めて気を感じ取れた気がする
青年の発する神々しい神気の苛烈さと猛々しさに気圧されたヴィヴィアンは、ひどく混乱していた。
ヴィヴィアンの目の前で、荒々しい美しさを纏った青年が大太刀を振りかざすと、ひと息のうちに振り下ろす。
途端、溢れ出た魔物どもが一掃され、禍々しい霧も毒々しい瘴気もすべて切り裂かれ、アシュレイへの道が真っ直ぐと切り開かれた。
呆然とするヴィヴィアンに、青年は決して荒らげてはないがしかし、有無を言わさない声音でただひと言声を放った。
「━━行け」
「━━━━っ!」
たったそれだけの短いひと言に、まるで背中を押されたように、ヴィヴィアンはまろぶように駆け出した。なぜか恐怖は感じなかった。何があっても、あの青年が行く手を阻むものを切り裂いてくれるような気がした。
ヴィヴィアンがアシュレイの元へと駆けていくのを見届けたトーヤはじりじりとにじり寄ってくる魔物たちを見据え、睥睨した。
ヴィヴィアンが鬼神のごとくと感じたのは、あながち間違いではない。
覇神というのは種族のようなもので、彼らの個々を表すものではない。もっと詳しく言うなれば、トーヤ⋯⋯否、アガサは行く手を阻むものを先陣を切って断ち切る闘神、破壊神だった。
覇神は戦う力を確かに持ってはいるが、それと生まれ持っての神格は別物だ。
思慮深いアリスは智恵神、守護や封印に長けたハルセは言葉ひとつで境界を造ることができる言霊の神、言離之神だ。攻防に優れたセリアスは武神で、癒しの力をもつレオーナは調和神だ。
あまり知られていないこの事実の片鱗を、恐らくヴィヴィアンは感じ取ったのだ。
「⋯⋯ったく、どうもあれ自身にも何かありそうだな。それにしても一時とはいえ、姿も力もこうして戻りゃあしたが、これはどういう事なんだか」
そしてこれが一時的なものであることをトーヤはすでに察していた。徐々にまた姿が削がれていくのを感じる。
「まぁいい。⋯⋯さて、長い時を穢らわしい瘴気に浸っていた醜悪な化け物ども。我が主が戻るまで、ここを通ることまかり通らぬと知るがいい」
手に握った刀の柄に力を入れる。魔物たちが一斉に飛びかかってくると同時に、強く地を蹴り、押し寄せてくるその軍勢のなかに身を踊らせるのだった。
「⋯⋯レイ⋯⋯⋯シュ⋯⋯イ⋯⋯⋯⋯アシュレイ!」
『━━なんじゃ。こんなところまで潜り込んでくるとは、お主も酔狂よのぅ?』
闇に染まりかけたアシュレイの仄暗い笑みを見て、ヴィヴィアンはゾッとするものを感じた。このままでは、本当に手遅れになってしまうと頭のなかで激しい警鐘が鳴り響いている。
ヴィヴィアンはアシュレイの身体に巻きつく闇を振り払いながら、その身を戒める錆びれた鎖を外そうとする。
「ここにいたら駄目だ。おれと一緒に行こう!」
『あっはははははは!行く?どこへ!?もはやこの身に巣食うのは怨念のみ。幾千もの間ずっとこの身に抱え続けた恨みの澱など忘れて生きよ、とでも言うのかえ?』
アシュレイの歪んだその笑みには、先程までの正気が全く見られなかった。本来、吸い上げた禍や穢れを浄化するはずの彼女が、封じられたことによって浄化できないまま溜め込んで歪んでしまったのだ。このままでは━━━━
(⋯⋯ん?吸い上げた禍や穢れを浄化する花守⋯⋯そういえば)
トーヤが言っていたではないか。彼女は花守で、邪神ではないと。ということは、シルヴェウスが言っていた“その暴走で多くの命と大地の循環を狂わせた邪神”とは彼女とは別の存在を指すのではないか?
ならば、当時の王族や覇神たちは彼女がその禍々しい力を吸い上げて眠りにつかせた邪神を、彼女を誤って封印したことによって解放してしまったのではないか。
それから彼女とは別にその邪神も封じたが、祀樹によってその邪神の力は再び吸い取られアシュレイに蓄積されていった。しかし封じられたアシュレイは浄化することができず、長い間ずっと身体のなかに毒を抱え込み続けたということになるのではないか。
(もしそうだったら、すごく苦しいし⋯⋯)
ほろほろと静かに涙を流すヴィヴィアンに、アシュレイは訝しげな表情を向けた。
『童子、何を泣いておるのかえ?ふ、同情でもしておるのか。じゃが、妾は同情など━━━━』
「違う。おれは、人間として貴女に言わなければいけないことがあったことに気づいたんだ」
『ふ、はははは!謝罪か?そんなものはいらぬ、そんなもの、お主らのただの自己満足に過ぎ⋯⋯⋯⋯』
「ありがとう、アシュレイ」
『⋯⋯⋯なんじゃと?』
ヴィヴィアンの言葉に、アシュレイは身構えるかのように身体を強ばらせた。そんなアシュレイの身体を和らげるように、ヴィヴィアンはそっと抱きしめて言った。
「ありがとう、アシュレイ。何千年もの長い間、貴女が邪神の禍々しい力を削ってくれていたおかげで、おれたちは平穏に暮らすことができた」
『⋯⋯⋯⋯⋯⋯』
「守ってくれて、ありがとう。そして⋯⋯愛してくれて、慈しんでくれてありがとう」
『⋯⋯⋯⋯っ』
ヴィヴィアンの言葉に、アシュレイはその瞳から透明な涙をはらはらと流した。その脳裏によぎるのは、遠い昔の光景━━━━
『おねぇちゃぁ、この森は深くてこわいよぅ。なにか怖いものが出そうで嫌だよぉ⋯⋯』
『ふふっ、大丈夫よ!この森にはね、女神様が住んでらっしゃるんだから!女神様が、怖いものを全部追い払って守ってくださるのよ!』
『女神様?おねぇちゃんは、女神様に会ったことがあるの?』
『ないわ!でも、お母さんもおばあちゃんもみんなそう言ってるもの!そうやって、わたしたちを守ってくださってるって。そうして大人になったんだってね!』
『じゃあ、大丈夫なんだね。変なのに襲われたりしないよね』
『もちろんよ。女神様を信じるの。そうしたら、そうね。もしかしたら一度くらい会えるかもしれないわよ』
『うん!わかった。じゃあ、僕も信じる!』
『いい子ね。じゃあ、早く行きましょう!アキちゃんたちも待ってるわ』
『あっ、待ってよ、おねぇちゃん!』
そうじゃ、ここには妾がおる。じゃから童子たちよ、何も心配することなく、心ゆくまで遊んでゆくがよい━━━━
そういって子どもたちを見守るアシュレイの顔は、穏やかに微笑んでいた━━━━
目に見えてアシュレイから発せられる邪気がみるみるうちに消えていく。恨みや悲しみが消えたわけではないだろうが、もうそれだけではなくなったのだろう。
『妾は、妾、は⋯⋯⋯⋯⋯⋯っ』
「⋯⋯昔から、優しい方だったんだね」
『っ、お主、妾の記憶を━━━━』
「へ?ああっ、すみません!なんか、勝手に流れてきてっ」
『⋯⋯やはり、厄介な小僧よのぅ。⋯⋯厄介な力ををもっておる』
「え?あの、いまなんて⋯⋯」
「それはともかく、いつまで抱きついてんだ。ヴィー。だがまぁ、まさかお前にそんな度胸があったとはな。知らなかったぞ」
「うわぁぁぁぁっ!と、トーヤ!」
アシュレイの言葉を聞き直そうとしていたヴィヴィアンは、トーヤの登場に言葉を遮られたどころかとんでもない醜態を晒したことに激しく動揺していた。
「と、トーヤ!いままでどこに行ってたんだよ!色々言った挙句にどっかに行っちゃったし!」
「何を言ってんだ。俺はずっとお前と一緒にいただろ」
『そうよのぅ。其奴はずっと、お主の後ろにおったぞ』
「ええっ!じゃあ、おれ全部トーヤに見られてたのか⋯⋯」
『なんじゃ、見られて恥ずかしいようなことをお主は妾にしたのかえ』
「ちょっ、アシュレイさん待って待って!」
「お前も男だったんだな⋯⋯」
「うわーっ、やめてくれーっ。あっ、そ、そうだ!そういえばさっき、すっごく強い男の人がいたんだ」
「へー」
「⋯⋯その話、もっと詳しく教えてくれないか」
突如聞こえた第三者の声に、ヴィヴィアンとトーヤとアシュレイは声のした方を振り返った。するとそこには、ヴァシュルを含む各国の王族と覇神たちが足並み揃えて立っていた。
一番前にいたのは、この国の王子であるヴァシュルだった。
「ヴ、ヴァシュル殿下!?ど、どうしてここに⋯⋯」
「親父から連絡が入ったんだよ。それでお前たちを追ってここに来たんだ」
「えっと⋯⋯あの、アシュレイは本当は━━━━!」
「わかっていますわ。アリスの力で瘴気の深いこの森を探ってもらっていた時に、途切れ途切れではありますが会話も聞いていましたから」
そう言って前に出てきたのは、セレスティアンス王国第一王女アミィだった。その後ろには覇神であるレオーナが控えている。アミィはアシュレイの方を見ると、両手を前で重ねて深く頭を下げた。
「我々王族の誤りにより、長い間、大変ご迷惑をお掛け致しました。王族として、先祖の過ちを謝罪致します」
アミィの言葉にあわせて、王子たちや覇神たちがアシュレイに頭を下げる。アシュレイはそれを冷めた目で見ていた。
『ふん。今更、お前たちに掛ける言葉も情も持ち合わせておらぬわ。妾はこの地を離れる。もはやこの地に留まる理由などないゆえな。自由となったいま、妾は好きに過ごさせてもらうわ』
「はい、承知しております」
「そっか、アシュレイはどこかに行くんだね」
『そうじゃ。ということで、しばらくはお主に憑いてゆくことにしたのでこれからよろしく頼むのぅ。ヴィヴィアン』
「うん⋯⋯は?ちょっ、ええっ!?お、おれ!?」
『何を呆けたツラをしておる。お主以外におるまいて。なんなら妾もお主と契約を交わしてやるわえ?そしたら堂々と憑くことができるであろう』
我ながら良い考えだというように胸を張るアシュレイに、ヴィヴィアンは頭を抱えた。そして、ちらりとトーヤを見る。その視線を受けたトーヤは事も無げにこう言った。
「お前のお守役が半減するとなるとせいせいするし、いいじゃねえか。使役が増えたとあっては少しは学院のクソガキどももお前を警戒してちょっかいを控えるかもしれねえし」
「⋯⋯せめて後半の言葉を最初に言って欲しかったんだけど。なんかついでみたいに言われた感じがする」
「⋯⋯すまんが、話を戻していいか」
珍しく遠慮がちに言ってきたのは、ヴァシュルだった。何の話だったかと首を傾げていると、シリルがあとを引き継ぐように言った。
「君が会ったという、その男のことなんだ。酷い瘴気で音声しか拾えず、その音声すら途切れ途切れだ。ましてやその男に関しては、音声すら得られなかったんだ」
「お前が会った男ってのは、どんなやつだった?」
「はぁ、どんなって言われても⋯⋯」
見てわかるくらい強ばった表情でこちらを凝視してくるヴァシュルたちに若干引きながらも、ヴィヴィアンは必死に思い出そうとしていた。