不良神、威圧する
和やかな雰囲気を漂わせていたその空間に、ばたばたと慌ただしい足音が割り込んできた。陛下、という兵士の悲鳴にも似た声に、そこにいた全員が何事かと兵士を顧みる。
数多の視線を受けた兵士は、息を切らせながら早々と告げる。
「も、申し上げます!たったいま、“夢幻の森”にて、強大な波動を感知!三千年前に封じられし邪神、アシュレイが目覚めたとの情報が入っております!」
「なんだと!!」
兵士の報告を聞くなり、シルヴェウスは血相を変え、叫んだ。ただならぬその様子に、ヴィヴィアンは身体を強ばらせ、トーヤはその瞳に険を宿した。
「アシュレイ、て?」
「説明しろ、シルヴェウス」
鋭利な視線をシルヴェウスに向けたトーヤは、低い声で問うた。トーヤの強い視線にたじろぎ我に戻ったシルヴェウスは、話すかどうかを迷いながらも、結局は眉間に皺を寄せながら話し始めた。
「⋯⋯夢幻の森に住む邪神アシュレイ。あれは遥か昔から存在する、覇神を忌む邪神だと言われている」
「覇神を忌む⋯⋯」
「⋯⋯邪神」
目を見開いて驚愕ヴィヴィアン以上に、トーヤの動揺は大きかった。愕然とするトーヤを珍しげに見ると、シルヴェウスは話を続けた。
曰く、かつてずっと地の底で眠りについていたのだが、降臨した覇神の芳しい神気を受けて目覚めてしまったのだと。それを聞いた当時の王族と覇神たちが、力を合わせてアシュレイを封じ込めたのだとか。
「彼の神はどうも特殊な磁場を纏っていて、そのまま滅するとその地に大きな影響を与えるという。ゆえに、彼の邪神を鎮め、清浄な気が溢れる森へと封じ込めたのだ。そしてアシュレイという名からとって、その森を夢幻の森と呼ぶようになったのだとか」
「そんなことが⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯あ、で、でも、そんな大事なこと、おれたちみたいなよそ者に話してもいいんですか!?」
しんみりと聞いていたヴィヴィアンが慌ててシルヴェウスに詰め寄った。そんなヴィヴィアンに肩をすくめながらシルヴェウスは苦笑した。
「良い。この神話はうちの民たちですら知っておる。それにこの大事、軽々しく吹聴するほど愚かではないだろう?」
「うぇっ!?そ、それはそうですが⋯⋯」
「おい、なに気色の悪い声を出している。さっさとそのガキどもを連れて寝ろ」
「が、ガキどもって⋯⋯て、トーヤはどうするんだ?」
「ちっと見に行ってくる」
「はぁ!?」
淡々と告げるトーヤに、ヴィヴィアンは思わず叫んだ。シルヴェウスも険しい顔でトーヤを見る。
「やめよ、かつてアシュレイはその暴走で多くの命と大地の循環を狂わせた邪神。恐ろしいほど強大な力を持っているのだ。すぐにヴァシュルとアリスを呼び戻すゆえ、このまま此処に留まれ」
「そうだよ、危険すぎるよ。おれやトーヤじゃ太刀打ちなんてできるわけがないだろ」
「お前が来る必要はねえ。俺ひとりで行く」
あっさりとした物言いにヴィヴィアンは一瞬息を呑んだ。しかし次の瞬間、いままで一度も見たことがないくらい凄まじい剣幕で怒鳴った。
「ふざけるな!!おれはお前の相棒だ!たとえ何があっても、お前をひとりで危険なところに行かせることはしない!!お前がどうしても行くっていうなら、おれも行く!」
この意志は、誰になんと言われようとも譲らない。言葉だけではない、その眼差しや微かに感じる熱意のようなものがトーヤに全力で訴えかける。そしてその強い意志が、トーヤの心を動かした。
「⋯⋯チッ、仕方ねえな。いいか、俺から離れるんじゃあねえぞ。探してやらんからな」
「トーヤ」
目に見えてぱぁっと明るい顔をするヴィヴィアンを苦々しげに見ると、踵を返してその場を立ち去ろうとする。向かうは、荒れ狂う力の奔流する森だ。
席を立ち上がったヴィヴィアンと出ていこうとするトーヤに、シルヴェウスが厳しい声で言った。
「ならぬ!行かせはせんぞ。相手は生半可な力では太刀打ちできぬ化け物なのだ。様子を見に行くなど、みすみす死にに行くのと同義である。そんな事は断じて認めることはできん!この国の王として命じる、ここから出ることは赦さん、この場に留まるのだ!!!」
国を背負う王として、民を守る王として、凄まじい威厳を纏うシルヴェウスにヴィヴィアンは身体を強ばらせた。しかし、トーヤには通じない。トーヤはシルヴェウスの気迫に怯むことなく、むしろシルヴェウス以上の威厳と迫力を纏わせて冴え冴えと言い放った。
「⋯⋯赦さない、だと?笑わせる。俺は貴様の臣下でも民でもない。ひとではない俺が、なぜひとの王の命令なぞ聞かねばならんのだ。⋯⋯履き違えるなよ人間。俺と貴様は対等ではない。貴様ごときの命令で、この俺を従えられるなどと思うな!!!」
ズドォォォォンとトーヤの言葉に同調するように雷が落ちた。それが、人間たちの恐怖を煽る。
見た目の幼さに反した、その刃のような鋭い眼差しと、纏う気配が尋常ではないほど苛烈で恐ろしかった。シルヴェウスや、兵士たちは、我知らずにトーヤを畏れ、微かに身体を震わせていた。
硬直するシルヴェウスたちを一瞥すると、身を翻してその場を立ち去った。ヴィヴィアンは泣きわめくゲオルグたちを宥めすかせると、シルヴェウスに一礼してからトーヤを追って出ていった。
シルヴェウスは、縋り寄ってくる子供たちの頭を撫でながら、言い知れない恐怖を抱いて言った。
「⋯⋯あれは、何者だ。精霊の突然変異などではないな。あの気迫、凄まじい威厳、どれをとっても只者ではない。やれやれ、我が息子も、とんでもないものたちを友にしたものだ」
苦笑しながらも、シルヴェウスは未だに震える己れの手を握り締めたのだった。