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市松小澄、空手編。

 そうして小澄は空手着に身を包み、格技場にいる。

「しかし、いざこうしてみると……」

 恥ずかしいもんだ、と小澄は眉根を寄せた。

 ちらりと背後を覗けば親友とその義兄、お行儀のよいことに二人そろって正座をして、こちらに熱い視線を注いでいる。やれやれ。小澄はバシュッと道着の裾を鳴らして下段払いから正拳を放った。「ほう」と義兄――葛生の感嘆が聞こえてくる。

 今日はウィッグをかぶって女の子であるのだが、もしかして今、はじめて本当の自分に興味を持ってもらったのかもしれない。とたんに羞恥が薄れ、嬉しくハイになってくる。もう二発正拳を撃つと、締めに頭上高くまで前蹴りを放った。人一番柔らかい股関節のおかげで、小澄は相手の顎に爪先をあてても、そこからなお蹴りあげることができる。その瞬間の美しさは誰にも負けない。

「おい、市松! 一年のくせに勝手に締めてんじゃねぇ。他が真似するだろうが」

 二年の新部長が隣でがなり声をあげた。

 ごめんなさいと素直に詫びても、ケッと吐き捨てられてしまう。彼はこの前、二段の試験に落ちた。小澄は中学の頃に昇段済で、一年生で副部長という異例の大任を受けていた。それが気にいらないのだろう。彼との日々のやりとりからひしひしと伝わってくる。

 男の嫉妬は醜いなと溜息をついた。でも今日ばかりはうまくやらねば。親友が格好いい小澄さんを見せるために、義兄をここまで連れてきてくれたのだ。

 女の子としての市松小澄は十人並だけど、こと空手に関して言えば最強を自負している。道場の娘なのだ、伊達に三歳から拳の固め方を教わっていない。今日は月に一度の試合形式の稽古で、新部長には悪いが、彼も含めて全員ぶっ倒してやると心に決めていた。あの人を惚れさせるためには、このくらい無茶をしなくちゃ駄目だ。己の格好よさを武器するなら、もうこれしかないと腹をくくっていた。

 これから二時間の間、一年も二年の先輩も、引退したくせになぜかやってきている三年のOBも相手にして全員勝ち抜いたならば、葛生に告白する。もちろん女の子として。

 そうして、中性的でミステリアスな〝キサラギ〟とは今日でおさらばだ。

 邪気眼なんて、もうやめるんだぁ!

 ――と。

「なぁ、今日は余計なやつが見学にきてるよな」

 新部長が突然、そんな声をあげた。

「不良の並木君が、空手部になんの用かね。そろそろ三年になるって時期に、まさか入部したいとか? そんな馬鹿な話はないよなぁ」

 彼は周りの部員たちを扇動する仕草でぐるりと見まわす。

 つられて視線だけ追いかけると、意図を察したらしき男子部員たちが途端ににやにやと腕を組みだした。

 あれ、これはちょっとまずいかな、と思った。葛生と新部長、二人とも二年生という符号に今さらながらひっかかる。

「じゃあ、なにか。俺たちに喧嘩を売って、ハクでもつけようってか」

 言って、新部長は見学の二人に近づいていった。

 まずい、これはまずい。まずいまずいまずい。

「前から気にいらなかったんだよ、並木葛生。本当は弱ぇくせにデカイ顔しやがってよ」

 誤解だ、と葛生は立ちあがりかけたが、「神聖な道場に不良がきてんじゃねぇよ」と足蹴にされてしまった。彼は床に手をついたものの、応戦してその手を振りあげる真似はしない。それを見てとった新部長はますます口元を歪め、もう一方にむきなおった。

 慌ててとめに入ろうとしても、時すでに遅し。

 次の瞬間には、親友が「きゃっ」と声をあげていた。

「てめーが、このクズを連れてきたのか? 彼氏に道場破りでもして欲しかったのか?」

 学校の人間は誰も、彼女と並木葛生が兄妹として一緒に暮らしていることを知らない。両親の死も伏せ、旧姓のままでとおしている。新部長が誤解をしているのはそれが理由で、蹴られた彼女をかばった葛生の行動についても、誰もが誤解しただろう。

 小澄は今度こそとめにかかったが「女は黙ってろ!」と新部長に突き飛ばされてしまった。

 ……今、ここで全員叩きのめしてやろうか。

 こうなれば先輩も後輩も関係ない。せっかくドリル子がお膳だてしてくれたこの場をぶち壊してくれやがって。これまで部活では自己主張を知らない女の子を装ってきたが、それも今日で終わりだ。全身の骨をぶち折って、二度と空手ができない体にしてやろう――と頭に血をのぼらせていたところ。

「あん? やるのか、並木」

 葛生が立ちあがっていた。

「いや、確かに二年のこんな時期だがね。体験入部をしたいと思ってたんだ」

「へえ?」

「今日は試合形式でやるんだろう。混ぜてくれよ」

 鼻を鳴らして新部長が笑った。

 意を汲んだ一年どもが手早く格技場の扉に鍵をかける。これで気まぐれに顧問がやってきたとしても、体裁をとりつくろう時間は稼げるというわけだ。一方で、葛生たちは逃げることができなくなった。

「……おれは空手を知らないんだが、いいか?」

「問題ないさ。他流試合っつーやつだ。クク、まさか人の殴り方も知らないってわけじゃあるまい」

 こうして、空手部VS謎の拳法使い並木葛生の戦いの火蓋が切って落とされたのである!

 ……って、あれ?

 あれれ?

 小澄は振りあげかけた拳をそのままに、今更ながら自分の出番を奪われたことに気がついたのだった。

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