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葉山冬火、荒ぶる。

 はじめて顔をあわせた喫茶店の同じテーブルで、葉山冬火は片手に煙草をともして、小澄とドリル子を交互に流し見ていた。

 紅の口元には薄い笑み。灰を落とすその仕草はとても優雅で、紫煙に混じったかすかな香水の香りが大人の雰囲気を感じさせた。

「この度は、ありがとうございました」

 小澄は頭をさげる。

 この人と出会えていなかったなら、自分は未だに心に恥ずかしい病を抱えたままであったろう。〝如月秀作〟はもういない。〝ハートレスエッジ〟の二つ名ももう必要ない。

その代わりは隣にいる親友と、その義兄が温かく埋めてくれた。

「あなたが発破をかけてくれたおかげで、本当の自分で並木さんとむきあえるようになりました」

「いや、なに」

 微笑とともに短く応えた彼女に、ドリル子が言葉を重ねた。

「わたしからもお礼を言わせてください。この不器用な小澄を助けてくれたことも、あの不器用なおにいちゃんを今日まで支えてくれたことも、感謝してもしきれないくらいです」

 冬火さんは煙草をおくと、湯気を漂わすブラックのコーヒーに口をつけた。紅が残ったカップのふちをそっと親指でぬぐう。胸が強調されたタートルネックのセーターが今日も彼女の妖艶さを際立たせている。自分もこんな大人になれたらな、とぼんやりと考えていたところ。

 ぽろぽろと。

 その長いまつげの下から、大きな涙の粒が滴り落ちた。

「え? ええ?」

 泣いてる! この人、なんで泣いてる?!

 彼女の手が再び煙草を掴んで、しかしその色鮮やかな唇には運ばれず、そのままぶるぶると震えた。

「ど、泥棒猫……」

 はじめは消え入りそうな声だった。だが、それは次第に大きさを増し、他席の客を振りむかせるまでになる。

「六年だぞ……! いいか、ここまでくるのに六年もかかったんだ! あいつが毛も生えない小学生の頃から手塩をかけて育てて育てて、ようやく私好みのイイ男になってきたってところだったのに! とーかさん、とーかさんって今でも私を下の名前で呼んでくれる可愛いやつだったのに! 虫がつかないよう、学校にうちのベンツで乗りつけて見張ってもいたのに、それなのにどうして、こんなぽっとでのホモ女に掻っ攫われないといけないんだ!!」

 魂の叫びだった。

 いや、なにを言ってるんですか、あんたは!

 あとベンツで乗りつけてって、もしかして葛生の不良の誤解は――この話の元凶はあんただったのか?!

「ええと……あの時、勝負だって言ってくれたのは、あたしの背中を押してくれるためでは」

「んなわけあるか、この胸なしが! 絶対に勝てると思って話したんだよ! ぶち殺すぞボケがぁ!」

 なんだか、こっちが泣きたくなってくる乱れようだった。

 ぐすぐすと鼻をすすりながらも、彼女は一向に涙をぬぐう様子を見せない。大の大人が化粧がはげるほどの勢いで泣いてるなんて……もうやだ、なにこれ……。

「私はもう二十四なんだぞぉ……? あいつが大学までいって、卒業するのを待って、結婚するつもりだったんだ……。三十になるまでに仕事を辞めて、幸せな家庭を築くって決めてたのに。子どもは二人がいいな、いやいや三人がいいな、それならやっぱりクズくんが大学生のうちに結婚しておくべきかなって、そんな夢を見ることだけが私の救いだったのに……」

 隣のドリル子を見やれば、だばだばとコーヒーを胸元にこぼしており、かつそれに気づいていない。茶色い染みがどんどん広がっていくのをとめたいと願ったが、余計な口を挟める状況でもなかった。

 ここにあるのは悲しみだ。深い悲しみが三人のテーブルを重たく包みこんでいる。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。

 気づけば小澄は頭を抱えて、なんだか陸にあがった亀のようになっていた。

「謝れよ……」

「す、すみません……」

「もっと大きな声で謝れよ!」

「ひぃ、ごめんなさい!」

 悲鳴混じりの絶叫が店内に響き渡った。

 いい加減、そろそろ誰かとめにきて欲しい。店員さん? この中に勇気のある店員さんはおりませんか?

 しかし現実は非情である。店内の誰もが口だしをできずにじっと成り行きを見守る中、遠くにあるはずの時計だけが長らく針の音を刻んだ。

「まぁ、自分から仕掛けた勝負だ……。今さらかえせとは言わんよ」

 ようやく紡がれたその言葉に「そ、それでは」と小澄は目を輝かせた。

 赦されるのだろうか。親友もがくがくと首を縦に揺らしている。

「六年だ」

 え?と少女二人の声がそろった。

「これからの六年、覚悟しておけよ。私がクズくんに使った時間をそのまま、おまえらへの復讐に注いでやる」

「お、お許しはでないんですか?!」

「それは今後次第だな」

 ぐしぐしと服の袖で目元をぬぐうと、アイラインがにじんで、葉山冬火の素顔が垣間見えた。二十四歳という年齢は自分たちよりもずっと大人だとばかり思っていたが、未だ少女の面影を残している。復讐だとか、泥棒猫だとか、胸なしだとか、ホモ女だとか……クソ、いくらなんでも言いすぎじゃねぇか。もとい、そう蔑まれたばかりであるが、なんだか急速に親近感が湧いてきた。意外と五年先の自分たちもこうして同じテーブルを囲んでいるのではないかと、そんな未来までも思い描いてしまった。

「今後、というとなにをしていけばいいのでしょう」

 と小澄が言うと、隣のドリル子が「な、なんでもしますから!」とつけ加えた。こいつ、余計なことを……。その台詞で何人のイケメンが、薄い本の中であんなことやこんなことをされてしまったか、よく知っているだろうに。

「さて、とりあえずのところは、これかな」

 どこからともなく取りだされたのは二本のドラムスティック。

 そういえば、小澄たち四人はコピーバンド大会でぶっちぎりの優勝を果たしていたのだった。オリジナルをやればデビューの可能性もあるとかないとか、そんな話も進行していたはず。

「あの大会は我が社の企画でね。優勝者のプロデュースは、私に一任されている」

 ……あの日、審査員一同が彼女に頭をさげていたのは、これが理由だったのか。

 なんてやつだ。ガチの出来レースだったんじゃねぇか!

 カレシがバンドマンっていうのもいいなと思っていたんだよ、と笑う冬火さんは先までの醜態などどこ吹く風で、まさか担がれたのではあるまいなと疑ってしまう。あるいは葛生のことは全然諦めてなどいなくて、本当の戦いはこれからなのでは?

 ともあれ、一世一代の勝負が終わったあとでも物語はつづくようで、なればせめて楽しい思い出をつくっていきたいものだ。

 次の週末には葛生も呼んで、また四人で練習をしよう。隣で喧々諤々、音楽の話をはじめた二人を眺めながら、市松小澄はそっと次のステージへ拳を握ったのであった。

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