第三話 情報共有
大の男がようやく3人並べる程度の狭い通路。壁や天井には大小様々な無数の配管が設置され、リノリウムの床を含めた全てが薄い灰色で統一されている。等間隔で設置されている赤色の消火設備が無機質さを更に印象付けていた。見た目などには一切気を使わず、要求された条件下で極限まで合理性を突き詰めている。
まさに軍艦の通路である。
そんな通路を僕は中尉の階級章を付けたNPCの乗員に先導されて歩いていた。後方にはリセと参謀長が並んでおり、両者とも僕に付き従って歩を進めている。
やがてNPCの中尉は第三会議室と書かれた扉の前で歩みを止めた。
「こちらが第三会議室であります」
案内を終えた中尉に礼を言い、僕と参謀長とリセの3人は第三会議室に入ると、既にそこには2人の人間がいた。
第三会議室は5m四方の小ぶりな部屋であり、部屋の中央に白い長テーブルとその両側に10脚ずつ椅子がある以外はこれといった特徴のない部屋だ。
テーブルの片側に並んで座っている2人の人間は、それぞれローブと全身鎧を身に着けていたが水に濡れており、両名共に疲労感を顔に滲ませている。全身鎧を着ている者に至っては今にも倒れてしまいそうなほど顔色が悪い。
彼らは部屋に入ってきた僕たちを見ると、1人が凭れ掛かる様に座っていた椅子から立ち上がった。もう片方は立ち上がる気力すら残ってなさそうだ。
そして立っている者も気力を振り絞ってなんとか立っているような有様であり、この状態の人間を立たせておくほど僕は無情ではないつもりだ。
「無理して立たなくても結構です。座って話しましょう」
僕がそう言って彼らの対面の席に座ると、彼らもドサリッ、と倒れこむように座った。参謀長は僕の右に座り、リセは席に座らず僕の後方に立った。
さて、挨拶でもしようかと思ったタイミングで扉がノックされる。コンコン、というお上品なものではなく、鉄の扉をたたくガンガン、という音は軍艦なので仕方ない。
「ローディグ中尉です。お飲物をお持ちしました」
どうやら先ほど案内してくれたNPCの中尉が気を利かせて飲み物を持って来てくれたらしい。別れてから1分も経っていないのにどうやったら飲み物を持ってくることができるのか極めて謎だが、まあ、どうでも良い。
僕が入室の許可をする前にリセが扉の前に移動し、扉を開けて中尉からコーヒーカップの載ったお盆を受け取っていた。
ノックと同時に歩き始めていたので、恐らくリセが予め飲み物を用意するように言っておいたのだろう。用意されたカップは2つであり、あとはお代わり用のコーヒーサーバーがあるだけだ。室内にいた2人には、僕たちが来る前に飲み物を出されたようで、既に各々の前にカップが置かれている。リセがカップを配り、空いているカップにコーヒーを注ぐのを待って口を開く。
「まずは挨拶でもしましょう。
私は魔王城攻略作戦第二方面艦隊司令長官トロンマロン、私の右にいるのは参謀長のLord James、後ろに立っているのは副官のリセです」
本名を言うか迷ったが、リセもいるし、ゲームだった時と同様にプレイヤーネームで自己紹介を行った。僕の自己紹介が終わると僕の対面に座る水を吸って重そうなローブを着ている男が挨拶を始める。
「私は第二方面軍司令部参謀長のswiftfist、こちらは第一方面軍第三軍司令官のreisです。混乱の中での救助、感謝いたします」
swiftfistがそう言うと隣のreisも疲労困憊だろうに礼を言ってきた。
「いえ、友軍として当然のことです」
僕が無難に返答すると、swiftfistは僅かに笑みを浮かべてもう一度礼を言った。
この2人は現在救助されている者の中で、各方面軍での最高位の人間である。お互いの知っている情報を確認するために、わざわざここまで来て貰ったのだ。
この2人の様子を見る限りもう少し休ませてあげたい気持ちもあるのだが、今はそんな悠長なことを言ってられる状況でもない。2人には悪いが知っていることを聞かせて貰おう。
「お疲れのところ申し訳ないのですが、まずは情報交換を行いましょう。
我々の状況ですが ――――――」
そうして情報交換を行ったが、あまり喜ばしい成果は上がらなかった。
彼らの話を聞く限り、クエストクリア後意識を失って気づけば海に落ちていたらしい。
クエスト中も特に変わったところはなく、当初立てられていた作戦は順調に進み、魔王も無事に討ち取ることができたそうだ。
彼らの場合、海で遭難することでこの世界が仮想空間ではなく現実世界だということを強制的に自覚させられたようだ。また、HPやSP、MPは明確に数値として存在してはいないようで、HPは体へのダメージ、SPは持久力と気力と言ったように、ステータスに表示される数値ではなく感覚で把握するしかないらしい。
MPに関しては更に分かりにくくなったようで、体の中にあるファンタジックでスピリチュアルなエネルギーが魔力であり、その増減は五感に次ぐ新たな感覚機能と言っても良い独自の感覚とswiftfistに説明された。
ステータスの魔力値が高いほどハッキリとその感覚を掴めるらしいのだが、ゴミステータスの領主職では全く分からなかった。この辺の事情に関しては長年この世界で暮らしてきたと思われるNPCのリセに詳しく聞いてみたところ、MPに関してはその解釈で正解らしい。
リセがNPCであることなどを2人に説明すると、少し驚いたがそれだけだった。救助されてここに案内されるまでに多くのNPCと接してきたのだから、既にNPCが生命体としての人格を保有していることなど分かっていたのだろう。
一通りの情報交換が終わった後、この際だからとリセに対し、ゲームだった頃とこの世界との違いに関して検証を行うことになり、様々なことが分かった。
ゲームの公式設定で、プレイ時間の30倍の時間がゲーム中で経過しているというものがあった。このヘンテコな設定はRPGと領地育成を一つのゲームにしてしまった弊害だ。
通常、領地育成は現実でやったら数十年、数百年単位の時間がかかってしまうものである。なので一般的な領地育成ゲームはゲーム内の経過時間を早める機能があったり、時間をスキップする機能があるなど、ゲーム内時間の短縮機能は必須と言っても良い。
そのため領主職が存在するセラフィアでは、RPGでは必要のない設定が盛り込まれているのである。そしてこの世界ではその設定が適用されるようで、元の世界で1年経過している時、この世界では30年の時が経っていたらしい。
また、ゲーム時にあった出来事はきちんとこの世界でも起こったらしく。三度の大戦や魔王城攻略作戦の発動など、この世界の時系列でも存在したそうだ。プレイヤーの扱いに関しては、ゲーム中での扱いがそのまま引き継がれているらしい。
リセが言うには、僕とリセはゲームのサービス開始時である元の世界だと10年前、この世界では300年前に出会い、それからずっと一緒にいるそうだ。
リセから聞いた話を纏めると、僕たちはゲームの頃と全く同じ立ち位置でゲームに極めて酷似している世界にプレイしていたキャラクターの装備を引き継いで転移したらしい。
もう、なんというか、訳が分からない。
しかし現実に起こっているのだから仕方がない。
ある程度の情報が出そろったところで今回の会合は終了した。2人には部屋を用意して本艦に残って貰うことにする。
僕がもう椅子から立てそうにない2人を、人を呼んで運ばせるようリセに言おうとしたところで艦内電話が鳴った。
リセが素早く電話に出て、少しの遣り取りの後、僕に受話器を渡した。電話をかけてきたのは通信参謀らしい。
「どうした?」
僕が受話器に問いかけると、受話器越しでも明らかに慌てていると分かる声が返ってきた。
『ち、長官、総司令部から通信が入りました!
直ちにCICに戻ってきてください!!』
「分かった、すぐに向かおう!」
僕はすぐさま返答して椅子から立ち上がる。
「参謀長、総司令部から通信が入った。すぐに司令部に向かうぞ!
お二人は随分とお疲れのご様子、今は我々が問題に対処しますので、ゆっくり体を休めて下さい。
リセ、swiftfistさんとreisさんに部屋を用意してそこまで運んで欲しい。できれば世話役の従卒を1人ずつ付けてくれ」
全ての言葉を扉に向かって歩きながら話し、リセへの指示が終わると同時に第三会議室から出た。後ろからは参謀長が慌ててついてきている。
魔王城攻略作戦総司令部は魔大陸には設置されておらず、セラフィア世界の政治的中心地である世界最大の超大国ベニスエフ連合王国王都ファイユームに設置されている。その司令部からの通信ならば、海上にいる我々にとって有益な情報を得られるはずだ。僕は無駄に長い通路に苛立ちを感じながらもCICへ急いだ。
僕がCICに到着すると、待ち構えていた通信参謀に出迎えられた。
「お待ちしておりました、長官。早速通信をご覧になってください」
電話の時に比べて幾分か落ち着きを取り戻した彼は、総司令部からの通信を艦隊司令長官席に近いディスプレイの一つに映した。
するとそれまで空域地図を映していたディスプレイに、『魔王城攻略作戦総司令部』と最初に記載されている命令文が映し出された。
『魔王城攻略作戦総司令部より同作戦第二方面艦隊司令長官に命じる。
現在、我々は極めて不可解な現象に遭遇しており、この現象の解決は困難である。
さらに魔大陸に侵攻していた全部隊が魔大陸外周部に不可解な転位をしたことで、陸上戦力が極めて大きな影響を受けている。
第二方面艦隊は海上にて遭難中の陸上部隊の救助を最優先目標とする』
そこに書かれていたのは極めて大雑把な現状説明とただの救助指示であった。総司令部も混乱しているのだろうし、仕方ないと思う反面、もう少しキチンと仕事をして欲しいと思わなくもない。
「随分と大雑把な通信内容ですな。まるで現状をほとんど把握できていない者が書いているかのようです」
通信参謀が顔を顰めつつ言うと、参謀長は同意するように苦笑いを浮かべる。
「確かにそうだがね。どちらにしろ、今やることは変わらないよ」
参謀長はその表情のままそう言って肩をすくめた。参謀長のゆるい仕草に通信参謀の眉間の皺もややほぐれる。
それから救助活動は進み、ちょうど日付が変わったところで救助は完了できた。数百万人もの遭難者たちは第二方面艦隊の物量による救助作戦によって救われたのだ。
その後、第二方面艦隊司令長官トロンマロンと第二方面軍司令部参謀長swiftfist、第一方面軍第三軍司令官reisの連名で異世界転移をした現状を艦内放送で説明した。
これによる混乱は当初想定されていたものよりも遥かに小さかった。おそらく誰もが生理現象やNPCの反応など身を持って体感していたためだろう。
そして次の日の正午、全地域の救助活動が一段落ついたようで、総司令部は通信により魔王城攻略作戦の一応の終結を宣言し、参加兵力の解散を命じた。
解散対象にはもちろん自分たち総司令部も入っており、総司令部は事実上、事態の収拾を放棄したのだ。
これは混乱の規模があまりに大きく、総司令部がパニック状態に陥ったこともあるが、総司令部の人員がこのような事態の中、自分たちの本拠地に一刻も早く戻りたかったのが最大の原因だろう。
現場にいる各方面軍の司令部は完全に事態が収拾していない状況で、一方的に作戦終結が宣言されて総司令部が解散されたことに不安を覚えた。
しかし誰もが自分たちの拠点に一刻も早く帰還して現状を把握したかったので、各方面軍は無責任な総司令部に不満を持ちつつも、それぞれの方面軍に設定された母港に帰投した。
リノリウム:床の材質。ありきたりな素材。詳しくはググってほしい。
中尉:軍隊の階級。一応幹部クラス。でも幹部の中では下っ端ポジション。小隊長とかやってそう。
大戦:プレイヤー達がやらかした大きなけんか。