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第二十三話 悠久の翼

いやー就活ってツライね!

『要望書

ギルド悠久の翼(以下“甲”と称す)は、トロンマロン侯爵(以下“乙”と称す)に下記の通り要望する。

[1] 甲と乙は、どちらかが外部からの軍事的干渉を受けた際、相互に軍事力を提供し合い、両者の国土および権益を保護する。

[2] [1]の際、軍の指揮権は、戦場となった地域に近い方を優先とする。

[3] 甲と乙は、互いの領土を健全に維持成長させてゆく為に、物資窮乏時において必要物資の無償提供を行う。

[4] 甲と乙は、互いの連携をより円滑な物とする為に、内政情報を共有する。

[5] 甲は、乙を副ギルドマスター待遇で受け入れる。

[6] 現実世界に帰還した際、甲は乙を最大限賛美する』



「――― どうですかね?」


 提示された要望書にこちらが一通り目を通した所で、対面に座る少年が感想を訊ねてきた。


 駄目じゃないですかね?


 まず心に浮かんだ一言だが、これをそのまま伝える訳にもいかない。できればもう少し考える時間が欲しいところだ。

 僕は困ったように顔をしかめて、とりあえず一呼吸置く事にした。



 現在の場所はトロンマロン城第二会議室、円を描いて対面するように3列ずつのU字型机がそれぞれ配置された大型会議室。

 本来であれば、数十人規模の二つの集団が、会議を行うために用意された部屋だ。


 しかし現在、こちら側には僕とリセ、ディーナの3人しかおらず、対面側には50人を超えるお客さん(てき)

 シェシュもいたのだが、彼女は兄のアルを呼びに行っており、もう1時間は経つのだけどまだ来ていない。

 恐らく例の事♂件以来、あらゆる人間に対して心を閉ざしているアルがゴネているのだろう。


 こんな事なら、いざと言う時のことを考えてシェシュにアルを呼びに行かせるべきではなかっただろうか?

 神聖毬栗騎士団ギルマスのティーガーや他の幹部連中という選択肢もあったが、出来ればあまりことを大事にしたくなかった。

 いや、いまさらそんな事を考えても仕方がない。

 

「…… どう、と言われてもね。

 率直な感想は、対等な条件とは言えない、ということかな」


 僕の答えがお気に召さなかったのか、あちら側の後部座席がにわかに色めき立つ。

 しかし、目の前の少年が抑える様に手を挙げると、ざわめきは瞬く間に収まった。

 

「なんだか誤解があるみたいな感じですね」


 そう言って少年、領主ギルド『悠久の翼』ギルドマスター世紀末覇者は、屈託なく微笑んだ。

 その顔には何故だか見覚えがあるが、どこで見たんだっけな?

 まあいい。


 悠久の翼と言えば、1ヵ月くらい前に僕を副ギルドマスター待遇で勧誘してきた新興領主ギルド。

 メンバー数50を超え、転移前は新進気鋭と言われた彼らだが、元々が地力の低い弱小領主の集団故、転移の混乱にかなり苦戦しているはずだ。


 そして、そんなギルドのメンバー全員が、何故僕の対面にいるのか?

 答えは至って単純。


 なんか押しかけてきた。


 この言葉に尽きる。

 飛び込み営業が如く事前通達なしでの訪問、そして一方的な交渉要請。本来ならば門前払いだが、そこは小国にも匹敵しうる大規模領主ギルドの影響力。

 流石にメンバー全員での訪問を追い返したら角が立つ。

 誠に遺憾ながら、僕は彼らの要請を受け入れざるを得なかったわけだ。


 これほどの数の領主が簡単に出歩けるようになったのも転移のおかげだろう。

 転移前だと所持金の1%損失というデスペナルティ―が怖くて、領主は滅多な事では自領の外に出られなかったのだから。

 いやはや、時代は変わったんだなぁ。


 その結果が現状である。

 突然開かれた会談にこちら側の出席候補者は尽く出席できず、さらに僕の判断ミスも重なりシェシュが減り、50対3という、なんとも寂しい光景が誕生することになった。

 まあ、なってしまったものは仕方ない。

 本来ならこのような場面こそが出番な筈の外務卿が、生産系のご当地ギルドである大毬栗帝国商工連盟の要請で、空中都市ブレイザまで出向している事も仕方ないのだ。


 まったく、ドブネズミがやってくれるじゃないか!

 

「誤解、ね。

 僕には、こちらが一方的に不利な条約に見えるけどな。

 そもそも以前、そちらの勧誘は断った筈だけど?」


 そう言って対面の世紀末覇者をやんわりと睨みつける。

 うーん、やっぱりどこかで見たことあるんだよなぁ。

 うーーーん…… いいや、今は気にしないでおこう。


 それよりも有事における戦力の相互提供、経済の相互支援、内政情報の共有。

 一見、対等の条件にも思えるが、それはお互いの国力が拮抗している場合だけだ。


 会談前に外務部から渡された悠久の翼に関する資料によれば、彼らの国力は僕と拮抗しているとはお世辞にも言えない。

 全ギルドメンバーの国力を結集させたところで総人口1200万人、総面積35万㎢、領内総生産30兆イェン、総軍事費3兆5000億イェン。

 精々が下位のランカー領主と言ったところか?


 元が総合ランク6000~7000程度の中小領主だと考えれば、下位とはいえ総合ランク100以内のランカー領主に匹敵することは称賛に値する。

 だが、僕の国力と比較すると、およそ30分の1に過ぎない。

 ここまでの国力差だと、条約内の各相互扶助もこちらからの一方的な持ち出しになるだろう。


 それに情報共有で得られる彼らの内部情報にも興味はない。それなのに、僕にはテレビ・ラジオ事業や大規模軍拡などの隠したい情報が沢山ある。

 副ギルマスになる気は全くないし、この条約は僕にとって、とてもじゃあないが割に合わない。

 彼らには気の毒だけど、現在の情勢で寄生させてやるほど僕は甘くないのだよ。

 

「ええ、前回断られたからこそ、今回はこうして俺達全員でお願いしに来たんですよ」


 誰が来ようと断るけどね!


「確かに僕たちの要望書は、今の段階ではいがぐっ、トロンマロンさんに僕たちが助けて貰うようになってます。

 ですが条文にもある通り、その恩返しは元の世界に戻ってから必ず行います」


 世紀末覇者は一旦、区切り良く口をつぐんだ。

 お前、毬栗って言いそうになっただろ?

 別に良いけどさ。

 というか、元の世界に戻ってからと来ましたか、そうですか。

 僕が反応を返さずにいると、彼は再び口を開く。


「少し前にニュースにもなったから知ってるかなぁ?

 実は俺、元の世界ではちっちゃいですけど会社の社長やってるんですよ。

 恥ずかしいですけど、周りからは新進気鋭の若社長、なんて言われてます。


 まあ、なんで金銭的なお礼の方も、それなりに考えてます。

 そうだなぁ…… 俺だけでも5000万円ほどは出せます。

 ギルメンからもそれなりに出させますし、実名と住所込みで誓約書も書いて良いですよ!」


 ああっ、思い出した!


 はにかんで頬を僅かに赤らめる世紀末覇者の顔を見て、僕はようやく彼のことを思い出した。

 そう言えばテレビで見たことあるよ。

 確か、旧帝大の経済学部に9歳で入学して13歳で博士号をとった天才カリスマ社長、だったけな?

 なんとなく、野心凄そうだなー。


 しかし5000万円か…… 5000万円か………… 5000万………………

 いや、でも、転移の原因が未だハッキリしてない現状、元の世界に戻る目途は全く立っていない。

 そんな中、大量の国力を他人の領地に費やすのは駄目だろ、常識的に考えて。


 それに今は非常時だ。それに異世界でもある。

 こんな状況下で誓約書を取り交わしたところで、元の世界では何の法的拘束力も持たない。

 そもそも元の世界に戻る際、どのような形で戻れるかもわからないのだ。

 そんな不安定な契約、ありえないだろ!

 詐欺かよ!?


「いや、申し訳ないが今回の件は遠慮させて貰おう」


「………… そうですか」


 提案を拒否した途端、それまで年相応の快活な笑顔を浮かべていた世紀末覇者の表情が固まった。

 

「理由を聞いても良いですか?」


「ああ、まず第一に、君たちが我が領の事をどう思っているのかは分からないが、外部との大規模な交易が断たれている現状、我が領に他領を支援する余裕はない」


 嘘だけどね。実際は割と余裕がある。ただ、この混乱が何時まで続くのか分からないから、無駄遣いは出来ないのだよ。


「第二に、そちらが提示する対価、元の世界に戻った際の報酬だが、現状、法的拘束力のある契約は難しい。

 今は非常時故に、その時になって契約は無効だと言われたら、こちらはそれまでだ。

 以上のことを考えて、君たちの要請は僕にとって極めて不公平なものだと判断した」


 僕がそこまで言い切ると、世紀末覇者は少しの間、俯いて考えるそぶりを見せた。

 彼はいったい何を考えているのか。

 恐らく碌でも無いことだろう。


「毬栗さん、毬栗さん」


 不意に僕の隣に座っていたディーナが、小声で僕に話しかけてきた。

 神妙な面持ちの彼女からは、ちょっと暇だから世間話をするような雰囲気は感じられない。

 何か気になる点でもあったのだろうか。


「どうした?」


 僕は悠久の翼側に話し声が漏れないよう、体をディーナ側に傾ける。

 ディーナも僕に合わせる様に、耳元に唇を寄せてきた。

 僅かに感じる彼女の吐息が少しくすぐったい。


「私の実家、お金持ちです」


 えっ。


「えっ」


「5000万なんてけち臭いことは言わないわ」


 お、おう。


「お、おう」


「子供は2人が良いわ」


 頬を染めて恥じらうディーナに僕は苦笑いしか返すことが出来なかった。

 彼女が何を言いたいのかは分からないが、これだけは言える。

 僕は子供が3人欲しい。女二人に男一人が理想。


 僕とディーナが下らないやり取りをしていると、やがて考えが纏まったのか、世紀末覇者は顔を上げた。


「いがっ、トロンマロンさん―――」


「毬栗で良いよ」


「――― 毬栗候、あなたは俺達弱者を見捨てるんですか?」


 顔を強張らせながらも吐かれた言葉に、会議室の空気が一変した。

 いや、正確に言ならば、彼の背後にいる悠久の翼の面々から発せられる雰囲気が変わったと言おうか。


「話の趣旨が変わってないかい?

 先ほどまではそういう話ではなく、単なる条約の締結交渉だった筈だけど」


 とりあえず空気を元に戻すことを試みるが、一度変わってしまった空気は全く戻る気配を見せない。


「いえ、要請が受け入れて貰えないことは、俺たちの領地が亡びることと同義です!」


 マジで!?

 そこまで追い詰められているのか!!?


「そこまでの状況なのかい?

 現状、他所の領地に侵攻する輩はいないと思うし、中小領主と言っても君たちの大半は草食系なんだから最低限の自給自足は出来るだろう」


 大変な非常事態である現状、他領に侵攻する馬鹿はいないだろうし、現にそのような報告は外務部からも軍事部からも届いていない。

 それに悠久の翼は草食系の中小領主が集まってできたギルドだ。

 中小なので領土ごとに資源の偏りはあるだろうが、ギルド内での交易で十分自給は出来る筈だ。

 贅沢さえしなければ領土育成もこれまで通り可能だろう。


「確かにそうですけど、でも、こんな状況でこれから何があるか分からないじゃないですか!」


 悲壮感さえ感じさせる世紀末覇者に釣られたのか、今まで黙っていた他のギルドメンバーも口々に騒ぎ立てる。


「そうだそうだ!」

「弱者を見捨てるなー!」

「謝罪と賠償を要求するニダ!!」

「無慈悲な鉄槌だー!」


 いや、そんなこと言われてもね。


「俺たち領主は、領地が無くなったら生きていけないんですよ。

 それなのにあなたは俺たちのことを放っておくんですか。

 俺達に協力してくれないんですか!?」


 そう言って僕を見つめる世紀末覇者の瞳は薄らと潤みを帯びており、如何にも必死な事をアピールしている。

 それに合わせる様に周囲の喧騒も鎮まり、彼と同じく黙って僕の反応に注目していた。


「君たちを見捨てるつもりはない」


「ならっ」


 僕の言葉に彼らは表情を一気に明るくする。

 しかし、僕は彼らが次に発する言葉に被せる様に話を続けた。


「だが、僕も大勢の領民を預かる身だ。無償での支援はできない。

 だから正規ルートでの物資の物々交換にならば応じよう。

 そして君たちが領地を失陥した時は、ここに来れば難民として保護も行う」


 僕も流石に鬼ではない。

 通貨での交易は無理だが、物々交換ならば許容できる。

 それに領地を失った領主職の末路も分かっている。故に彼らが領地を失った時は、難民として生活の保障くらいはしてやろうと思っているのだ。


 しかしこれでも彼ら悠久の翼は納得できないらしい。

 再び世紀末覇者が口を開こうとしたので、僕は言葉を重ねた。


「僕はこれ以上の譲歩をするつもりはない。

 これに文句があるなら、元の世界に戻った時にいくらでも言うが良い。何時になるかは分からんがね。

 君たちが僕の領地で得られるものはこれ以上存在しない」


 世紀末覇者の表情がコップ一杯の苦虫を噛み潰したかのように歪む。


「………… だったら、俺たちはどうしたら」


「ここ以外にも大規模な領地は帝国内に存在している」


 この言葉を最後に、僕は交渉の終わりを言外に伝えた。


 現在ダーラルナ帝国には、ランカー領主と言われる領主職の総合ランク100位以内に入るプレイヤーが僕を含めて4人いる。

 内2人は草食系だ。

 その片割れが僕だが、草食系はもう一人いるから、僕がダメでもそちらから支援を引き出せる可能性もなくは無い。


 僕は会議室を出て行く悠久の翼の面々を見送りながら、彼らがこれから取る行動を考えていた。

 そんな中、不意に一人の女性に視線が寄せられた。

 デビル族特有のやや青白い肌のアジア系女性で、艶やかな黒髪を後頭部で括ってポニーテールにしている。

 年の頃は二十歳はたち程度だろうか。


 遠路はるばる来たのに交渉が不本意な結果に終わった為か、その表情は遠慮がちに言って暗めだ。

 張りつめたその表情からは、彼女が感じている不安が滲み出ている。

 もはやその不安は恐怖と言っても良いかもしれない。


 そんな彼女を見て、僕の心が僅かに高鳴った。


「リセ」


 僕は心の赴くまま、隣に控える忠実な副官に指示を下した。




~~~~~~~~~~




「ケチだよなー」


 城の出口に向かう道すがら、誰かがそんな言葉を零した。

 それに対し誰も反応を返さず、ただ付けられた案内役に従って、どこまでも続いてそうな長い廊下を黙々と歩く。

 もうすぐ夕暮れとなる時刻なので、廊下は少しだけ薄暗い。

 ギルドメンバー全員で臨んだ大事な交渉、その結果はボロボロに終わってしまった。


 皆がしょぼくれていて、偶に思い出したかのように誰からともなく愚痴が出てくる。

 私も口にこそ出さないが、心の中では皆と同じだ。

 こんなに豪華なお城に住んでいて、私達とは比べ物にならないくらい大きな領地を治めているのに、私達を助けてくれなかった毬栗候に対する不満はある。


 でも、そんな自分がいる一方で、客観的に考えると毬栗候の出した答えは、間違っていないって思う自分もいる。

 常識的に考えて、そこまで追い詰められている訳じゃないのに、無償で支援して貰おうなんて可笑しな言い草だ。

 物々交換の承諾が得られただけでも、毬栗候が歩み寄りの姿勢を見せている事が十分に分かる。


 それに領地を失った時は、保護してくれるだけでも有難いことは分かっている。

 でも、理性で分かっていても感情は納得しない。

 私たちプレイヤーはいざと言う時大丈夫、だったらNPCの領民達はどうなるの。

 突然異世界に転移して、パニックで泣いてばかりだった私にずっと付き合ってくれて、そんな酷い姿を見せても私を領主と言ってくれる領民はどうなるの!?


 私は領民の苦しむ顔を見たくない。

 でも、私は中小の草食系だ。

 これから先何が起ころうと、私にはどうすることもできない。悠久の翼だって、決して盤石な訳じゃない。

 今回の交渉でそれを思い知った。一体、どうすればいいの?


 私の頭の中を暗い考えが覆い尽そうとした瞬間、服の裾を誰かに引っ張られる感覚があった。

 私は思わず立ち止まってしまうが、集団の最後尾を歩いていた私の制止に誰も気づかない。

 だんだんと遠ざかる皆の背中を呆けて眺めながら、引っ張られるままに後ずさる。


 ここにきて流石の私も何だろう、と思い後ろを振り返ると、交渉の時に毬栗候の隣に座っていた英雄ユニットの女性が間近にいた。

 私の席は後ろの方だったので、交渉の時は遠目で見ていただけだけど、女の私から見ても綺麗な人だと思っていた

 改めて近くで見ると分かる。

 一本一本が絹糸のようにサラサラとした紫調の銀髪、こちらの心の底まで見透かすかのような碧眼、その辺の美人とはレベルが違う。


 彼女は私が振り返っても何も言わず、ただ黙って私を帰路とは違う道に促した。

 彼女に何の意図があるのかは分からない。

 ここで彼女の意に従わず、皆の後に付いていくことは可能だろう。

 なんとなくそれは分かる。

 でも、彼女に従って皆とは違う道を行けば、何かが変わる。

 なんとなくそれも分かった。




 私は彼女に従うことを選んだ。

 彼女に無言のまま案内されたのは、城の最上階。無駄な装飾は無いものの見るからに重厚で造りの丁寧な扉が音をさせずに開かれる。

 私をここまで案内した彼女は、室内には入らずに私を促している。

 どうやら彼女の案内はここで終わり、ここからは私一人で進むらしい。心細さと共にためらいが生まれるが、意を決して室内に入った。

 

「わざわざすまんね」


 奥に嵌った巨大な窓ガラスから差し込む夕焼けに染められた室内、私を出迎えたのは一人の男性。

 彼の背後から室内を照らす夕日の所為で影が差し、その顔を伺うことはできないが、チャコール・グレイのダブルスーツと蒼いマント、何より矢鱈とプレッシャーを与えてくる重々しい口調に思い当る人物は一人しかいない。


「トロンマロン侯爵……」


 先ほどまでの私達の交渉相手。私とは比べるのも烏滸がましいほど大きな領地を治めるダーラルナ帝国最大諸侯。

 一気に高まる緊張感で、喉の奥が痺れたかのように何も言葉が出なくなる。

 そんな私の状態を知ってか知らずか、彼はこちらにゆっくりとした歩調で歩みながら、私を窓辺へと促した。

 頭が緊張に染まり、碌に声すら出せない私に拒否する術は無い。

 彼に促されるまま部屋の最奥にある巨大な窓ガラスの前に連れられると、私の視界は巨大な宝石箱を覗いたみたいに一面の宝石で覆いつくされた。


「わぁ―――」


 眼下を埋め尽くす無数の摩天楼、一つ一つが重厚な存在感を放つそれらは、全て真っ赤に染まっている。

 窓ガラスはそれぞれが夕日を反射して、キラキラとルビーの様に光り輝く。

 稚拙で使いまわされた表現だけど、宝石箱を開いたような、という言葉がなによりもしっくり当てはまる。


 人口2500万の大都市メトロポリス、その主にだけ観覧を許された光景。

 私はその光景を前にして、今まで脳裏に合った諸々の考えを忘れ、ただ呆けることしかできなかった。


「確かうぶ汁さん、だったか」


「――― ぁ、は、はい」


 彼に名前を呼ばれたことで、目の前の光景に没入していた意識が呼び戻される。

 少し驚いたけれど、もう喉の奥に纏わりつく痺れは消えていた。


「君をこんな場所に呼び出したのは、この光景を見せたかっただけではないんだ。

 交渉の時はああ言ったが、僕は君たちの状況を詳しく知らない。

 だから、ギルドや交渉は抜きで、君自身の実情を教えてくれないだろうか?」


 そう言って懇願する瞳は、どうしようもなく真っ直ぐで、彼の真摯さがハッキリと伝わってくる。

 その表情はしかめっ面で、お世辞にも優しそうだとは思えないけど、この人は信用できる、そう思ってしまった。

 それだけで、私の口は自然と今まで溜まっていたものを吐き出していた。


 外部との交流が閉ざされたことによる物不足、急増するモンスターの被害とそれによって発生する避難民。避難民の中には生活が苦しくて盗賊に身をやつす人々もいる。

 そんな状況に追い打ちをかける様に、一部のプレイヤーがNPCに対して横暴に振る舞って、NPCの領民を傷つけていく。


 日に日に荒んでいく領地と領民、大通りからは喧騒が消え、人々の表情はだんだんと沈んでいっている。

 なんとかしたくても、人々の困窮を救える物資も足りなければ、治安を維持する兵力も足りない。


「もう、どうしたら良いのか分かんないよぉ……」

 

 気づけば私は泣いていた。

 頭の中がどうしようもなくグチャグチャになって、心臓は破裂しそうなほどバクバクする。

 それでも言葉を続けようとするが、呂律が回らず言語としての体をなさない。


「そうか」


 黙って私の話を聞いてくれた彼の声がすると、私の体は彼の方に優しく引き寄せられた。


「大変だったんだな」


 まるで幼子をあやすかのように、私は包みこまれた。

 ジンワリと温かい彼の体温に、ギリギリで保っていた理性が途切れ、感情が堰を切ったかのように溢れ出す。


「大丈夫だ、僕に任せて欲しい」


 声を上げて泣く私の背中を擦りながら、彼の吐息が耳元をくすぐる。


「だから、君の全てを僕に預けてくれ」


 彼はそう言うと、私の顎を持ち上げて、瞳を真っ直ぐ見つめてくる。


「安心して欲しい、決して悪いようにしない」


 螺旋を描くように濁った彼の瞳が、私の心を縛り付ける。

 彼の意思がこちらの気持ちを考慮することなく、心の奥底に浸透していく。

 彼の歪んだ笑みが、肯定以外の選択肢を塗りつぶす。


「…… はい」


 私には抗う事なんて最初から出来なかった。

 私は自分の全てを彼に預けたのだ。






 彼女が悠久の翼に合流したのは翌朝のことだった。


その頃の某兄妹


「ヘイヘーイ! さっさと行くよ、糞兄貴!」

「ひ…!い、いやっ! いやぁぁぁぁっ!! 」

「うるさい! I★KU★ZO! ボスが待ってるんだよ!!」

「な、何なんだ…もう…! 閣下…助けて…。俺を…助けて…!」

「ヘイヘーイ! その腐った魚みたいな口調はやめろやめろー」

「もう嫌…! 嫌いよ! 閣下以外みんな、大っ嫌い!! 俺を怖がらせるものは、全部消えちゃってよ!」

「野郎! もうあったまきた! これ以上ダラダラしてっと●×■にグレネード突っ込むぞ!」

「ひ……!」



「――― よし、ヘイヘーイ! ボスー! 今いくよー!!」

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