閑話三 帰還する船団
セラフィア世界の暦で今日は新暦302年8月1日。我々の船団が北東大陸を発ってから既に二週間が過ぎた。
予定ならばあと一週間足らずで目的地に着くはずだ。
しかし航海は順調とは言い難く、予定通りに到着する保障はどこにもない。
窓の外は一面が薄暗い雲で覆われている。
延々と続いているのかと錯覚してしまうほどの分厚い雲により、視界は皆無と言って良い。
僚船どころか自分が乗る船の舳先すら見通すことができない。
それだけならまだしも船団は現在大嵐に遭遇しており、バケツを引っ繰り返したかのような大雨が目の前の窓を叩きつけていた。
轟々と吹き付ける風が船体を揺らすせいで、船内には体調を崩すものが続出している。
時折雷も見えていて、一瞬ピカッと光ったかと思うと背筋が凍るような轟音があたりに鳴り響く。
空中艦や砲兵隊の砲撃音を彷彿とさせるこの音は、戦場帰りにとってトラウマにも等しい物であり、雷が鳴るたびに思わず緊張してしまう。
これ以上窓の外を眺めていても気分が悪くなる一方だ。
私は窓から目を逸らし、室内の様子に目を向けた。
天井に設置された魔導灯のおかげで、外はほとんど夜の様だというのに室内は十分な明るさを保っている。
天井は配管などが剥き出しであり、この船が細かい内装を省いた安価な急造船であることを示していた。
現在私がいる操舵室には、操船要員の他にも多くの人員が入っている。
広々としていた操舵室も30人近い人数を受け入れると少し手狭に感じてしまう。
そんな操舵室の中央に位置する操船席では、船長のNPCが空路図とレーダーの状況を確認しながら、一時も気を抜かず慎重に船を動かしている。
この嵐では肉眼で僚船との距離も分からないし、強風によって船の針路がずれてしまうので、船長を始めとした操船要員は常に緊張を強いられているのだろう。
そんな操舵席周辺から少しずれた位置には、大嵐の中でも船団を維持すべく船団司令部の面々がレーダー図と空路図を見ながら船団の各船と無線機で連絡を取り合っていた。
数百隻もの大船団を10人程度で取り纏める苦労は並大抵の物でなく、嵐に遭遇してから彼らはほとんどあそこから離れることができないでいる。
できるものなら交代してあげたいが、船団運営の経験がある者は彼らで全てなのだからしたくてもできない。
操舵室にいる私も含めた残りの数人は、この船団の責任者として役に立たないのは重々承知の上でこの場にいるだけだ。
ただし私は副官として居合わせているだけだが。
現在私は神聖毬栗騎士団を中心としたトロンマロン侯爵領へ向かう船団の旗艦に乗っている。
私自身は神聖毬栗騎士団ギルドマスターの副官という立場であり、肩書だけなら幹部でもなんでもない一般のギルドメンバーだ。
私の隣にはこの船団の総責任者である直属の上司、神聖毬栗騎士団ギルドマスターが立っている。
ギルマスはこの船団を組織してから出来る限りこの場所におり、船団の状況を見守っている。
そんな事をしていると本来ならば疲労で倒れそうなものだが、この世界に転移して以来、身体能力はゲームでのステータスが反映されているようで、元の世界では到底こなせない様な激務も難なくこなせてしまう。
しかしそれでも限界と言うものがある。
ギルマスの他にも何人かの幹部もここにいるが、彼らの表情には一様に疲労が浮かんでいた。
しかも大嵐にあっている不安のせいなのか知らないが、妙にソワソワと落ち着きがない。
こんな姿を船内にいる他の人たちに見られでもしたら、船団内に燻っている不安感を煽りかねない。
一方、ギルマスは嵐の中にあっても全く動じず、平静を保っている。
その場にどっしりと構えて何物にも動じない彼の姿は、操舵室内にいる人々に一定の安心感を与えているだろう。
他の幹部たちが多少ソワソワしても弱音を吐いていないのは、偏に彼の存在のおかげだと思う。
ただ、彼の内心はきっと見た目通りという訳ではないだろう。ギルドマスターという立場上、彼は自分の内心を表すことがほとんどない。
恐らくこの場にいる人々の中で最も侯爵領に帰りたがっているのはギルマスだ。
……… いや、もう一人ギルマスと同等かそれ以上に帰りたがっている人物がいたな。
しかし彼女の事は置いておこう。
この船団には毬栗騎士団主力メンバーの大部分を始め、侯爵領にいた高レベルプレイヤーの大半が乗っている。
戦力だけ見るとこの船団は、肉食系上位領主でさえ片手間に攻め滅ぼすことが可能なほど凶悪な戦力が集まっていた。
ということは、つまりそれだけの戦力が侯爵領から抜け落ちているということだ。
さらに毬栗候の懐刀である毬栗騎士団の主力がここにいるという事は、領内に燻っていた不満分子に対する抑えがなくなっている事を指す。
今の侯爵領がどんな状況下は考えたくもない。
でもあの毬栗候の事だから、なんだかんだで何とかしている気がする。
そう思っているのは私に限ったことではなく、この船団にいる大半の人たちも同じことを思っている筈だ。
船団の人たちは無事に侯爵領に辿り着けるかが不安であって、辿り着いた先の侯爵領自体への不安はほとんど無いだろう。
せいぜいが今の混乱に乗じた空き巣に対してだと思う。
しかしギルマスを始めとした少数の人たちは、毬栗候の力量を信用しているのだけど、それでも毬栗候のことが心配らしい。
それに魔王城攻略作戦の最終段階で、玉座の間に突入した神聖毬栗騎士団副ギルマスのアルさんが行方不明になっている件も心配だ。
聞いた限りだと異世界転移は魔王が中心点となり起こったらしいので、魔王の近くにいたアルさんは多分、私達とは別の方向に飛ばされてしまったようなのだ。
彼も今頃私達の様に侯爵領へ向かっているのだろうか。
無駄に悪運の強い彼の事だから、偶然北西大陸方向に飛ばされてもうとっくに侯爵領へ着いているかもしれない。流石にそんな偶然は有り得ないか。
彼の悪運っぷりを思い浮かべて、つい苦笑いを浮かべてしまったが、幸い誰にも気取られていなかった。
今の状況で苦笑いなんて浮かべていたら変人もいいところだ。
私が思わずホッとため息を吐くと、操舵室の扉が開く気配がした。
そちらに目を向けると、空中毬栗騎士団のギルマスが室内に入ってきているところだった。
神聖毬栗騎士団の数ある傘下ギルドの一つである空中毬栗騎士団も、主力がこの船団に乗っており、空中毬栗騎士団のギルマスである彼女は船団旗艦であるこの船に乗っていたのだ。
彼女こそ私達のギルマスと同等かそれ以上に侯爵領へ帰りたがっている人物だ。彼女も私達のギルマスと同じく、毬栗候が心配で堪らないらしい。
ただ、彼女の場合は私達のギルマスと違い、感情が態度に現れてしまっている。
転移前は多少神経質なところもあったが、基本的には上品かつ礼儀正しい女性だった。だけど今は帰還を焦るあまりヒステリック気味になっている。
本人もそれは自覚しているようで、周囲に動揺を与えないようにできる限り自室に籠っているのだが、時折、侯爵領に着くまでの残りの日数などを尋ねに操舵室を訪れる。
彼女はしばらく空図を眺め、比較的手の空いている操船要員に何かを聞いていた。
しかしどうやら彼女の望む答えは得られなかったようで、一瞬だけ焦りと悲しみと怒りが綯い交ぜになった表情を浮かべると、さっさと操舵室を出て行ってしまった。
彼女があれだけ焦っているのも無理はない。北東大陸で私達が見てきた混乱はそれほど酷かった。
毬栗候の力になりたいという思いが一際強い彼女は居ても立ってもいられないのだろう。まだ学生である彼女にその感情を制御しろと言うのは酷だ。
北東大陸はプレイヤー人口や有力勢力が集中している事もあって転移による混乱は酷い物だった。恐らく全ての大陸の中でも最も混乱が酷いのは北東大陸ではないか。
事態の収拾を無責任に放棄した魔王城攻略作戦総司令部の存在は、ただの混乱に憎悪という概念を付与してしまったのだ。
混乱とモンスターの活動の活性化による各地での流通網壊滅だけでなく、各地の有力者同士で対立も始まってしまっていた。
NPCである国家がプレイヤーに関して基本的には不干渉であるということも、ゲームだった時は気楽であったが、今は悪い方向に働いてしまっている。
本当にひどい混乱だった。
まあ、そのお蔭で数百隻もの輸送船を私達が手に入れることができたのだが。
混乱に包まれる北東大陸で、私達は一刻も早く帰りたかった。
そして魔王城攻略作戦で使用された大量の輸送船が補給物資込みで転がっていたのだから、少しばかり無断で失敬してしまうのも仕方ない。
この輸送船は総司令部が発注したもので、作戦終了後は競売に出される予定だったのだ。
しかしその総司令部が解散してしまったので、放っておいてもどうせ近隣の有力な勢力が勝手に持って行っただろう。
それに私達が数百隻を分捕ってなお、有り余る数の輸送船と諸所の補給物資が残っていたのだからどうしようもない。
思えばあれから既に一ヵ月以上経っている。
この船団には乗っている人々の表情にも疲れと不安が見えている。
しかしもう一踏ん張りだ。北東大陸と北西大陸の間に跨る巨大な大洋を越えてしまえば、侯爵領はすぐそこにある。
もうしばらくでトロンマロン領の高レベルプレイヤー達が戻ってきますね。
手駒が増えるよ!! やったねトンマロ君!
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