第一話 転移
「――― ぇぇぇぇえええ」
意識が失われたのは、ほんの一瞬だった。それはもう、意識を失う前に口から出ていた言葉の続きが口から出てしまうほど短い時間だった。
しかし人々の興奮に水を差すのには十分だったようだ。周囲に溢れかえっていた勝利の雄叫びは急速に萎んでいった。先ほどまで狂喜乱舞していたCIC内の人間は狐につままれたような顔をしており、間違いなく、気持ちが萎えていることをうかがえる。
先ほどまで抱き合いながら喜びを分かち合っていた2人の男性も気まずそうな顔でどちらからともなく体を離している。しかし、先ほどまで感じていた相手の肉体の感触がまだ脳裏に残っているのか、顔こそ逸らしているものの、相手の感情を伺うようにチラチラと視線を向けている。
まあ、そんなことはどうでも良いのだよ。彼らがどのようなことを思い、どのような性癖に目覚めたところで、周囲に被害が及ばない限りは干渉する気はない。
時間が経つにつれ、初めは困惑していたCIC内の人々も、だんだんと全てのプレイヤーが熱望したワールドクエスト『魔王討伐』クリアの喜びを意図的にしろ、そうでないにしろ邪魔した運営に不満を持ち始めたようで、そこかしこで運営に対する文句を言っている。
「肝心要の時に不具合か?」
「ワールドクエストがクリアされて悔しかったのかねぇ」
「それにメニューが開かないんだけど、この不具合は致命的だわー」
「まったく運営は……まったく!」
「ぷんすかぷんすか」
皆が口々に批判を行っている。僕は口に出して批判こそしないものの、共感できる部分も大いにあり、最初こそ皆が口々に言う不満に内心うなずいていたものだが、途中から面倒臭くなって適当に聞き流した。メニュー云々はどうせすぐに回復するだろう。僕はβテストの時に何度かその現象にあった。
三次元レーダー図をチラリとみると、先ほどまでレーダーで探知している範囲を示す球体図の三分の一を埋め尽くしていた敵艦を示す赤いマーカーが綺麗さっぱり消えていた。
それどころか指揮官である自分が言うのもなんだが、崩壊しつつあった前衛右翼以外はおおよそ完璧に構築されていた多重鶴翼陣形であった我が艦隊が、見事に各艦バラバラの配置になっていた。
幸いにもレーダー図の様子や麾下艦艇からの通信を聞く限り、味方艦同士での衝突事故などは起きてないのが救いである。
この後、訪れるだろう艦隊陣形再構築という大仕事には敢えて目をそらした。
広範囲にわたって不規則に存在する各艦を元通りとは言わないものの、艦隊と言うことのできる形に配置しなおすのには普通にやっても半日はかかる。まして今は不測の事態により艦隊全体が絶賛混乱中だ。このような大混乱の中、今の今まで我が艦隊以外からの通信が入ってきていないあたり、通信機器の状態もどこまで信用していいのか分からない。
もうクエストも終了したことだし、自由解散ということで各艦を勝手に帰還させるのも一つの手ではないだろうか。そちらの方が楽であるし艦隊戦を行う予定がない以上、勝者の帰還としての見栄えは宜しくないものの、無理に艦隊行動を行う必要もない。
外側の艦から順に移動を開始させていけば事故も起きないだろう。大型艦を中心にある程度まとまって動ければ航路を誤ることもない。
僕が考え事をしている間も艦隊の混乱は続いているようで、CIC内の人間は好き勝手にこのゲーム『セラフィア』の運営に対する批判をしており、通信機器からも現状を把握できていない混乱の声や運営への罵詈雑言が流れている。なんというか、もうカオスの極みであるね。
さて、そろそろ面倒臭がってないで仕事をするとしようか。
「おーい、参謀長」
僕の呼びかけに先ほどからコンソールを忙しそうに操作している一部のCIC要員に指示を出していた男性がこちらにやってきた。やや小走りで来ているため、揺れがちな彼の腹部に一瞬、向いてしまった視線はすぐに元に戻した。
170cmほどの身長にデップリお腹の肥満気味な体型、無駄に整えられたどじょう髭以外にはこれといった特徴のない顔だ。どこにでもいる肥満気味の中年アングロサクソンという言葉がほぼピッタリと当て嵌まる外見の男が、僕の部下でありこの艦隊の参謀長だ。
「はい、長官。何用でしょうか?」
そう言った彼のやや広めなおでこには汗が浮かんでいる。CIC内は空調設備が完備されており、気温も湿度も適切に保たれている。そんな環境下での汗は、彼の心理状態に大いに原因がある。決して彼が肥満体だから汗をかいているわけではないのだ。
「現在の状況はまとまったかね?」
恐らく光に包まれてから今までひたすら状況把握に努めていたであろう参謀長にそう尋ねると、彼はやや顔をしかめた。普段、陽気な彼にしては珍しい表情であるが、彼はその表情のまま私に答えた。
「いえ、艦隊内の各艦との連絡は取れるのですが、それ以外はさっぱりです。艦隊以外の情報は全く掴めません。
また、我が艦隊直下の高度2000mにて広範囲に亘って雲が出現しており、地上の様子が全く分かりません。
しかしながら第一艦橋にいる艦長からの報告を聞く限りでは本艦に異常はなく、麾下艦からもこの現象による艦体の異常は報告されていません。
あっ、それと何故かメニューが開かない不具合があるようです」
ふむ、全くもって分からないことだらけだな。現在、我が空中艦隊は高度4000m付近に滞空しており、光に包まれる直前まで存在していなかった巨大な雲が直下に存在している。そのせいで地上の状況が全く分からない。偵察隊を派遣しても良いが、何も分かっていない現状では安全面で不安すぎる。
メニュー云々は、今はどうでもいい。メニューを開いてもステータスなどの基本情報確認とログアウトやヘルプなどしかできない。
「なるほど、とりあえず今は混乱の収拾とバラバラの艦隊をある程度まとめることに集中しよう。
各戦隊に空域を割り当て、その空域に集合させて欲しい。情報収集は引き続き行うように」
「分かりました」
参謀長は早速CIC内で未だに文句を言っている人々を落ち着かせ、僕の指示を伝えた。多少、運営への文句を言い足りない人間もいたようだが、何だかんだ言いながらもそれぞれの仕事に取り掛かっている。
皆が忙しそうに仕事をしている中、司令長官の僕はただ席に座って皆の仕事ぶりをぼー、と見ているだけだ。暇であるし、ほんの少し肩身も狭い。艦隊の形を成していない艦隊の司令長官ほど意味がない職は無いのではないだろうか。
そもそもこの艦隊の司令長官になったのも、たまたま艦隊内で最も爵位が高かったというだけだしな。まあ、何だかんだでこのゲーム、日本発の世界最大のMMORPG『セラフィア』における最古参の一人ではないということだ。
それも数が極めて少ない領主職ということもあって、自分で言うのもなんだが、僕より上の爵位を持っている人は中々いない。まあ、この魔王城攻略作戦第二方面艦隊は陽動という役割もあって、有力者があまり多くないということも僕が司令長官になれた一因ではあるのだが。
『ワールドクエスト:魔王討伐』には『セラフィア』プレイヤーのほとんどが参加している。ゲームのサービス開始から10年目にしてようやく発動された最後のワールドクエスト『魔王討伐』は、元からあった『セラフィア』の知名度もあってテレビのニュースに出てしまうほど周知されている。
そのおかげでプレイを休止していた『セラフィア』プレイヤーが次々復帰し、クエスト開始時にはなんとゲームの実働率が50%を超えてしまった。そしてこのクエストはゲーム内にいるほとんどのプレイヤーが協力しなければクリア不可能というように調整されているらしく、このクエストをクリアするためだけに、ゲーム内の全ての勢力が一時的に手を結び、全プレイヤー共通の総司令部が設置されたのだ。
まあ、言い換えると、指揮系統における上位組織である総司令部を作らなければ、プレイヤー同士、ギルド同士で円滑な連携がとれない程度には、この世界は殺伐としているのだが。
それはともかく、総司令部の設置により艦隊という戦略単位による陽動作戦が実現できた。作戦上、最も多くの敵部隊と相対し、最も多くの被害を負う明らかな貧乏くじは誰も引きたがらなかったが、総司令部から提示された莫大な資源と引き換えに僕が艦隊司令長官に就任することになった。
僕の様な領主職にとって資源とは幾らあっても足りないのだ。
クエストクリアの為に総司令部による『魔王城攻略作戦』と名付けられ作戦に参加している人数は、NPCを除いたプレイヤーだけの人数で約1億1000万人。これはVRMMO全盛期といわれる2096年現在でも途方もない人数である。確か現在の世界人口が170億程度だったから、このクエストには全人類の約0.65%が参加していることになる。
もちろんVRMMOに限らず、ゲームという枠内では史上最大のイベントである。世界中が注目しているのである。そんな大舞台の最後の最後で大ポカをやらかした運営がこの後どうなるかは知ったことではない。
できる限りゲーム内に影響の出ない方向で解決してほしいものである。
僕がそんなことを考えているうちに、どうやら状況が変化したらしい。参謀長がこちらに早歩きで向かってくる。
「長官、通信状況が変化しました。ノイズ交じりですが、時折、我が艦隊以外からの声が聞こえるそうです。
また、艦隊直下を覆っていた雲もだんだんと薄くなってきています!」
参謀長は先ほどに比べると幾分和らいだ表情で状況を報告した。ようやくこの状況を打開しうる変化が訪れたらしい。
「それはなにより。引き続き通信の回復と艦隊再編成に努めて欲しい」
僕がそう答えると参謀長は返事をして素早く自分の仕事に戻っていった。暇そうで役に立たない司令長官にもちゃんと気を使って現状の報告をしてくれるあたり、参謀長の人柄が分かる。
戦闘時にはオロオロしているだけで全く役に立たなかったが、基本的には、参謀長は気遣いの紳士である。彼は確かイギリス出身だったから、正に英国紳士というわけだ。彼のチャームポイントである無駄に整えられたどじょう髭が、なぜかやたらに格好良く見えた。
通信状況はだんだんと回復しつつある。通信員の誰かが気を利かせたのか、CIC内のスピーカーから通信音声が流れている。だいたいがノイズであるものの、時折人の声が聞こえており、だんだんとノイズが収まってきていることが感じ取れる。
「――― っら――― ゅ―――――― ぉう」
「――っちら――――― ゅえん―――――――ぉとむ―――」
ノイズは収まってきているが、まだ通信が成り立つほどではない。すると情報参謀が通信員に何らかの指示をだした。
通信員が情報参謀の指示に従いコンソールを操作しているらしく、通信がいったん途切れる。
「通信の回復に成功しました!
スピーカーに流します!!」
猛烈な勢いでコンソールを操作し終えた通信員が一仕事片づけた漢の顔でそう叫んだ。追記すると彼女は今年14歳になった女の子である。
通信員に調整されたおかげで明瞭とは言えないものの、十分聞き取れる声がスピーカーから流れだした。
「――― ぃたい、こちら第一方面軍第三軍!!
海上にて遭難中!!!
海上にて遭難中!!!
至急救援を求む!!!!
至急救援を求む!!!!
繰り返す!!
こちら第一方面軍第三軍!!
こちら第一方面軍第三軍!!
海上にて遭難中!!!
海上にて遭難中!!!――――――」
スピーカーから怒涛の勢いで流れる救援要請にCIC内は一瞬呆然となる。
しかもスピーカーから聞こえる声は『海上』と言っている。我々が光に包まれる前にいた空域は間違いなく大陸の上空、下は陸地だったはずだ。
今更だが、一体どうなっている?
いや、今はそんなことどうだって良い。
取り合えずやるべきことは―――
「諸君!!
第二方面艦隊はこれより友軍の救助活動にうつる!!
麾下全艦に対し救助活動を最優先で発令、空母は直ちに艦載機を発艦させて救助及び遭難者の捜索に当たらせろ!!!」
なかば怒鳴るように命令すると、呆けていたCIC内の人員が慌てて救助のための仕事に取り掛かった。
僕はCIC内にある幾つものディスプレイの内、海上の映像を映しているものを見る。先ほどまでは艦隊直下一面に雲が広がっていたため真っ白だったが、今では深青色の海が一面に広がっている。そしてその海には夥しい数の点やその塊が浮かんでいるのが分かる。
「………… 一体どうなっているんだ」
僕はそうぼやいてこれから始まるであろう過酷な救助活動を覚悟した。何としてでも日が暮れる前にある程度は救助しなくてはな。
軍事用語をチラッと出してみたんですがどうですかね。
一応、簡単な説明をそれとなくつけてみましたが……
麾下艦艇:艦隊司令官の指揮下にある艦艇。
空中艦隊:不思議なぱわぁで空に浮かんでいる艦隊。ふぁんたじーっぽいね!
戦隊:2隻以上の艦艇で構成された部隊。複数の戦隊が集まって艦隊となる。
魔王城攻略作戦第二方面艦隊:魔王城攻略作戦において結成された2つ目の艦隊。長い名前はかっこいいね!
陽動:囮のこと。
人口170億:耕作限界の問題で地球で養える人口の限界は80億程度だけど宇宙太陽光発電とビル農場のコンボで限界突破!
参謀長:艦隊の各部署の責任者である参謀たちのトップ。すごくえらいひと。
今年で14歳になった女の子:つまりは現役JC
空母:航空母艦のこと。簡単にいうと移動する飛行場。
艦載機:空母などの艦艇に搭載された航空機のこと。もちろんふぁんたじー世界だから飛行機のわけがない。