雨色の音を聴きながら
「すきま時間のShort Love Stories」掲載作品一部改稿
「カカ、カカカカ…………」
先程までざあざあと音を立てて降っていた雨が止み、カエルが鳴く声が聞こえる。
「カカ、カカカ、カカカカ………」
一寸鳴き止んで、また鳴き始める。それは雨を呼ぶ声、喜ぶ声。まるで夏の訪れを妨げる祈りの様にも聞こえる。
この灰色の雨が止めば、底抜けに青い空に入道雲が白く沸き立つ日々が、今年もやって来る。
暑いけれど、全ての色が鮮やかに見える夏は、友人達と海へ野原へと遊びまくった記憶も相まって、心が浮き立つ季節だ。夏祭りの囃子、プール上がりのアイス、齧りついたスイカ、ラジオ体操のカード……どれも思い出すだけで口の端が上がってしまう。
だけどその直前の、雨が降りしきるこの時期は、僕にとって、何年経っても未だ胸に少しばかりの痛みを運んでくる時期でもある。
車に乗って、ダッシュボードから1枚のCDを取り出す。もう何年も経って傷だらけになってしまったケースに入っているそれを、僕はこの時期だけ聴いてしまう。もうこうなると「恒例行事」と言っても良いかもしれない。
機械音と共にスロットに飲み込まれていくCD。短い静寂の後に流れて来る曲を飛ばし、その最後の曲を選んでから、僕はアクセルを踏む。
スピーカーから流れて来るのは、女性アーティストの声。軽いアップテンポな曲調に乗せた「あの頃の僕の気持ち」の全てを代弁した様な歌詞に、胸の奥にちりりとした電気が走る。
同時にこの胸に湧き上がってくるのは、あの頃、あの日々の事。
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「お前、カナの事が好きだろ?」
「!なんでわかった!?」
「いや?勘だけど?」
「ぐっ………てめ」
「怒るなって。ほら」
あの日、部活動後に呼び出されてかけられたカマに、思わずバカ正直に答えた僕の視線の先に、真っ赤な顔をしたカナが友達と立っていた。
「あとは上手くやれ!両思いおめでとう!」
「は?ちょっと待て、心の準備が!」
「………………」
「………………えと、帰ろう、か?」
「…………はい」
それが僕達の始まりの日だった。カナの僕に対する気持ちを、そして僕のカナに対する気持ちを知った心優しい友人達が、興味本位でおせっかいをやいたのだ────まだお互いほとんど話した事も無かったと言うのに。
でも、学校で僕達の事を知らない人を探すのが難しくなるまでに、時間はあまりかからなかった。
「おーい、一緒に帰れる?」
なんて事を言わなくてもすむくらい、一緒に登下校していたのだから、当然だろう。僕はバスで通っていたのをわざわざ自転車通学に切り替えたし、校門を出たところで二人乗りしてたところを先生に見つかって、遠くからメガホンで怒られて慌てて逃げた事もあったっけ。
「あのね、このCD聴いてみて!」
ソフトボール部のカナは日焼けも気にせず、明るく活発で努力家だった。僕がカナに惹かれたきっかけは、試合もできないような少ない部員数なのに、グラウンドで汗を流す彼女の姿を見たからだ。そのカナが好きなアーティストは、聴けば誰もが元気が出る歌詞を、パワフルな声で生き生きと歌う人だった。
「すごいね、この人」
「へへへ、そう言ってくれると思ったんだ。良いでしょ?」
実はその時まで聞き流していた曲だったけど、それからはカナにCDを借りて聞くようになったんだ。
そう言えばあの頃、雨はあまり好きではなかった。何しろ自転車に乗って行けないから、一緒にいられる時間が限られてしまう。
けど、そんな雨の日でも彼女は楽しむ事を忘れなかった。
「ねえほら、見てよ。良い傘でしょ?」
「?………あ?なんだこれ」
彼女が広げた傘の内側には、満天の星空が描かれていた。二人共帰り道に星空を見ることが好きだって言うのは、浮き合ってから知った事だった。
「すごいな、これ。良いなあ」
「ね?これ良いでしょ?見せるの楽しみにしてたんだ」
そう言って屈託なく笑ってくる彼女を見てると、本当に飽きなかった。僕達は決して大きくはない傘に一緒に入って、わざと歩いて帰った。当然、足元はずぶ濡れ。だけど構わなかった。その分、距離が近くなれたのだから。
だけど楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。高3になり、僕達はお互いに地元の大学へ進学しようとしていた。
「頑張ろうね!」
「自信、ないなあ」
僕は自信なかったけど、カナは一日30時間欲しい!って言いながら勉強してた。きっと彼女は目標を果たすだろう。周りの誰もが疑わなかった。
けど、運命の神様は気紛れで、イタズラ好きだった。カナも僕も、受験で思いもよらない点数を取ってしまった。考える余裕は、あまりなかったけれど、それでも「つぎ」を考えなきゃいけない。
僕は県外の大学を受験することに決め、カナは浪人覚悟で地元大学を受けることにした。
その結果、僕は合格し、カナは不合格。
「夏休みに帰って来るよ」
「浮気しないでね」
出発前日に僕たちはそんな約束をした。けれど、結局それは夏本番を迎える前の梅雨時に送られてきた、カナからの1通の手紙で消えてしまった。なんでこんな時は封を開ける前に気付くのだろうか。今でも不思議で仕方がない。
「あの人は、私の傍にいてくれるの」
「あの人は、私を生きたいところに連れて行ってくれるの」
その一文を読んだ時、外で降っている雨の音が、急に消えたように感じた。
そりゃないよ。
僕は傍にいない。
いることができない。
できない事を言われても、僕にはどうしようもない。ついでに言えば、その「あの人」は僕の友達だったヤツだ。やるせないにも程があった。
いや、ちょっと違う。
無理をすれば、できたのかもしれない。
大学生活が忙しいから。
部活の遠征で忙しいから。
そんな言い訳を心の奥底でして、僕はカナの気持ちに、寄り添おうとしていなかった。勉強の邪魔をしちゃいけないから、でも僕達は言葉で伝えなくても大丈夫だと、心のどこかで言い訳をしていたんだ。
でも、そうじゃなかった。
伝えるべきだった。
会いたいって。
心配だよって。
元気ですかって。
どれだけ君を想っているか、短い言葉でも、ちゃんと伝え続けるべきだった。でも、それに気付くのが遅かった。
僕は小雨が降る中、ぼうっとした頭で近くのバーに1人で入った。1人でいるのは辛過ぎたし、友達は距離が近すぎた。薄暗く、でもカラオケの曲も聞こえてくるそこが、その時の僕には調度良かった。
「VSOP、ボトルキープで」
「なんで飲むかい?」
「ロックで」
今思うと、随分と背伸びをした注文をしたものだ。途中の自動販売機で初めて買ったタバコに火を付ける。カウンターの灰皿から立ち昇る紫の煙の向こうに、ブランデーの瓶が霞んで見え、俯けばグラスが滲んで見えた。
口に咥えたタバコの味なんて、分かりもしない。飲んだ酒も同じだ。僕はただ、喉に詰まった痛みを紛らわせたかった。
「あらどうしたのよ?」
「元気出せよ、少年!」
たまたま隣りにいた名前も知らない人達に励まされながら、僕は喉の奥に絡みつく想いを酒と一緒に流そうとしたけれど、それは一向に腹の中に落ちてはくれなかった。
次の日、ふらりと立ち寄ったCDショップに、あの女性アーティストの新版が置いてあった。
もう、カナに借りることは叶わない。
僕は初めて自分でCDを手にとった。それ以来、毎年夏が来る前のこの時期には、その女性アーティストの新譜を買い、それを聴くことが僕の習慣になってしまった。
今年も、もうすぐ暑い夏が来る。
忘れたいけど、忘れたくない。
そんな気持ちを持ったまま、僕はここまで齢を重ねてしまった。息子はもう、あの頃の僕と同じ年齢になったというのに。
選んだ曲が終わり、最初の曲が始まる。
君もこのCDを手に取って聞くことがあるんだろうか。
そんな事を考えながら、僕はオーディオのスイッチを切り、アクセルを踏んだ。
傍らにある表面がザラザラしたCDジャケット。まるであれからの僕の心が刻まれている様だ。
未練。
後悔。
思慕。
あの時の感情が鈍い痛みと共に淡く蘇る。
でもそれよりも、今はこの長い間、胸に残り続ける想いをくれた人に出会えた事が、少しだけ誇らしく感じられるようになった。
どうやら雨が止みそうだ。
今晩は、あの日二人で見上げた蠍座と夏の大三角形が見えるかもしれない。




