第5話 え? そう?
「なんで俺が褒めてたら小説を書けるんですか?」
「ええと……あんまり突っ込まないでもらえると……」
顔を覗き込んだら、隠すように手で遮られる。
だけどわからないことには褒めるも何もない。
説明を求めるつもりで見つめていたら、観念したように紗夜さんが口を開く。
「……その、えっとね。まず私の筆が止まるのは、自信が無いせいだって言うのは自分でわかってるの。文章にも、構成にも、キャラにも、『本当にこれでいいの?』って思って頭がめちゃめちゃになって」
「はい」
紗夜さんは小説を書く時に、どうしても自信が持てないらしい。
低評価ばかりを付けられ続けて、作家としての自信を失っている。
「でも結構前に、編集さんに励ましてもらいながら書いた時はある程度進められたの」
「ああ……」
さっきもそんなことを言っていた。
でも編集さんを拘束するわけにもいかない、とも。
出版社の編集は、一人で複数の作品を担当しているイメージだ。それに加えて雑多な仕事もあるだろう。紗夜さんもそれを知ってるから頼みづらいのだ。
「だから代わりに浅海くんに励ましてもらえないかなって」
「それは……俺で代わりになれるんですか?」
俺は編集のスキルなんて持っていない。ただの一般人だ。もし紗夜さんの思っている事の中にアドバイスとかが含まれるなら、俺ではきっと役には立てない。
「平気だよ。技術的なことはいらなくて、本当に励ましてもらうだけでいいの。そうしてもらってるだけでもずいぶん気持ちが楽だし、それに……」
「それに?」
照れるような表情。
「……浅海くんは、ずっと私の作品を褒めてくれてたから」
「あ……」
気づいて、急に恥ずかしくなってくる。
そっか。俺、今まで何も知らずに作者の目の前で好きだ好きだと喋っていたのか。
「……あの、すみません。俺、何か失礼な事言ってませんでした?」
「ううん。むしろ逆だよ。……初めの方はたまにからかってるのかなって思うこともあったけど、そうじゃないってわかってからは嬉しかった」
くすりと笑われる。それなら、よかった。口では不安そうなことも言っていたけど、喜んでくれていたのだな。
紗夜さんが改めて、躊躇いがちに口を開く。
「それで……どうかな。もちろん時間の都合もあるし、浅海くんの迷惑じゃなければだけど……」
「やります」
「浅海くんも学校があるから大変だったら……って、え?」
即座に頷くと、遅れて紗夜さんが声をあげた。
「い、いいの? そんな簡単に頷いて」
「なんでもするって言ったじゃないですか。褒めるぐらいはまったく問題ありません。ただ……」
「……ただ?」
一個だけ、どうしても言っておかなければならない。
「……嘘は吐けないので、そこだけは許してほしいです」
俺が瀬名玲衣の作品を褒めていたのは、その作品が素晴らしいと思ったからだ。
素晴らしいともなんとも思えないのに、褒めることは流石にできない。
「……でも、紗夜さんだって嘘で褒められるのは嫌ですよね?」
「…………」
「……紗夜さん?」
「…………ちょっとだけ考えてもいい?」
紗夜さん……。
そこは考えずに頷いてほしかった。
けどそのぐらい執筆中はだいぶメンタルが怪しいようだ。とはいえ俺としても嘘を吐くことはできない。
そこで頼んでいた注文が二人分届く。イタリアの都市風の名前がついたドリアと、トマトソースのかかったチキンステーキとライスが並ぶ。
紗夜さんが動かないので俺も待っていると、しばらくして口が開かれた。
「浅海くん」
「はい」
「……やっぱり、お願いしてもいいかな」
日頃よく見る、紗夜さんの窺うような弱々しい瞳。
けれどその奥には現状を変えたいという意思が見えている。
「ずっとこのままじゃ何もないまま終わっちゃう。……それは嫌だから」
紗夜さんの視線を真っすぐに受け止めて、俺は深く頷いた。
「はい。ぜひやらせてください」
大好きな作家の助けに、尊敬する先輩の助けに、俺がなれる。
悩む理由も断る理由もないだろう。
紗夜さんが安堵したように笑みを浮かべてから、おずおずと手を差し出してくる。
「……じゃあ、ひとまず次のバイトの後、一時間だけもらえるかな」
「わかりました」
こうして俺の紗夜さん励まし執筆会が始まった。
◇
俺のような一般人が作家である先輩を助ける。
まずそんなことができるのか? というのはとても疑問だったけど。
「ねえねえ浅見くん……」
「どうしました?」
後日、また同じファミレス。
夜も遅くなっているので、店内にお客さんは少ない。
ドリンクバーを頼んでコーヒーを飲みつつ、ノートに向き合う紗夜さんの前に待機していると、急にぐったりと体を倒した。
「……この企画、面白くない気がしてきた……ちょっと見てくれない……?」
「拝見します」
ノートで纏めてる企画案を見せてもらう。ちなみに、こうして見せられるのは今日だけで五回目だ。考えてる時間より見せられてる時間の方が長い。
「この部分は……ありきたりな気がしますね」
「うっ……」
「でもこの部分とか、さっき見せてもらった案とも繋がってすごく面白くなりそうです」
「……そお……?」
「はい。瀬名……紗夜さんの得意な心理描写も活かせますし、紗夜さんの作品が好きな人はこういう話が好きだと思います」
「本当……?」
「本当です。面白いですよ」
躊躇いなく頷くと、「そうかも……そんな気がしてきた……」と呟いてまたノートに向き直る。頭を抱えて悩む。それから何かを書く。ペンが止まったら、だんだん呻きだして俺に確認してくる。
(普段もたぶん、こんな感じで一回一回考えが止まるんだろうな……)
小さい不安が芽生えた時に、紗夜さんの場合は一気に不安が加速してたぶん胸中を圧迫するのだと思う。
俺がやってるのは、その不安が小さい内に不安になるべき箇所とならなくていい箇所を切り分ける作業だ。
(……俺の目線では、わからないところもあるけど)
考える的が絞られるから、紗夜さんはきっと考えやすくなるのだと思う。
というか、そうだったらいいなと思っている。
俺は頑張ってくださいと小さく呟いて、紗夜さんの分のコーヒーの追加を汲んできた。
◇
その次も、またその次の会も同じような感じだった。
「浅海くん……こんな感じのキャラで好きになってもらえるかなぁ……?」
「俺は好きですよ。ギャップもあって、とてもかわいいと思います」
「そっか……そうかも……えっと。浅海くんさ」
「はい?」
ただ、同じようだった中で、今日は珍しく逆に質問された。
「今は、何言われてもいいから、嘘無しで言ってほしいんだけど」
「なんでしょう」
「浅海くんにとって、こうやってどうしようもないことで悩んでる瀬名玲衣は……嫌?」
「え?」
「……もっと超然としててさ、悩み事だって高尚で、誰も知らないような知識があって、綺麗で、誰からも頼りにされるような……そんな人だった方が、よかった?」
視線は伏せられている。
紗夜さんは理想の作家をそんな風にイメージしているんだろうか。
つい笑ってしまった。
「いいえ。俺はこっちの方が親しみやすくて好きですね」
「……そっかぁ」
紗夜さんがわずかに笑みを零す。
その後はあまりネガティブな感じにはなっていなかった。
いつもより調子がよさそうだ。
◇
段々と、細部が詰められていく。
「あらすじこんな感じでいいかなぁ……」
「全体的にすごくいいと思います。ただ、この部分の動機がちょっとわからないです」
「あっ……たしかに抜けてるね。そこ書かないと……」
紗夜さんは、今日はパソコンを持ってきて今までの内容を企画書の形にまとめていた。
こうして実際に作品が作り上げられていくのを見ると、瀬名玲衣という作家の凄まじさが身に染みてわかる。
(……これ、本当に凄い作品になるのでは?)
俺の目では確信まではしきれない。
けれどおぼろげに見える作品の全体像が脳裏に走った時、鳥肌が立つのを感じた。
瀬名玲衣という作家。
高校生で新人賞を受賞してベストセラーという偉業を打ち立てた人。
――才能が無いなんてありえない。
「……本当に、凄いと思います。紗夜さん」
「……え? そう? えへへ……」
最近ちょっと褒められ慣れてきた紗夜さんが、恥ずかしそうに笑った。




