第4話 とある作家の話
紗夜さんと二人でファミレスに入る。
注文を終えると、俺は早速持っていた文庫本を紗夜さんに差し出した。
タイトルは『セレナ―デ』。もちろん作者の名前は、瀬名玲衣。
「サイン、お願いしてもいいですか?」
「……ほんとにしなきゃだめ……?」
「もちろん無理にとは言いませんけど……」
「……むぐ……し、仕方ないなぁ……」
紗夜さんが恥ずかしそうにしながら、渡したサインペンで表紙の裏にサインを書いてくれる。こなれた文字で瀬名玲衣のサインが書かれていた。
サインをもらったところで、作品の内容が変わるわけではない。
けれど好きな作家が特別に書いてくれたというだけで、俺にとっては途方もない程の価値がある。
「おお……これがサイン」
「……見られると恥ずかしいから、家に帰ってから見てね」
「わかりました。後で目に焼き付けておきます」
「……浅海くんはまたそんなこと言って。私なんかのサインで、本当に嬉しい?」
私なんか、なんてまた自分を下げるような事を言っている。
むしろどうして疑うんだろう。俺が先生のファンだということ自体は紗夜さんにも伝わってると思ってたけど。
嬉しいものは嬉しい。きちんと伝えないと。
「そりゃ嬉しいですよ――大好きな人にサインを貰えたんですから」
神妙に頷くと、紗夜さんがなぜかぴくりと跳ねて頬を赤くした。
「そ、その、好きとか急に言われるとぉ……」
「……え? あ、すみません。そうですよね。身バレしたら良くないですし」
注意されてしまった。たしかに、作家とかサインとか喋っていたら、周りにも紗夜さんが瀬名玲衣であることがバレてしまうかもしれない。身バレ防止には気を付けなければ。
「そ……それはそうなんだけど……まあいっか……浅海くんだし」
「なんですか?」
「えーっと、さっきの話の続きしてもいい?」
「あー……はい。大丈夫です。お姉さんのことですよね」
そうだ。紗夜さんの正体にはびっくりしたけど、お姉さんのことも聞きたい。
紗夜さんが周囲を見渡す。大丈夫だ。ここにお姉さんはいない。開けた視界のファミレスだから、入ってきてもすぐにわかる。
それを確認してから、言いづらそうに呟いた。
「……私、ほとんど逃げ出すみたいに家を出てきてるんだよね」
「逃げ出す、ですか?」
「大学入学と同時に家を出たの。家族に引っ越すとは言ってるけど、住所は伝えてない。保証人とかは他にお世話になってる人もいるからなんとかなった」
「そんな……」
「……もちろん探そうと思えば探せるだろうけど、しばらく何もなかったの。今日、姉さんが来るまではね」
初耳の話だけど、たしかにこんなことただの後輩には言わないだろう。
きちんと聞こうと姿勢を整える。
「お姉さんは、紗夜さんが小説を書いてるのを知ってたんですね」
「うん。高校生で新人賞を取った時は家にいたし……褒められるかと思って家族には言ったの。あんまりいい顔はされなかったけどね」
「どうしてですか?」
「うちの家族は小説を読むなら勉強をしろってタイプだから。でも人気な内はまだよかったんだけど、ネットで叩かれるようになってから反発が強くなった。たぶん……身内が恥を晒してるように見えるみたい。特に姉さんは完璧主義な人だから」
完璧主義。お姉さんを見た時の第一印象もそれに近い。
自分にも他人にも厳しい人のような印象を受けた。
「たしかに、頑固そうな人でした」
「ふふ、そうだね。私、昔から要領がよくないんだけど、姉さんはよく『なんでそんな失敗をするの?』って怒ってきてた。なんでもできる人だったから、身内にできない人がいるのが恥ずかしかったんだと思う」
「なんでも、ですか」
「ええ。勉強もスポーツも人間関係も、私より断然上手くできた。私は何をしても姉に適わなくて、褒められる時も『よくできたね。お姉さんよりは下だけど』ぐらいだったから……」
わずかに眉間に皺が寄ってしまうのがわかる。
家族にそんな褒め方はないんじゃないか。
でも、気にした風もなく紗夜さんが笑って。
「でもね、小説だけは……私だけが認められたの」
そこに大切な宝物でもあるかのように視線を落とす。
「新人賞を取った時ですよね」
「うん。……姉は小説を書いて新人賞になんて応募しない。そんな暇があるなら資格の勉強とかをする人だから。家族がなんて言おうと、私の作品は世間で人気だった。だからようやく自分がちゃんと認められた気がして、すごく嬉しかったの」
あの時、瀬名玲衣という新人作家は間違いなく世間でも認められていた。
『セレナーデ』には何十万部というベストセラーの帯が巻かれて、映像化もされた。
……ただ、時間が経ってから評判はゆっくり下降していく。
紗夜さんがふっと肩を落とした。
「……でもその後の作品の評判がすごく悪くて、そこから売れ行きが怪しくなった。書店からの返品も増えたみたい。編集さんは流行の作品を一回書かないかって勧めてきたけど……それもうまく書けなくて」
一年前、最後に出た新刊。
お姉さんも読んだと言っていた最新作は、流行に乗っ取った世界観とコンセプトで作られていた。俺も、瀬名玲衣らしくないなとは思っていた。
「……それから、どうしても書けないの」
紗夜さんの目線がふっと落ちる。
「自信が持てなくて手が止まっちゃう。編集さんに褒めてもらいながらだったら少しだけ書けるけど、いつまでも拘束するわけにもいかない。……浅海くんとか、待ってくれてる人もいるのに」
笑顔を浮かべているけど、それはずいぶんと寒々しい印象に見える。
「私には小説しかないのに。書けなくなったら何もない」
寂しげな微笑みを浮かべて独り言のように零す。
「本当は家には帰りたくない。私を認めてくれる人がいない場所……でも」
何もない空間を見つめて微かに息を零した。
「――もう……諦めて家に帰るしかないのかなぁ……」
その言葉を聞いて、俺は拳を握りしめた。
(本当にそうだろうか?)
紗夜さんはもう、小説を書けないんだろうか。
流行の展開の後追いしかできないんだろうか。
話を聞く限り、最近になって小説を書けなくなったのは自信の無さが原因だ。
一度、評判が悪い作品を出して低評価が付く。それで慌てて合わない流行り物を無理に書いて、結局うまく書けなくて低評価を付けられる。そういう悪循環で作家としての自信が無くなる。
初期の頃に低評価が付いてから、そうやってどんどん自信を失ってしまったのだろう。
けれど俺は――瀬名玲衣が世間で言われるほど悪い作品を書いてるわけじゃないと思う。
(最近の作品も十分面白いけどな……)
『セレナーデ』が派手に広告されすぎたせいか、瀬名玲衣の作品に付くレビューは厳しい目線の物が多い。だからどうしても低評価が付きやすい。
でも俺を含め、ファンだってまだ付いているのだ。
だからおそらくまだ編集さんも作品を出そうとしてくれている。
「――紗夜さん……違います」
「浅海くん?」
「紗夜さんの作品は、面白いです」
そもそも紗夜さんはずっと自分への評価が低すぎる。
さっきも要領が悪いと言っていたけど、そんなことはない。バイト中の紗夜さんしか知らないけれど、いつもはきちんと頼りになる先輩なのだ。他のメンバーと比べても誰よりも仕事ができている。要領が悪いというのは、自分で悪いと思い込んでいるだけで。
(……お姉さんと、家族の影響なんだろうな)
完璧主義の中にいたから自分を低く見積もってしまっているのだ。
その自信を、少しでも取り戻せれば。
「何か……俺にできる事はありませんか?」
「浅海くんに……? ……ええと……それは、でも……」
紗夜さんが何かを言おうとして、でも口を噤む。
もしかして、本当にできることがあるのだろうか。
「言ってください。俺、なんでもします!」
「なっ、なんでも……!?」
「なんでもです!」
紗夜さんが口をもにょもにょさせる。
「……あ、浅海くん。なんでもするとか不用意に言っちゃだめだよ。なんで私が注意してるのかわからないけど」
「わかりました気を付けます。それで、何かできるんですか?」
「……ほんとに気を付けてくれるのかなぁ……?」
観念したように溜息を吐いて、恥ずかしそうに口を開く。
「じゃあ……その……笑わないで聞いてほしいんだけど」
「はい」
「浅海くんに褒めてもらいながらだったら……書けるかも」
「へ?」
予想外の提案に、口をぽかんと開けてしまった。




