第1話 バイト先の先輩
駅から少し歩いた所にある、隠れ家的な小さなカフェ。
閉店時間も迫る夜。
店内のお客さんもはけて、後は時間が過ぎるのを待つばかり。
そんな静かな店内で欠伸を噛み殺していると、隣に立つ先輩が申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「……浅海くん、今日はごめんね。私のせいで忙しくしちゃって」
――九条紗夜。
彼女は俺と一緒にバイトをしている、二つ年上の先輩だ。
背中まで流れる艶やかな黒髪。切れ長の目が特徴的な、女優のような整った顔立ち。かなり背も高くて、すらりとしたスタイルにカフェのエプロン姿がとても似合っている。
頭も良くて、ふとした振る舞いにも知性と品性が垣間見える。通っている大学も偏差値の高い所のようだ。運動もできて非の打ち所がない。いわゆる、高嶺の花みたいな人。
けれど――いつも少しだけ気になる所がある。
「いえ気にしないでください。たいしたことじゃないですから」
紗夜さんが謝っているのは、さっき注文を聞き間違えてしまったことだ。
でも相手は常連さんだったし、すぐに謝罪して取り換えできたので、大事には至ってない。常連さんも謝る俺達に平気だよと笑ってくれてたし。
だからそこまで気にしなくていいと思うのだけど。
紗夜さんがへにゃりと顔を歪めた。
「気にしないなんて無理だよぉ……!」
「紗夜さん?」
そしてへなへなと背中を丸める。
背の高さに反比例して声がだいぶ弱々しい
「浅海くんよりずっと先輩なのに失敗するなんて……! しかも後輩にフォローしてもらうなんて……! 私はダメな先輩なんだぁ……!」
「あはは……」
見慣れた光景に、苦笑を浮かべて様子を見守る。
紗夜さんはなぜかいつも思考が後ろ向きなのだ。
でも自分をダメなんて言うけど、別にそんなことはない。紗夜さんは普通に仕事ができるし、むしろ助けてもらってる回数は俺の方が圧倒的に多いのだ。たまーに失敗した時にネガティブスイッチが入ってしまうだけで。
「紗夜さん。紗夜さんはダメな先輩じゃないですよ」
「……本当に……?」
「もちろん本当です。この前だって俺が英語の注文に困ってた時すぐ助けてくれたじゃないですか。むしろダメなのは俺の方です」
「あ、浅海くんがダメなんてことないよ」
「俺も紗夜さんにはそう思います。紗夜さんがダメなわけないです」
む、と紗夜さんが一度、口を噤む。
「……そうかなぁ……浅海くんはいつもそう言うからなぁ……」
「いつもそう思ってますから」
「……そっかぁ」
真っすぐ目を見上げて伝えると、紗夜さんはもにょもにょと口を噤んで視線を逸らす。
伝わってるのかな。わからないけど、普段も紗夜さんがネガティブになっている時も、一応はポジティブなことを口にするようにしていた。
紗夜さんはたぶん、褒められるのが嫌いではないと思う。なぜそう思うかと言うと、褒めると口元がもにょもにょするからだ。後輩歴一年の俺の見立てでは、あれはたぶん笑顔になりそうなのをがんばって抑えているのだと思う。
だったら口にするのは肯定的な言葉である方がいい。普段、紗夜さんには助けてもらってるのだ。幸いなことに褒め言葉は探さなくても出てくる。
「そういえば紗夜さん、今日って何かあったんですか? バイト中もよく溜息吐いてましたけど」
「えっ……えーと、ちょっとね」
気まずそうに視線をそらされる。
今日の紗夜さんはバイトが始まる前からちょっと元気が無さそうだった。何かはあったらしい。心配だけどあまり触れられたくはなさそうだ。そう思って別の話題を差し出す。
「――そういえば俺、今日『瀬名玲衣』先生の本を読んでたんですけど」
「うっ……そ、そうなんだ」
「どうかしました?」
「な、なんでもないよ。浅海くん、また読んでくれ……読んでたんだね」
瀬名玲衣は、三年前に新人賞を取ってデビューした小説家だ。
当時は高校生作家だということで話題になっていた。
「はい。先生の文章を読んでると気持ちが落ち着くんですよね……表現が透き通って綺麗で、何か辛い事があっても寄り添ってくれるというか……」
「う、うん」
「ほんとなんて言うんでしょうね……読んでるだけで心が癒されてほっとできるんです。下手くそな感想ですけど、嫌な事があった時とかに気づくと手に取っちゃうんですよね。きっと作者さんも素敵な人なんだろうなぁ……」
と言いかけた所で、紗夜さんの様子がおかしいのに気づいて顔を覗き込んだ。
「……あれ紗夜さん? 顔が赤いですけど、大丈夫ですか?」
「へっ?」
頬に手を当て、慌てたように首を振られる。
「あっ、平気! 大丈夫! ちょ、ちょっと暑いだけだから!」
「あー……暖房効いてますもんね。よかったです。心配しちゃいました」
まだ顔は赤いけれど、体調が悪いのでなければよかった。
紗夜さんがぱたぱたと手で顔を仰いで、ふぅと息を吐く。
「浅海くんは……まだ、瀬名玲衣の新作を待ってるんだよね?」
「……はい。もちろんです。大好きな作家なので」
言いづらそうな紗夜さんの言葉。
言外に籠められた意味もわかる。
瀬名玲衣の作品は一年前に出たきりなのだ。
俺は先生の新刊を熱望しているものの、未だ音沙汰はない。
紗夜さんがわずかに躊躇ってから口を開いた。
「……でも、瀬名玲衣はデビュー作以来ずっと評判はよくないよね」
「あー……」
「……あんな風に言われるくらいなら、もしかしたら出さない方がいいかもって思ってるかもしれない」
たしかに世間での瀬名玲衣の評判は、あまり良くない。
瀬名玲衣のデビュー作、『セレナーデ』。
あの作品は当時すごく人気だった。俺が一番読み返す回数が多いのもこれだ。
少し文章の拙さがあるとは言われていたけど、内容の素晴らしさで世間には受けた。映像化もされたし、何十万部という帯がよく更新されていた。
けれどそれ以降の作品になると、がくっと人気が落ちる。
以降も何度か作品を発表していたが、どれも評判は良くない。
『セレナーデ』の焼き増しか、流行り物の二番煎じだと言われている。
瀬名玲衣はデビュー作だけの小説家。
高校生作家というプロモーションで売れただけ。
偶然で人気になっただけの零細作家。
そういう評価はよく見かける。
だから新作はもう出さないんじゃないか……というのも一部では噂されている事だけど。
(……でもなぁ)
俺は……そこまで言われるほどじゃないと思うのだ。
「それでも俺は先生の新作、読みたいですけどね」
「…………」
そんなことを話している内に閉店時間が迫ってきた。
「……浅海くん、そろそろ片付け始めよっか。掃除しちゃうね」
「わかりました。レジ閉めておきます」
分担して片付けを始めようとする。
――その瞬間、紗夜さんのポケットから何かが落ちた。
「あれ、紗夜さん。なにか落とし……」
落としたのは小さなメモ帳。
たまたま開かれたそのページの内容が、目に飛び込む。
『★次回作の構想』
『セレナーデの要素を入れずに考える!』
『編集さん:恋愛ものとか?』
――え?
これって?
「……っ!」
疑問が芽生えた瞬間、紗夜さんが飛びついてメモを両手で押さえた。
「…………」
「…………」
沈黙が降りる。
「……見た?」
紗夜さんが上目遣いで見つめてくる。
一瞬、誤魔化せるだろうかと考えたけど、この状況では無理だ。
「……すみません。見ました」
答えた瞬間、紗夜さんの顔が絶望に染まる。
しかしこっちの脳内だって混乱に満ちていた。
(次回作? 編集さん? というか、セレナーデの要素をいれないって瀬名玲衣がずっと言われてるようなことじゃ?)
さらに、その瞬間だった。
カランカランと入り口の鈴が鳴る。
「……えっ? もう閉店なのに……」
時計の針は確かにもう閉店を過ぎている。さっき店の前の看板も引き上げて、「CLOSED」に変えてきた。
それにも関わらず、扉が開いてとある女性が入ってくる。
「床に座って何してるの? 紗夜」
入ってきたその人は――紗夜さんにとてもよく似た女性だった。
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