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第七話 深淵の入口——未定義の式痕

 弁明まで、残り二十四日。

 夜明け前の空はまだ群青で、窓硝子に朝露が薄く貼りついている。私は黒板の昨日の折れ線の末端に小さな点を打ち、日付を書き換えた。視界の端で、税収予測 1243 → 12□3 → 1243。欠けた桁はすぐ戻ったのに、空白の輪郭だけがまぶたの裏に残っている。


 扉が二度、控えめに鳴った。

「皆、集まりました」

 リディアの声に頷き、私は黒板の下に一行足す。「弁明まで、あと二十四」。自分に向けた刻限の印だ。



 長机の並ぶ小広間。鍛冶場から副職で呼んだ金具係、元冒険者のブルーノ、孤児院から選んだ記録官候補のミナとテオ、若い兵が四名。端にはアデリナと領主代理、少し離れた壁際にクラウス査察官。顔ぶれは粗いが、今からここが「ダンジョン管理局」になる。


「本日より、局を正式に動かします。責任者は私――フランチェスカ・ローレン」

 立ち上がると、数拍の静寂。統率の数が 0.46 → 0.52とわずかに揺れ上がった。


「目標は三つ。

 一、踏査と記録。

 二、安全と収益の両立。

 三、王都への報告体制の確立」


 私は黒板に三角を描いて三辺を矢印で結び、必要な書式を順に挙げていった。入退坑台帳、負傷報告、素材査定表、保管目録、出納簿。それらを二重化するための「写し書き班」も併設する。ミナとテオには、同じ内容を別紙に鏡写しで残させるつもりだ。


「入坑前の点検は十二項目。灯火は二系統、合図笛、命綱、ロープ結びの確認、予備水袋、標識札、携帯釘、背負子の重心、靴底補強、出入口標識の板、帰還予定時刻の掲示、そして――記録官の筆は必ず二本」

 黒板の角に古い羽根ペンを二本、交差させて描くと、孤児たちの背筋がほんの少し伸びた。士気 0.58 → 0.64。この上昇は固定しない。自分の足で覚えた熱は、次も自分で灯せる。


「金物は足りてるか」

 アーサーが問う。

「ピトン百、楔百五十、細目の鎖を十巻き。腐食対策の油は倍。アイザックには“錆びにくい釘”の試作をお願いしています」

「炭の配分は?」

「午前は市場、午後は鍛冶場に。配分表はここに」

 アデリナへ一覧を渡すと、彼女は素早く目を走らせてから短く頷いた。納得の数 0.41 → 0.48。


 壁際で腕を組んでいたクラウスが口を開く。

「報告は逐次、私が写しを作る。王都式の印紙を併用すれば、後日の係争を減らせる」

「助かります」

 無駄のない声。温度は低いが、筋は通っている。私は黒板の隅に小さく「印紙」と書き足した。


「本日の踏査は入口から百歩以内。浅い曲がり角を右に折れた先まで。――行きましょう」



 午前。断崖の裾に穿たれた穴は、近づくだけで体温を奪う冷気を吐いていた。苔の微光が石壁の傷を照らし、足元の砂が細かくざらつく。


「距離標、一枚目」

 白木の札に「A-1」と記し、入口から三十歩に打ち込む。赤縄を結んだピトンが軽く鳴った。新兵アレンの手の汗が縄に滲むのが見えて、私は背負子のロープを引き直し重心を整えた。転倒の数 0.19 → 0.15。自分の呼吸まで静かに揃えてやると、彼の喉仏の上下が落ち着いていく。


 風の向きが変わった瞬間、視界の端で短い欠け。危険の数 0.03 → □ → 0.03。耳の奥で金属が擦れるような微かな音。私は顔を動かさず、紙に小さく印をつける。(また……)


「三拍子で進む」

 私は手のひらを挙げ、列の足運びを合わせた。ひとつ、ふたつ――三つ目で誰かの靴が石をはね、拍がずれかける。

「止まれ」

 即座に掌を返す。止まる。呼吸がひとつになる。薄闇の向こうで、灰緑の塊がゆらりと揺れた。小さなスライムだ。


「踏むな、叩くな。縁を削って逸らす」

 ブルーノが槍の柄で床を二度小突き、粘体がそちらに寄る。私は列を一歩横へ滑らせ、距離標の方へ誘導した。アレンの指先がわずかに震え、怯えの数 0.33 → 0.29。彼が槍の穂先を無駄に動かさずに済んだのを見届け、私は頷く。


 ミナが板に書きつける。

「入口四十五歩、小型一、誘導、負傷なし」

 その筆先の隣を、インクの糸がすべって空白がひと沁み残る。記録の数 0.62 → 0.57 → 0.62。ミナは眉を寄せたが、テオが「震えたんだよ紙が」と冗談めかし、彼女は小さく笑って筆を置いた。(今の“抜け”も、記しておく)


 さらに十歩。岩肌の影にそれはあった。

 線と点が歪んで重なり、どの言葉にも当てはまらない――数の骨だけを取り出して、わざと並びを崩したような刻み。私の視界の中央で、黒い記号列がかすかに波打つ。


 誰かが無意識に手を伸ばすのが見え、私は指を絡め取る。

「触れないで」

 声が石に当たり、列の呼吸が止まった。恐れの数 0.28 → 0.36。


 クラウスが松明の光の縁まで近づき、レンズがわずかに光る。

「それは?」

「わかりません。わからないから、写します」

 私は薄紙を当て、木炭で写しを取った。線を追うたびに、危険の数 0.03 → □ → 0.03が同じ調子で点滅する。(入口、距離標A-2、刻印の前……欠ける場所は、決まっている?)


「今日はここまで。範囲を越えない」

 アーサーの声に、全員が頷く。帰路、私は足場の脇に白墨で細い丸を三つ、等間隔で刻んだ。数字を知らない者でも、印の約束は守れる。



 地上に戻れば陽は傾き、市場の屋根布が琥珀色に照り返す。鍛冶場では火が低く唸り、ソフィアの鍋から香草の湯気がこぼれていた。日常の匂いが肺に広がり、私は胸の奥のこわばりをひとつ分だけ解く。


 小広間での報告。黒板の前に立ち、私は必要最低限だけを並べた。

「本日の踏査結果。

 ・入口から百歩の導線確定、距離標 A-1〜A-3 設置。

 ・小型魔性体一、誘導排除、負傷者なし。

 ・未知の刻印(仮称:式痕)の写し採取。

 安全に関わる記録は二重に写し、写し書き班が保管。明朝、王都式の印紙を受け取り次第、貼付して封緘します」


「収穫は?」

 アデリナの問いに、私は空欄の欄外を指で軽く叩いた。

「敢えて出しません。見積もれますが、今は安全の母数が不足しています。今日の無事は、明日の無事の保証ではないから」

「わかった。市の利益から管理局の費用を引く案は生きてる?」

「生きています。今日の色分け規則も併せて導入します――白は一般、黄は許可搬入、赤は局員専用」

 色札を卓上に置くと、孤児たちの目が少し輝いた。理解の数 0.52 → 0.61。


 クラウスが短く言う。

「報告書の文言は慎重に。『未知』は人を惹きつけ、同時に敵を増やす」

「心得ています」

 彼はそれ以上、何も問わなかった。眼鏡の奥の視線が、ほんの一瞬だけ私の指先――紙の余白に残した小さな点へ滑る。見られた気配に、喉の奥が冷える。けれど口には出さない。これは私の目にだけ灯る、私の仕事だ。



 人が散り、城の回廊に夜の気配が満ちる。

 書き物机に灯りを寄せ、私は別帳を開いた。


――観測記録:空白

・場所:入口/距離標A-2/刻印前

・現象:数が一瞬欠ける(桁/小数)、記録に微細な空白

・同時:蝋燭の揺れ/呼吸の乱れ/耳奥の金属音

・関連:井戸の揺れ(以前)/炉火の揺れ(本日、アイザック談)

・推察:地下水脈/魔性濃度/人為(保留)


 羽根ペンの先が止まる。窓の外、井戸の水面が月をほどいて微かに震えた。私は掌を胸に当てる。恐れの数 0.28。固定はしない。恐れは手元を鈍らせるが、刃の鞘でもある。抜く時を選べば、守りにも攻めにもなる。


 仕舞う間際、扉が軽く叩かれた。

「使いの者が。王都より封書です」

 紺の蝋に紋章。開くと、短い文面。

『軍備視察団、月末に予定。狼関の整備状況、併せて聴取』


 胸裏で別の時計が鳴る。

(弁明の前に、前哨戦――)

 私は黒板に近づき、今日の線の下へ静かに書き足した。

「軍備視察、予告。市場・管理局・鍛冶・学校、見せる順序を組む」


 白墨を置き、灯を落とす。

 深淵は口を閉ざしたように暗い。だが、線はもう引いた。印も置いた。数字が揺れても、記録は残る。

 私は明日の色札の束を確かめ、静かに目を閉じた。弁明まで、残り二十四日。世界が揺れても、私がここに刻んだ線は、消えない。

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