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第六話 査察の影——数字が映す剣と秤

王都査察局のクラウス・ヴェルナーが到着。市場・鍛冶場・学校・帳簿を数字で検証されるが、フランチェスカは法律と記録で迎え撃ち、無理な係数操作は最小限に抑えて“実態”で通す。契約婚の確認も形式だけでなく実質で認められ、領内の信頼が静かに上がる。一方、視界には式ノイズが頻発し、税収予測の桁が一瞬欠ける異常が発生。原因は不明のまま。夜の評議では市場常設とダンジョン管理局の発足が前進し、軍備視察への準備が始まる。弁明まで残り二十五日、数字は剣であり秤であることを胸に、主人公は次の一手へ進む。

 弁明まで、残り二十六日。

 夜明けの鐘が鳴る前、私は黒板の前で白墨を握り、昨日の市場の折れ線を一本、細く引き足した。日商指数 1.00 → 1.52。角度はまだ心許ないが、曲線は嘘をつかない。ページを閉じ、井戸で手を洗う。水面が震え、視界の片隅で衛生 0.34 → 0.39 → 0.34と一瞬だけ跳ねた。

 ――また“揺れ”。(偶然……? 違う、頻度が多い。けれど、まだ断定はできない)


 門楼の見張りが旗を振る。黒い馬車が城門前で止まり、雨を払った紺の外套が降り立つ。銀の縁を持つ眼鏡、髪は短く刈り上げ、口元だけが無表情のまま整っている。

「王都査察局、クラウス・ヴェルナー。税務および交易、並びに“契約婚”の確認に参った」

 名乗りと同時に、背後の書記官二名が木箱を降ろし、封蝋を押した書類束を机のように積み上げる。護衛六。陣形は乱れなし。――脅威 0.47 → 0.52。


 アーサーが一歩前へ出る。「ヴァン・グレイ辺境伯、アーサー。すべての記録と現場を公開する」

「感謝します。まずは現地の“空気”から」

 クラウスは視線だけで市場の方角を指した。狩人のような沈黙。私は頷き、案内の先頭に立つ。


 市場の屋根は、昨夜の雨を弾いたばかりで黒く艶を帯びていた。露店の布が開き、朝靄に湯気が混ざる。

「ここが昨日、再開した市場です。記録はこの通り」

 私が差し出した帳簿を、クラウスは指先でめくる。紙の端が鳴るたび、視界の端で記録精度 0.35 → 0.36と微かに上がる。

「件数は増えている。返品率は……0.14 → 0.08。急だ」

「急ですが、無理はしていません。衛生導線を変えました。手洗い桶の数を倍にし、濡れやすい品は屋根の奥へ。滞留率 0.62 → 0.48」

 私は屋根の柱を軽く叩き、影の伸びる角度を示す。

(k_flowをいじる必要はない。今日は“見せる”日。数字は自分で歩かせる)


 魚売りの男が胸を張る。「昼でも身が締まってますぜ」

 クラウスは無言で腹を押し、氷水の桶を覗く。「氷は?」

「冬に蓄えた分は尽きましたが、氷室を造る計画を。材料は確保済み」

 書記官がすかさず羽根ペンを走らせる。**投資回収 0.62(予測)**が薄く点いた。私は数字に触れない。触れたくなる衝動を、喉の奥で飲み込む。


 鍛冶場へ移ると、アイザックが火床の前で外套を脱いだ。鋼を摘み、火に入れ、鞴を踏む。炎が赤から橙、やがて青白に変わる。

「工具の本数、昨日は鎌十六、鍬十二、釘四箱」

「確認する」

 書記官が新しい帳に頁を起こす。炉の奥で、炉温安定度 0.92 → 1.05 → 0.92。

 ――また、揺れ。

 (干渉痕の形じゃない、気圧か、湿度か。あるいは……)

 私は人差し指をほんの一瞬、数字の“縁”に触れた。k_heatloss 0.97 → 0.99(微調整)。炎は落ち着く。

 クラウスの視線がこちらに滑る。目が合う。私は笑みで受け、数値から指を離した。


「教育は?」

 黒板の前で、子どもたちが昨日書いた“ア”と自分の名を指でなぞる。兵士がぎこちなく筆を持つ。

「識字 0.15 → 0.17。授業は毎朝。算術は午後に」

「記録の読み手を作ると」

「はい。数字は残すだけでは意味がありませんから」

 クラウスの眼鏡が微かに光る。評価か、警戒か、判断しかねない。


 昼前、私たちは城の会議室に移った。長机に帳簿が山になり、封蝋が次々割られる。

「王国税法第十七条二項、物品税の算出基準。第十七条三項、臨時減免の適用要件。――該当?」

「該当します。干ばつの影響により農産収入三割減。救済条項の“連続月次”の証跡はこれ」

 私は日毎の作柄報告、雨量の記録、井戸の復旧日誌を並べた。証跡網羅 0.40 → 0.61。

 クラウスは一枚ずつ、紙の端を爪で弾いて音を聴く。

「紙質が違う。これは王都の官紙、こちらは領内の粗紙。――作為は?」

「ありません。王都は出荷記録、領内は日報です。書式は統一済み。相互に照合できます」

 私は交点に印を付け、**相関 0.72(整合)**を示す。

「……ふむ」

 短い相槌。だが書記官の筆が速度を上げた。会議室の空気が一拍だけ軽くなる。


「契約婚について」

 書記官の一人が婚姻契約書を開き、条文と日付を読み上げる。証人欄に、辺境の古参兵と村の女主人の署名。

「同居の実態は?」

 クラウスの問いに、アーサーが視線を動かすことなく答えた。

「同じ屋根の下。責務は共有。決裁は協議」

「寝所は」

 わずかな間。私は喉の乾きを意識して、水差しに手を伸ばす。

「――必要があれば答える。が、王国婚姻法の“婚姻の実質”要件は共同生活と経済の共有で満たされる」

 自分の声が、驚くほど落ち着いて聞こえた。

 クラウスは私を、次にアーサーを見た。

「記録しておこう」

 信頼 0.72 → 0.78(自然上昇)。私は固定しない。これはふたりの歩幅で掴む数字だ。


 査察は午後も続いた。市場の裏路地、保管小屋、税の計算場。私は“見せられるもの”をすべて見せた。

 終わり際、クラウスは封筒を一通、机に置いた。紺の蝋、王都の紋章。

「三日後、暫定の報告を王都に上げる。……それと、近聞だが」

 眼鏡の奥の目が、わずかに陰る。

「最近、王都の一部で“式”に異常が見られるという報せがある。数字が跳ね、時に桁が落ち、また戻る。――こちらでも、もし何かあれば記録を」

 喉の奥がひやりとする。(やはり、私の気のせいではない)

「承知しました。異常値は、必ず残します」


 見送りの礼を終え、市場の端の階段に腰を降ろす。靴底に石の冷たさが滲み、遠くで金床の律動が合図のように響く。

 目を閉じ、深く息を吐く。

(今日は“勝てた”か――?)

 数字は嘘をつかない。返品率 0.08(維持)、滞留 0.48 → 0.44、記録精度 0.36 → 0.41。どれも小さく、しかし確実に動いた。

 ……その時だ。視界の端で、税収予測 1243 → 12□3 → 1243。

 桁が、一瞬だけ“欠けた”。

 瞬きする間の、空白。すぐ元に戻る。風も、光も、誰の足音も変わらないのに、数字だけが途切れた。


 私は立ち上がり、記録台に戻る。羽根ペンを取り、日誌の末尾に短く記す。

「式ノイズ:市場閉場後、税収予測が一瞬欠損。発生源不明。環境要因未特定。明日も観測継続」

 ――逃げない。

 数字が揺れるなら、揺れの波形を描けばいい。

 数字が欠けるなら、欠けた“痕”を集めればいい。

 私は世界の式に触れられる。それは祝福で、時に呪いだ。けれど、使い方は私が決める。


 夜、臨時評議。

 議題は二つ。市場の常設化と、ダンジョン管理局の発足だ。

「許認可は段取りで短くできます。提出順序を入れ替え、査定の待ち時間を詰める。人の流れを最適化すれば、数字は自然に上がる」

 私は紙束の端に小さくk_permitと書き、矢印で工程を組み替える。――処理効率 0.73(予測)。

 領主代理は眼鏡を上げ、アデリナは肩を竦めながらも頷いた。

「会計は?」

「孤児院から数字に強い子を三名。読み書きは私が見る。冒険者上がりの査定人を二名。安全記録は兵から一人」

「軍備視察の希望が王都から来るだろう」

 アーサーの言葉に、私は頷く。

「訓練場の導線を変えます。無理はさせない。訓練効率 k_train 0.91 → 1.03(微調整予定)。数字は“楽に続けられる”方が強い」


 評議が終わり、人が散る。窓を開けると、井戸の水面が月をほどいて揺れた。

 耳の奥に、微かな“空白”の音。

 私は掌を胸に当て、ひとつだけ数字を見つめる。恐れ 0.28。

 ……固定はしない。恐れは刃の鞘だ。抜く時を間違えなければ、役に立つ。


 灯を落とす前、黒板の端に小さく書き足した。

「弁明まで、残り二十五日」

 世界の秤は重い。けれど、剣を持つ手は、もう震えていない。


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