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第三十四話 小部屋の定番——回る帯

 白札「A-2」を右に折れた先。湿った風が抜ける小部屋は、床が平らで天井が低い。腕次第で短時間でも稼げる——だからこそ、争いも生まれやすい場所だ。今日はここを「誰でも稼げて、誰も焦げない」定番にする。


「枠は十五分。かごは一人三つまで。笛が鳴ったら交代。――破ったら、次は枠から外れる」


 入口の杭に、私は板を立てて刻みを書いた。並ぶ顔ぶれも、今日から少し増えている。


 軽装二人組の〈風切〉は最初の入場。脚さばきが速く、道具が静かだ。背の高い方が指先だけで合図を出すと、もう一人が床の湿りを避ける位置にかごを滑らせる。気負いがない。十五分ぴったりで戻り、控えにさらりと印を置いた。


 黒マントの四人、〈デッドエンド〉は目つきが鋭いが、統率が取れている。リーダーは傷だらけの革手袋を外し、板を横目で見て鼻で笑った。


「刻に縛られるのは嫌いだが、稼げるなら従う」


「従えば、次も入れる。稼げば、熟練枠を増やす」


 私が返すと、リーダーは肩を竦めて中へ消えた。


 色とりどりの紐を装身具にした混成隊〈虹色の方舟〉は、若い娘が二人に年配の男が一人。軽口を叩きながらも視線は常に周囲。帰ってくると、娘が笑顔でミナに言う。


「私たちなりの“道具置き場”、印つけておいたから真似していいよ」


 彼らの“気前の良さ”が列の緊張を解く。好感 0.52 → 0.60。


 初見の三人組〈灰色の三日月〉は肩に力が入っている。私は背負子の紐を軽く引き、緩みを直してやった。


「床の縁は滑る。削る角度は浅めに。かごは二段にしない。――慌てないこと」


 黄札の搬送組が外周を走る。テオは控えを抱え、名前と札番号を丁寧に写す。ガレスは入口の警備に一人を足し、列の詰まりを手信号で解いていく。外の白縄は半間だけ広げた。列の滞りがほどける。k_flow 1.00 → 1.02。



 四枠目、〈デッドエンド〉が時間ぎりぎりまで粘った。笛が鳴っても、奥の一人が最後の樹脂を剝がそうと粘る。


「交代!」


 旗を横に切る。ブルーノが一歩入り、短く告げた。


「出ろ。ルールは守れ。守れば次も入れる」


 黒マントが私を睨む。視線が熱い。私は一歩前へ出た。


「腕は見ている。あなたたち向けに“熟練枠”を午後から一本増やす。時間内に仕上げる者だけが入れる枠よ。今は出る。次で見せて」


 怒り 0.62 → 0.40/悔しさ 0.78 → 0.70。数字は落ち着いた。リーダーは舌打ちを飲み込み、無言で退いた。列が動く。空気も動く。


 六枠目、〈灰色の三日月〉の若い男がかごを持ち上げた瞬間に足を滑らせて手首を打った。テオがすぐ布で冷やし、私は掌に触れて炎症 1.00 → 0.98 へ一撫で。今夜眠れるだけでいい。彼は照れ笑いをし、ミナはその笑いまで控えに残す。


 入口脇では、老執事のバルドが荷馬車の並びを手早く入れ替えていた。降ろす列と載せる列。声がよく通る。


「降ろすのはこちら。三歩あけろ。載せは向こう。ぶつけたら骨が泣く。泣く骨は高くつく」


 真面目な顔で冗談を言う。周囲の手が、少し速くなる。働く場の笑いは、短いほど長く効く。


 市場ではアデリナが秤の皿を軽く叩き、湿りの残る品を影で寝かせてから買い取っていく。彼女の「高め」は先行投資だ。買い取りと夜市が太い管でつながるよう、机の並びを「湿り→乾き待ち→買取→夜市前渡し」に組み替える。列は止まらない。



 午後、「熟練枠」を一本追加。先頭は〈風切〉。合図の五分前に自分たちで手を止め、道具を定位置に戻し、足場を整えてから出てくる。完璧だ。次は〈デッドエンド〉。先ほどの苛立ちは消え、刻に合わせて動く。最後の三分で、次の者の足場を掃いてくれた。私は入口で短く告げる。


「ありがとう。——これが“上手い”の見本よ」


 黒マントの肩が、ほのかに誇らしげに揺れた。


 新顔も増えた。短剣二本の女と弓の少年の二人組〈旅烏〉は、互いに一言も発さないのに呼吸が合っている。少年が気配で後ろを守り、女が無駄なく前だけを見る。戻ると、女がぽつり。


「刻が決まってると、むしろ楽。次に集中できる」


 大柄三人の〈薄暮の猟犬〉は罠見の癖が良い。入る前に全員で足元を一度「見る」。戻ってきた時、彼らは床の“滑る線”に白墨で印を付けていた。


「次のために残す。うちのやり方だ」


 ごつい手が、やさしい仕事をする。好感 0.49 → 0.58。


 〈虹色の方舟〉は、採る量は控えめだが、道具の手入れが丁寧で、黄札の搬送をよく助ける。若い娘が笑って言う。


「次の枠が気持ちよく入れる方が、お店も儲かるの。夜に団子、売りたいでしょ?」


 ソフィアが遠くから鍋の蓋を叩いて応えた。「団子は三刻ごと! 手早い人から売り切れるよ!」


 列が微笑む。空気がやわらぐ。



 私は入口板の横で、進み具合をずっと見ていた。十五分の枠は乱れない。一般枠では転びかける者が出ても、黄札がすぐ支え、外周へ誘導する。熟練枠は前後三分の“譲り”が定着し始めている。ミナが控えを片手で抱え、もう片手で印の箱を外に回す。テオは筆の迷いが減った。緊張 0.61 → 0.47。


「午後の終わり、熟練枠はもう一本増やします」


 私は黒板に一行足し、入口の板にも赤い点を打った。「時間内に道具と足場を整えて出ること」。上手さは独り占めではなく、次に渡すための技だと、形にしておく。


 奥の柱の近くを通り過ぎたとき、耳の奥で金属が薄く擦れた。視界の隅で刻が刹那に欠ける。9:1□ → 9:14。——顔には出さない。胸の中だけで、印を小さく足す。今日は運用を回す日。揺れは、点で覚えておけばいい。



 夕刻前。市場の湯気が濃くなり、人の声が増える。買い取りの列と夜市の列が噛み合い、街の輪郭に温度が乗る。アデリナは「先払い」の紙片を出店へ配って回る。


「二十。あとで差し引き。……はい、こっちは十五」


 先に安心を渡すと、手が増える。ゆとり 0.33 → 0.47。


 バルドが私の肩越しにそっと言う。


「看板の板、もう一枚。明日には『うちの村もやる』と来ましょう」


「作っておきましょう。釘と石灰も。アイザックにも“踏まれても割れない枠”を一つ頼んで」


「承知いたしました」


 彼は背筋を伸ばして去っていく。あの歳で、歩幅が揃っている。昔から“場を整える人”だったのだろう。



 夜。片付けを終え、私は黒板に今日の要点を書いた。


「小部屋:十五分×二列(熟練/一般)。各三かご。交代笛」

「熟練:前後三分の譲りを条件化。一般:補助帯の黄札を増員」

「市場:乾き待ち棚増設。先払い紙片で夜市へ直結」


 最後に、小さく「明日:熟練“お手本枠”を朝一で一回」と書き添える。見て盗んでもらう枠だ。


 戸口に気配。アーサーが入ってきた。外套の裾に砂が少し。彼は短く言った。


「橋の鈴は、今日は鳴らなかった」


「灰の線は?」


「切れない。楔は効いている」


 彼は机の角に腰をあずけ、室内を一巡見回す。入口の板、黒板、控えの束。私の指のチョークの粉。


「小部屋は、どうだ」


「回ったわ。——“上手い”を見せたら、皆が真似した。熟練枠は前後三分で次の足場まで整えて出る。一般枠は黄札の補助を増やした」


「いい運用だ」


 アーサーは短く言い、少し笑って続けた。


「〈デッドエンド〉のリーダーが、出口で俺に『次も刻を守る』と言った。悔しそうに、だが、嬉しそうでもあった」


「見栄と誇りは、近いところにあるのよ」


「……君の“刻”の付け方は、俺の“鈴”と似ているな」


「似ていると思う。目に見える合図は、誰にでも公平だから」


 少し沈黙。外から夜市の笑い声が流れ込む。彼は壁の地図を見ながら、声を落とした。


「明日は、堰の横に新しい目印をつける。水位の板を二段にして、子どもにも分かるようにする」


「いいわね。黒い線と白い線。日向と影で見え方が変わらないように」


「そうだ。……それと、君に頼みがある」


 アーサーは言い淀み、照れたように笑った。


「明日、朝の『お手本枠』に、俺も五分だけ入っていいか? 領主が現場で邪魔をする気はない。ただ、兵に、俺が“刻を守る姿”を見せたい」


「もちろん。——でも、道具は熟練のを使ってね。見栄を張って滑ったら笑われるわ」


「……気をつける」


 二人で笑った。笑いは小さいほど、長く残る。


「ありがとう、アーサー」


「ありがとうは、俺の方だ。君の“定規”があると、皆が同じ方を向く」


 彼は立ち上がり、外套の砂を払った。


「休め。明日も回る」


「ええ。あなたも」


 扉が閉まる。灯を落とす前、私は胸の中で数字を揃えた。列の速さ、夜市の湯気、熟練の譲り、子どもの笛の音。どれもここに残った。——明日も回す。回る帯に、人の暮らしを乗せていくために。

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