第四話 鍛冶師の到来——火花が描く辺境の未来
井戸開通の翌朝、フランチェスカは中庭の仮設教室で読み書きを教え、兵士と子どもたちに小さな成功体験を積ませる(識字率・士気が微増)。そこへ鍛冶師アイザックが到着。健康を整えて忠誠を得ると、鍛冶場を立て直し、初の試作剣が完成して士気がさらに上がる。教育に反対する領主代理には、数字で示した将来収支で了承を取り付けた。火(鍛冶)・水(井戸)・文字(教育)の三本柱が整い、辺境再建の線が一本につながる回。
井戸が開いた翌朝、辺境城の空気は目に見えて変わっていた。石畳の間を渡る風は湿りを帯び、台所からは昨夜炊いた麦粥の名残り香が漂う。中庭には仮設の机と長椅子、立てかけられた黒板。私はチョークを握り、丸い一画をゆっくりと描いた。
「これは“あ”です」
子どもたちの口から、小さな声が零れる。後列では、鎧の音を忍ばせながら兵士たちも筆を取り、ぎこちなく線をなぞった。視界の端で、識字率指数 0.12 → 0.15が淡く灯る。蝋燭が一つ増えたような、ささやかな明るさだ。
「字を覚えることは、剣を磨くのと同じ。戦場でも家でも、あなたを守ります」
言い終えると、背中の広い兵士がこわごわと自分の名を一字だけ書いた。周囲から小さな拍手が起こり、士気 0.42 → 0.45。数字は、言葉がきちんと届いたことを私だけに囁いてくれる。
授業の仕舞いを告げようとした時、城門の方から鐘の音が高く鳴った。門番が駆け込み、息を整えながら報告する。
「鍛冶師が到着しました、フランチェスカ様!」
私はアーサーと目を合わせ、頷いた。正門の前、灰色の外套に身を包んだ壮年の男が立っている。肩に担いだ大槌は煤で黒く、柄には細かい傷が無数に走っていた。男は深く頭を垂れる。
「鍛冶師、アイザック。辺境伯殿のお招き、光栄にございます」
顔を上げた目は、火床の赤を映したように静かに熱い。だが視界の片隅で、健康指数 0.38が赤く脈打っているのが見えた。節くれ立つ指の関節がわずかに強張っていた。
「長旅で手が冷えているでしょう。鍛冶場はすぐそこです。……握らせてもらっても?」
私は彼の手を取り、深く息を吸う。鼓動に同期して、赤い警告が薄れていく。固定。彼の指先から力が戻るのが掌越しに伝わった。
「……奇跡ですな」アイザックはぽつりと呟き、口元だけで微笑んだ。「もう一度、槌を振れます」
忠誠度 0.60 → 0.72。数字は静かに跳ね、胸の内側で澄んだ音を立てた。
鍛冶場は中庭の片隅、石壁に寄り添うように設えてある。古い炉の上には煤が積もり、風箱は乾いて軋んだ音を立てた。アイザックは一瞥して眉をひそめる。
「空気の送りが足りませぬ。これでは鋼が眠ったままです」
彼は風箱の革紐を締め直し、足で鞴を踏み込む。炉の炎が赤から橙、やがて青白へと色を変え、壁に落ちる影の輪郭が鋭くなる。頬を刺す熱、鉄の匂い、焦げた炭の苦み。打撃音が最初の一度、二度、三度――やがて一定の律動を刻む。火花が弧を描き、天井の梁で消えた。
「その色、その音……」私は小さく呟く。「目で、耳で、鋼の機嫌が分かるのね」
「はい。炎のご機嫌取りは、女王の機嫌取りより難しい」アイザックは冗談めかしながら、赤熱した鋼を金床に置き、槌を振り下ろした。「しかし一度応えてくれれば、一生離れません」
見物に来た兵士や農民が息を呑む。やがて刃が形を取り、刃文がうっすらと浮かび始める。炉の奥で、炉温安定度 0.20 → 0.56がゆらりと上がった。私は数字の揺れに指先を重ね、そっと加速する。無理のない範囲で、今だけ。
「フランチェスカ様!」背後からリディアが駆けてきた。「子どもたち、今日初めて自分の名前を書けた子が三人も!」
嬉しそうに差し出された紙には、震える線で書かれた小さな名。滲んだインクが、努力の気配を留めている。私は紙面を指でなぞり、希望指数 0.48 → 0.56をそっと固定した。広がれ、光。
その時だ。鍛冶場へ続く通路の影から、きつい香の匂いとともに足音が近づいてきた。領主代理が腕を組み、唇の片端だけで笑う。
「賑やかなことだな。だが、農民が字を覚えて何の得がある。畑の土は文字で耕せまい」
「土は鍬で、未来は文字で耕します」私は穏やかに応じ、机に紙を広げた。「収穫の記録を正確に付ければ、無駄は減る。報告が迅速なら、被害も減る。ここ一年の損失を数字で並べると――」
私は帳簿から抜いた数字を、彼の目の前で線で結ぶ。読み書きの普及で、どこが縮み、どこが伸びるか。数字は黙って未来の輪郭を描いてくれる。彼の眉間の皺が、わずかにほどけた。
「……で、わしの取り分は?」ぶっきらぼうに問う声の奥に、揺れがある。
「取引の記録が整えば、税の漏れも争いも減る。あなたの取り分を減らす話ではありません。むしろ、安定して“増える”。ここを見てください」
私は線の終点を指で軽く叩いた。沈黙が数拍。視界の端で、利益感度 0.44 → 0.53が小さく点滅する。
「……やってみろ。私の顔を泥にするなよ」
「泥は井戸で洗います。文字は、こちらで教えます」
彼が踵を返すと、アイザックの打撃音が一段と澄んだ。火花が飛ぶたび、子どもたちが目を丸くする。やがて刃が水面に沈められ、じゅっ、と小さな雷のような音がした。立ちのぼる白い湯気に、鉄と水と火の匂いが混ざる。
「一本目、仕上がりました」
アイザックが差し出した剣は、古い鍔でも輝きを拒まなかった。試しに薪を立て、アーサーが無造作に一太刀。乾いた音とともに薪が割れ、周囲から歓声が湧く。士気 0.45 → 0.50。数字は控えめに跳ね、胸の奥まで温かい。
「この調子で工具も頼むわ。井戸掘りの次は、畑の排水溝。溝を正しく掘れば、病も減る」
「承知」アイザックは短く答え、槌を持ち直す。その横顔は、炎に照らされて若返って見えた。
午後、私は再び教室に戻った。兵士の一人が、紙の中央に大きく“ア”と書き、照れくさそうに頭を掻く。隣の小柄な少年は、二度失敗した末に自分の名の最後の一字を書き切った。周囲から自然に手が伸び、肩に触れる。連帯指数 0.32 → 0.40。数字の上がり下がりに心を奪われすぎないようにと自らを戒めつつ、その瞬間だけはそっと固定した。
夕刻。鍛冶場の熱はまだ衰えず、橙の光が石壁にゆらめいている。私は城壁の上に立ち、遠い丘の稜線を眺めた。薄くかかった雲が西の光を吸い、鋼の刃のような縁取りを見せる。耳の奥に、金床の律動が続く。城下の路地からは、子どもが読み上げた一文に合わせて笑う大人の声が混じって聞こえた。
「今日は、よくやった」
背後からアーサーの声。振り返ると、額の汗が既に乾いて白い線になっていた。彼の視線が鍛冶場から教室へ、そして井戸へと順に動く。そこに、昨日までなかった“線”が確かに結ばれているのを、私たちは同時に見たのだ。
「あなたも」私は頷いた。「火と水と文字。三つの柱が立ちました。次は、市場の屋根と、ダンジョンの扉ね」
「扉はすぐに開く。……開けに行くか」
「ええ。でも焦らず、鍵穴を磨くところから」
夜、書き物机に今日の記録を残す。子どもたちの名、兵士の一字、作られた剣の本数、折れた古い鍬の数、笑い声の回数――最後の一つは、数字にはならないけれど。窓を開けると、井戸の水面が月をほどいて揺れた。鍛冶場の火は小さくなり、音も遠く。淡い数字の光だけが、まだ私の視界の端で静かに脈打っている。
「今日も、いい一日だったわ」
傍らのリディアが布を畳みながら笑った。「明日は、もっと良くなりますよ、フランチェスカ様」
火の音と水の匂いと、紙の上のインクの線。――それらが重なって、辺境の夜は、昨日とは違う形でやさしく更けていった。
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