幕間 クラウス——紙と秤と人の歩幅
記す。王都会計監理院の書記官、クラウスである。私の仕事は、言葉を短く、手順を長く残すことだ。だが今は、紙の外側――現場の呼吸に少し触れねばならない。王都広場の弁明から、今日の窓口の立ち上げまで、見たままを書き置く。
⸻
フランチェスカ・ローレンという人を初めて意識したのは、告発資料ではなく、机の使い方だ。羽根ペンは拭ってから置く。写しと本紙を左右に分け、順に積む。余白は広すぎず狭すぎず。読み手の“手”が迷わない。あの置き方だけで、私の半分は彼女を信用した。
アーサー・ヴァン・グレイは逆だ。言葉は少なく目は広い。指示を短く、先に体が動く。二人は似ていないが、片方が場を整え、片方が人を整える。だから仕事が崩れない。
⸻
最終弁明の午前。王太子派は「作法を乱す」「王妃の器ではない」と攻めた。祭祀・外交・継承――王家の“顔”に必要な三つの柱を並べ、彼女の失点を積み上げる論だ。私の役目は、資料の正しさと手順の照合である。
彼女は私の机に控えを置き、「写しを先に、印は後から追わせます」とだけ言った。私は秤を出し、同文だが工程の違う二通を載せる。針がわずかにずれる。封の上に追印が一つ増えれば、その“重み”は残る。私は飾らず、その差だけを示した。秤は歓声も怒号も聞かない。真ん中で止まるか止まらないか――それだけだ。
午前は王太子側に分があった。群衆は理屈より物語を先に飲む。彼女は焦らなかった。机を片づけ、必要な紙だけを残した。その“置き方”を見て、午後に勝負をかけるつもりだと悟る。
⸻
午後。鍛冶場の一度きりの暴発が鍵になった。辺境から届いた炭袋の切れ、港の倉の出納帳、湿りを記す控え、都内搬入の帳簿。ばらばらの紙片を、誰でも追える順に並べる。袋の織り目は海沿いの倉の品に一致。出荷日付がひとつ跳び、その行だけ紙目が違う。差し替えの痕だ。
私は机に三点だけ置いた。袋の拓本、出納帳の写し、搬入控え。指で順に示し、静かに読む。彼女は横から最小限の言葉を添える。「現場は止めません。写しを先に出し、印は後から」。派手ではないが、場がうねるのを感じた。嘘を暴いたのは、私でも彼女でもない。紙と手続きだ。私たちは、その代弁をしたにすぎない。
王太子レオンは反論をやめ、私の机をのぞきこんだ。「自分の目で見る」と。あの切り替えは記録すべき事実だ。若くして、意地より実を選んだ。白梟セヴランが午後の総括で「入口で詰まる」と言い、彼は頷いた。翌朝、門前の“上乗せ徴収”は止まり、範囲の掲示が出た。言葉ではなく手続きで改まったことも、ここに残す。
⸻
宰相オルドリック。飾りのない外套に銀の指環がひとつ。歩幅が揃い、余計な前置きがない。
「赦しは制度で裏付ける」
その一文で、私は彼を信用する気になった。〈探索ギルド・王都窓口〉の設置。軍務局と国境領の共同調査。月次報告。現場を止めない範囲の監視。監視は嫌われるが、必要だ。監視を嫌う現場は、いずれ自分を壊す。
王家封蝋の写し権限は「一度きり」。それで足りた。写しの鎖がつながれば、差し替えは難しくなる。私は受け渡し帳に「いつ・誰が・どこで・何を」を足し、秤の横に置いた。道具で嘘を減らすのが、いちばん人を傷つけない。
⸻
王都窓口の初日。看板、秤、受け渡し帳。最低限だけ並べ、ルールを三つに絞って広場で声を出す。
一、列は中央を空ける。二、弱い者を先に通す。三、遅れは鐘で知らせる(ひとつ注意、ふたつ優先、みっつ退避)。
衛兵隊長ガレスの号令は通る声だ。彼が広場に三本の導線を引き、私は外周の縄を半間だけずらした。滞りの波が短くなる。こういう小さな整え方は、紙より早い。
ミナとテオは、新しい手順に手間取りながらも、角を揃えるのが上手い。ミナは図を描くとき、矢印を太くしない。テオは余白をつぶさない。読み手の速度を崩さないやり方だ。二人に窓口の“読みやすさ”は任せられる。
アデリナは買い上げで「今日の儲け」より「明日の回り」を選ぶ。価格を少し甘くし、控えの書式を揃え、返却の約束をその場で言わせる。「言わせる」は大事だ。書く前に口にした約束は、手が覚える。
ソフィアは鍋で場を守る。列が長くなる前に、湯気を立てる。湯気が立つと、怒鳴り声が減る。数字には出ないが、混乱を小さくする最短手段だ。
ブルーノは短く「ここまで」と言う。退く合図は弱さではない。次に進むための踏み台だと、彼の声は教える。列が揺れたとき、その一声で足がそろう。
アイザックは道具で事故を減らす。返し鋲を深く、鎖の口径を揃える。規格が揃えば、紙は薄くて済む。薄い紙は早く回る。彼の仕事は、紙の味方だ。
アーサーは子どもの笛の持ち方を直した。指が短い子には穴をひとつ詰める――それだけで避難の合図が遅れない。彼は橋でも堰でも同じことをしていた。鳴る前に締め、落ちる前に塞ぐ。攻めるために、先に守る。現場に必要なのは、たいていそういう人だ。
⸻
夕刻前、宰相府の書庫から束が届く。海沿いの商館の帳簿の写し。封の重さが昨日と違う。中に薄紙が増えたのだろう。秤に載せ、受け渡し帳に刻む。出納の列に、紙目の違う頁が混じっている。差し替えの匂いだ。私は匂いで判断しない。紙目と綴じ目と日付の並びを、誰でも追える形に並べ直す。ガレスの衛兵が押さえた倉の証拠と照合すれば、線はつながるはずだ。
白梟セヴランは広場の端に立ち、最後にひと言だけ落とした。「遅れの波が短い」。それで十分だ。現場に深入りしない観察は、邪魔にならない。
宰相オルドリックは足を止めず、「次は月初だ。忘れるな」。窓口の仕事は熱が落ちてからが本番だという合図でもある。忘れない。忘れられない仕組みにする。
⸻
人の側も記す。紙は人の影で、人は紙の重さだ。
王太子レオン。彼は朝、体面を選んだ。昼、紙を見て切り替えた。夜、門前の掲示に自ら署名した。謝罪は言葉より手続きに現れた。王になる者に必要なのは、恥をかく勇気だ。彼にはそれがある。感情ではなく、記録としてここに残す。
フランチェスカは群衆の熱を固定しない。熱は下がる。下がってから続くものだけが制度になると知っているからだ。退く基準を先に置き、写しを先に出し、印は後から追わせる。やっていることは単純だ。単純な手順ほど、強い。
噂も聞く。「見通しが良すぎる」「先を読んでいるのではないか」。私は噂を仕事にしない。彼女が見ているものが何であれ、彼女が選んだのは“場を止めない”方法だ。それで十分だ。
⸻
最後に、自分のことも少し。私は紙の番人だ。秤と印で嘘を減らし、受け渡し帳で人の記憶を助ける。現場の人間ではない。だが、現場に寄り添う紙は作れる。今日、窓口の角に秤を置き、角を揃え、要点を三行で残した。
一、窓口設置。看板・秤・受け渡し帳、運用開始。
二、共同調査の枠組み合意。月次報告。上乗せ徴収の停止と掲示。
三、王家封蝋の写し権限(期間限定)により、差し替えの線を追う。
明日も同じ速さで続ける。人が変わっても同じ結果になるように。紙は時に刃になり、時に盾になる。私の望みは、刃を鈍らせ、盾を厚くする側にいることだ。以上、署名して、この頁を閉じる。
最後まで読んでくださって感謝です!
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ぜひブクマや★で応援お願いします。
感想もとても励みになるので、気軽に書いていただけると嬉しいです!




