第二十九話 王都の締め——託す仕組み、発つ準備
朝、広場の掲示台に新しい布告が貼られた。金の王家印が赤い蝋の上にくっきり浮き、宰相オルドリックが短く読み上げる。
「偽印の中継所は本日限りで閉鎖。保管帳簿は臨検に付す。徴税窓口は“範囲”を掲示して上乗せを禁ず」
群衆がざわめき、視線が紙から衛兵へ、衛兵から私へと流れる。好感がわずかに上がり、混乱がひと息だけ小さくなるのが見えた。0.68 → 0.72、0.12 → 0.10。私は触らない。人が納得して落ち着くなら、その方が長持ちする。
白梟セヴランは布告の脇に立ち、私にだけ聞こえる声量で言う。
「王都側は押さえる。国境では、お前たちが続けろ」
ただそれだけ。無駄がない。私は頷き、用意してきた最後の段取りに入った。
⸻
王都窓口の看板を布で拭い、文字を塗り直す。〈探索ギルド・王都窓口/監督:ダンジョン管理局〉。下に三行だけ添える。
――受付の順。避難の合図。徴税の“範囲”の図。
飾りは要らない。迷子を出さない線だけが要る。クラウスが輪番表を板に掛け、ガレスが衛兵の立ち位置を調整する。ミナは掲示の文言を読みやすく直し、テオは受け渡し帳の欄外を整えて、誰が見ても同じ順番で回せる形にする。
「滞ってるの、ここです」テオが指で示した列の折れ曲がりに、私は白線を半間だけずらした。流れがほどける。k_flow 1.00 → 1.01。押すのはここまで。押し過ぎると、人の癖が育たない。
人垣の前で、私は封の“見本”を机に載せた。同じ文面の書状を二通。片方は手順どおり、もう片方は途中で封を切って貼り直したもの。小さな秤に順に置くと、針が紙一枚ぶんだけ違う角度を指した。ざわっと空気が揺れ、子どもが目を丸くする。
「重さは嘘をつきません。受け渡し帳には、封を受けた時刻と人の名を書きます。印は後からでも追えます。だから、途中で差し替えられません」
目で見る証拠に、人の不安が少しずつ溶けていく。0.33 → 0.26。クラウスが無言で頷き、記録の棚に余白を増やした。
「口約束は風で飛ぶ。紙は残る。紙を残すやり方も、同じ形で残す」
ガレスが衛兵たちを一列に並べ、「鐘は三段だ」と告げる。一つで中央を空け、二つで弱い者を先に、三つで列ごと退く。今日の訓練を一度だけ。黄札は影へ、白は外周へ、赤は搬送へ。笛の音が続けて二度鳴り、列がぶつからずに割れる。セヴランが目を細め、「遅れの波が短い」とだけ評した。
⸻
執務棟に戻ると、宰相府の書庫から紺の封が届いていた。港の倉から出た帳簿の追加。封を受け取った瞬間、重みが昨日よりわずかに違うと指先が告げる。秤に置くと、針が小さく振れた。中に薄紙が足されたのだ。
封を割る。紙の束をめくって、私は目を止める。港→王都の搬入の列だけ、日付の並びに妙な“間”。紙の端の目も揃っていない。差し替えの痕。
「クラウス、保全へ。原本は王都側で押さえて。控えはこちらで写すわ」
クラウスは眼鏡の縁を押し上げ、「第三者の署名、二名つける」と短く言って走った。ガレスは衛兵を連れて出ていく。私の側でミナが写しの準備を整え、テオは受け渡し帳の“照合”の欄を一行増やした。記録の粒を少し細かくする。k_trace 1.04 → 1.06。
この先は王都の役目。線を引く。だからこそ、線のこちら側を固める。
⸻
昼、広場に王太子レオンが姿を見せた。侍従は二歩下げて立ち、彼は自分の声で群衆に告げる。
「門前での“上乗せ”は今日から禁ず。範囲の掲示を徹底する。違えた者は処す。――報告は私が受ける」
短い言葉だが、逃げない目だった。拍手は控えめに広がり、好感が穏やかに上がる。0.70 → 0.73。アーサーが傍らで「明日も同じ速さで」とだけ付け加える。続ける覚悟を言葉にすると、場の足が地面を思い出す。
レオンは私の前に来て、私情を挟まなかった。昨日と同じだ。線を踏み越えない距離のまま、王都の窓口を見渡し、黙って一礼して去る。人に見られる立場の顔の作り方を、ようやく思い出し始めたのだと思う。
⸻
午後、宰相・軍務局・国境領の三者で机に向かった。白紙にタイトルを置く。共同調査規程(第一版)。王都窓口運用手引き(第一版)。月次報告の宛先、照合の順番、保管の年限。必要な事だけを短く、抜けないように並べる。セヴランが首肯し、オルドリックが指環で蝋を押す。
「制度は道具だ。道具は使ってこそ役に立つ。壊すな」
宰相の言い方は固いが、音が骨に届く。私は深く頷いた。王家封蝋の“写し権限”は、あと二日。王都に残したクラウスへ、古帳簿の優先順位をまとめた束を託す。
「順番が違えば、同じ人でも違う結果になる。順番を決めた以上、誰がやっても同じになるように回す」
「分かっている」オルドリックは短く言い、窓の外に視線をやった。「発て」
⸻
王都窓口の机から最後の荷を下ろし、出立の積み方に組み替える。前衛はブルーノの隊、中央に証拠の写しと私、後衛をアーサーが引く。ミナとテオは同行、窓口はクラウスとガレスへ。
アイザックが木箱を一つ抱えてきて、私の前に置く。返し鋲、同口径の鎖環、刻印を揃えた工具一式。局印が小さく光る。
「貸すんじゃない。預けるんだ。返す時は、増やして返してくれ」
「預けるのは信頼。増やすのは約束」
「……約束を忘れる手には、刻みが痛い」
ぶっきらぼうな口調に、孤児たちが笑いを噛み殺す。ソフィアは鍋を抱え、「腹に入れてから歩け」と煮込みをよそい、私の手にも木椀を押しつけた。塩が利いていて、体の力が戻る。
リディアが短い外套の端を握り、走り寄ってきた。「忘れ物、ない?」彼女の指は、私の袖口のほつれを見つけるのだけは達者だ。
「大丈夫。あなたの目が、いちばん確か」
掲示板の前で、ミナが筆を走らせる。〈避難の合図〉〈徴税の範囲〉〈受付の順〉。彼女の字は、昨日より迷いが少ない。テオは輪番表の名前を整えながら、最後に一度だけ深呼吸をした。緊張が落ちる。0.54 → 0.48。
セヴランは馬上から短く、「報告を待つ」とだけ言った。オルドリックは早足のまま振り返らず、「月初」と一語を置いた。レオンは門の前で立ち止まり、「現場で会おう」と言って、侍従に目をやった。彼の迷いは、昨日より薄い。0.56 → 0.60。私は触れない。決意は、他人が撫でるものではない。
⸻
城門を出る。石の継ぎ目、旧井戸跡、鐘楼の線上。薄明と薄暮のあいだに“欠け”はよく来る。今日も短く、耳の奥で金属が擦れた。刻の数字が一瞬だけ途切れて、すぐ戻る。私は顔を上げず、胸の帳に点をひとつ置いた。
街道に入ると、風が乾いていく。里程標ごとに隊列を整え、歩幅をそろえる。アーサーが後衛を見渡し、「夜明け前後の交代を標準にする。明日は実際に動かす」と告げる。薄明演習。ダリウスが合流したら、図に落として全隊に広げよう。
日が傾き始めたところで、斥候が小走りに戻ってきた。「焚き火の跡がありました。油の匂いが、王都の路地に似てる」と。テオが鼻をひくつかせ、小さく頷く。布の織りと同じように、匂いにも土地の癖がある。捕まえ損ねた手先が、尾に付いてきているのかもしれない。
「追う?」ブルーノが目だけで問う。アーサーは首を横に振った。
「今は無視。合流点で網を張る。ここで振り返ると、列が切れる」
攻めるのは、捕れる場を作ってから。逃がさないための“前へ”だ。
⸻
小さな谷の手前で野営を敷く。見張り火を三つ。鍋の湯気に塩が香る。ソフィアが木椀を回し、私は地図と欠け帳を膝の上に広げた。王都、里程標、門外の井戸跡。点を線で結び、明日の鐘の刻に印を付ける。アーサーが脇に腰を下ろし、火に手をかざした。
「王都の熱は落ちる。落ちてからが勝負だ。ここは、手を動かせば勝つ」
「窓口は回り始めた。鍛冶も、道も、明日から“いつも通り”を早く作る」
「ああ。ダリウスとは、明日合流だ」
彼の声は低いが、よく届く。私は頷き、地図の端に小さく書く。
「明日、薄明演習。鐘・井戸・往来の三点、記録開始」
火のはぜる音が一度だけ高くなり、すぐ落ち着いた。見張りの交代を告げる笛が遠くで鳴る。私は帳を閉じ、灯を落とす前に三行だけ黒板へ写した。
「王都の締め、済。窓口・書式・掲示、引き継ぎ完了」
「偽印筋の補巻、王都に託す。写し権限、あと二日」
「国境へ出立。明日、薄明演習。合流点で網を張る」
数字は声に出さない。けれど、紙の重さと、人の足の速さと、ここまで積んだ段取りは確かに残る。明日は“戻る”ためではなく、“進む”ために整える日だ。進める準備は、もうできている。
最後まで読んでくださって感謝です!
少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら、ぜひブクマや★で応援お願いします。
感想もとても励みになるので、気軽に書いていただけると嬉しいです!




