第二十六話 王都窓口——赦しの条件
第二十六話 王都窓口——赦しの条件
弁明から一夜。広場の掲示台に、王家の金の印が押された布告が掲げられた――「フランチェスカ・ローレンの名誉回復。王国事務における資格の原状回復」。人の輪が自然にでき、歓声が一度だけ高く上がって、それから落ち着いたざわめきになる。好感は昨日の熱から少し下がる(0.84 → 0.80)。私は触れない。熱を固定するより、習慣に変わる方が強い。
白梟セヴランが布告の脇に立ち、石段の上で視線を横に送る。その先、灰色の外套を肩にかけた宰相が現れた。名はオルドリック。飾りは少なく、銀の指環がひとつ。歩幅が揃っている。無駄を嫌う人だと、足音が教える。
「時間を取る」オルドリックは言葉を切り詰めて言い、執務棟の一室へ私たちを招き入れた。長机、箱秤、白紙、封蝋。必要なものしか置かれていない。
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面談は、宰相の合図で始まった。アーサーは黙って壁際に立ち、セヴランは机の角に軽く指を置く。
「条件を整える。赦しは、制度で裏付ける」オルドリックは前置きなく本題に入った。「第一。王都に〈探索ギルド・王都窓口〉を設ける。監督はダンジョン管理局。第二。王城軍務局と国境領で共同調査の仕組みを作る。第三。運用報告は月次で提出。――対価に、王国は君の名を回復し、現場の裁量を保障する」
「受けます。ただし、現場を止める手続きは受けません」
私は机に用意してきた書面を三通広げた。王都側、国境領側、そして第三者証跡用の写し。綴じ糸の色は違え、押印の位置もわずかにずらしてある。
「書類運用は“写し先行・本紙追認”。今日は一度、重さを見てください」
箱秤に封した書状を二つ載せる。どちらも同じ文面、片方は封緘の上に追印を一つ足してある。針がほんのわずかだけ振れる。オルドリックが無言で秤に顔を近づけ、指環で封の縁をコツと叩いた。
「この差が、履歴だと?」
「はい。貼付・追印・保管の工程が増えるほど痕が増えます。改竄は難しくなる。――王都窓口では箱秤と〈封緘記〉を常備します。受け渡しごとに“いつ・誰が・どこで・何を”を写しに記す。印は後追いでよい」
セヴランが短く言う。「秤と記録は許す。現場を止めぬ限り」
オルドリックは頷き、別の紙を引き寄せた。「共同調査は軍務局が主査。だが報告の初稿は君の局が起こせ。第三者の照合に回す。――監視はする。疑ってではない。王国の手続きは、誰がやっても同じ結果になる必要がある」
言い切り方が固い。けれど、理に適っている。私は一枚、別の封書を差し出した。
「もう一つ。王都門前の徴税所での“上乗せ徴収”を止めてください。現場裁量の範囲を明文化して、窓口に掲示を。徴税の滞りは人を殺します」
宰相は一瞬だけセヴランへ視線を振り、すぐ戻す。「王命で止める。掲示は王都と国境領の双方に」
彼は最後の紙を取り、王家封蝋の小箱を開いた。赤い蝋の上に指環を置く。押して、上げる。鮮やかな紋が浮いた。
「一度だけだ」宰相は封蝋に指先を添えた。「王家封蝋の“写し権限”を貸す。王都保管文書の写しを、王家名で起こせる。差し替えの痕を洗うために。乱用は許さない。――一度きりだ」
「十分です」
胸の奥で、記録の粒を少し細かくする。k_trace 1.02 → 1.04。数字は私にだけ見える。触れすぎないように、静かに整えるだけ。
「それと」オルドリックは椅子から立ち上がり、窓の外の広場を見た。「群衆の熱は続かない。見せ物にしてはならん。窓口の仕事は“熱が下がった後”に、同じ速さで続くかどうかで測る」
「続けます」
彼は短く頷き、机の端に置いた砂時計を一度、逆さに返した。「では動け」
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広場では、王都窓口の看板に白布をかけ、最初の説明をした。〈探索ギルド・王都窓口/監督:ダンジョン管理局〉――文字は大きく、言葉は少なく。列は自然に生まれ、衛兵隊長のガレスが号令でまとまりを作る。
「鐘は三段。ひとつで中央を空ける。ふたつで弱い者を先に。みっつで列ごと退く」
実地の避難訓練を一度。黄札を影に、白は外周に、赤は搬送。足がもつれる箇所で外周の縄を半間ずらす。列の滞りがほぐれる(k_flow 0.99 → 1.01)。セヴランは相変わらず無言だが、最後に「遅れの波が短い」とだけ言い残した。オルドリックは足を止めず、「次は月初だ。忘れるな」と短く釘を刺す。忘れない。忘れる仕組みにしない。
列の端で、アーサーが子どもの笛の持ち方を直していた。指が短い子には穴をひとつ詰める。そういう工夫が、命をつなぐ。見ているだけで、胸の中の数字が静かに落ち着いていく。
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中庭に戻ると、宰相府の書庫から差し出された紺の封が届いていた。書庫に残る「海沿いの商館」の出納帳の写しだ。封の重みが昨日よりわずかに違う。箱秤に乗せると、針が小さく揺れた。封緘の中に薄紙が増えている。ガレスが押収した“袋の布切れ”と照合するための、商館側の“借り”が一束入っているのだろう。
封を割る。中から出てきたのは、織り目の違う袋の出荷記録、湿度計の簡易記録、搬入先の控え。そして、港の倉から王都の倉へ運ばれた“濡れ炭”の列にだけ、妙な間がある。日付の並びが跳び、控えの端の紙目が違う。差し替えの痕跡。私は顔に出さず、紙の端を薄く撫でた。
「クラウスに回すわ。第三者の目で、紙の筋を追ってもらう」
アーサーが頷く。「押さえる言葉は、俺では作れない」
「言葉は紙に、紙は秤に。秤は誰にも嘘をつかない」
ソフィアが鍋を持って顔を出し、「食べてからにしな」と笑って引っ込む。こういう時ほど、体を先に整えるのが正解だ。
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日が傾きかけた頃、レオンが一人で現れた。侍従を下げ、庭の端で立ち止まる。私は余計な人払いをせず、机に置いていた紙を重ねたまま向き合う。アーサーは少し離れた柱にもたれている。
「……謝罪に、言葉は足りない」レオンは、朝よりもゆっくりと話した。「子どもの頃から、君に惹かれていた。賢さも、誇りも。けれど、王太子になってからは、君の“正しさ”が俺を追い詰めた。側近が囁いた『国の顔には柔らかさが要る』という言葉に、逃げた。俺の弱さだ」
「私情は、私の机では扱いません」
私ははっきりと線を引いた。彼はうなずいた。表情に安堵と痛みがあって、目は逃げない。
「実務で償う。税関の上乗せは止めた。明日から、徴税表に“範囲”を掲示させる。それから、共同訓練には俺も出る。王都の窓口の帳簿は、俺が自分で見る」
「歓迎します。ただ、窓口は“見せ物”ではありません。来るなら、作業の邪魔をしない形で」
アーサーがそこで口を開いた。「王太子殿下。次は現場で“矜持”を見せてください。言葉ではなく」
「……分かった」
彼の決意は、朝より濃くなっていた(0.50 → 0.56)。私は触れない。人の決意に指を入れるのは、礼を欠く。
レオンが去る前、封蝋の小箱を差し出した。「宰相から聞いたと思うが、王家封蝋の写し権限、貸す。今日から三日。必要なだけ写せ」
「一度きり、三日だけ。十分です」
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王都窓口は、その日のうちに最低限の装備で動き始めた。看板、箱秤、〈封緘記〉。ミナとテオは緊張で少し早口だが、手は正確だ。最初に来たのは、衛兵詰所からの搬出許可。次に、商館からの搬入控え。どちらも写しを先に書き、印は後から追う。
「フラン様、これ書式が昨日のままです。」テオが眉を寄せた。
「受けて、こちらの写しに合わせる。書式はこっちで整える」
列の端が少し詰まり、私は外周の縄を半間ずらした。人の流れはすぐに戻る。数字の傾きは穏やかだ(k_flow 1.00 → 1.01)。今日はそれでいい。明日も同じ速さで続けられるなら、制度になる。
広場の空はもう藍色に傾いていた。群衆の視線は布告から仕事へ移り、足が広場から路地へ散っていく。熱は落ちる。落ちてからが本番だ。
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執務棟に戻ると、宰相府から走りの使いが連絡を置いていった。港の倉で押さえた“海沿いの商館”の帳簿から、さらに一束。差し替えの痕が濃い列がある。ガレスが衛兵隊と添えて持ってくるという。よし。箱秤と封緘記を机の端に寄せ、封を迎える準備をする。
黒板に、今日の要点を三行書いた。
「名誉回復の布告、公示。王都窓口の設置許可」
「共同調査の制度化/月次報告。封緘二系統・箱秤・封緘記、運用開始」
「王家封蝋の写し権限(期間限定)。門前“上乗せ”停止、掲示で明文化」
最後に小さく、明日の段取り。午前は窓口の整備と避難訓練の再試行。午後、商館帳簿の照合。夜は便を二系統で国境領へ――一通は公文、一通は証跡。封の重みは秤に、印の順は封緘記に。道具に真実を預ければ、人の声は少なくて済む。
灯を落とす前、窓を開ける。広場からは遠く鐘の試し打ちが聞こえた。耳の奥で金属が薄く擦れ、時刻が刹那に欠ける(19:2□ → 19:24)。鐘打ちの直前に揺れる。式ノイズの癖は、明日も測る。今は書かない。胸の中の帳にだけ、点を置いておく。
数字は声に出さない。けれど今日、重くした紙と、整えた窓口と、交わした約束は、確かにここに残った。あとは、続けるだけだ。
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