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第十七話 封緘の重さ——偽印の影

弁明まで十二日。王都便に“重さ”の違う二通が混じり、偽印の影が差す。フランチェスカは写し先行・本紙追認、行商ギルドの追印、便の三本化で途中差替えを封じる。ガレス軍曹が帰還板と鐘で現場を締め、ダリウスは搬送を含む撤退運用と“紙の矢”対策を提示。訓練と導線は滞りなく回り、封書の欠けが帳に点を増やす。

 弁明まで、残り十二日。


 伝令が二騎、峠道を下ってきた。鞍の左右に郵袋。老執事が受け台を出し、私は秤と砂盆をそばに置く。王都便はふた月前から遅れがち――それでも今朝の袋は、手に乗せた重みが妙だ。革は新しいのに、封蝋の冷えが浅い。もう一袋は古い革に厚い蝋。手の中で、正しい方が分かる。


「先に重い方を」

「はい、奥さま」


 執事が封を割る。厚い蝋がきしむ音。視界の隅で照合 0.71 → 0.73。王都官紙の目が、いつもの繊維の流れと一致した。次の薄い封を持つと、指腹に砂の粒が触れたような違和。蝋は艶が立ちすぎ、紙の糸が細い。照合 0.73 → 0.68。耳の奥で金属がかすれる。


「……同じ文面の“写し”です。しかし、綴じ糸の撚りが逆」


 老執事の声が低くなる。私は頷き、封蝋の縁を細い刃で少しめくって内側の跡を覗く。押印の腹に、ごく微かな“段”。二度目の押し直しの跡だ。


「偽印か、差し替えか。どちらにせよ、現場は止めない」


 卓上に写し用の薄紙を広げ、私は書式の骨だけ抜く。印紙の色追加、綴じ順の指定、夜間取引の制限――紙で手を止めさせる手口。私は余白に短く記す。「写し先行・本紙追認」。k_trace 1.00 → 1.04。残し方だけを細かくする。



 外では号令が走る。灰色の外套、肩章に小さな刻印――ガレス軍曹だ。三十代半ば、無駄のない声。


「帰還板、隊名と刻を差せ。鐘は一つ注意、二つで準備。……アレン、黄札は影だ、白は外周に寄せ」


 短い言葉で列が揃う。リディアは掲示板へ駆け、帰還刻の札を差し替える。彼女の動きは小さいが素早い。兵への指示はガレス、私は導線、リディアは支え。役目はわきまえる。


 私はガレスに歩み寄り、薄い封書を一枚渡した。


「王都便、ひと組“軽い”。封の作りが違う。帰りに兵の目で路を見て。分岐ごとに鈴、灰線、楔。鳴いたら報せて」

「了解」


 返事は短い。だが目は理解している目だ。



 大広間の扉が開き、ダリウスが入ってきた。黒に近い短髪、灰青の目。左頬に細い傷。伴っているのは三名だけ。荷は軽い。王都で戦術課にいた男――アーサーの古い戦友だ。


「遅れて失礼する」ダリウスは胸に拳を当て、礼を取った。「道が、鳴いていた」

「鳴き止めは済ませてある。ガレス」


 アーサーの呼びに、軍曹が前へ出た。二人は短く握手する。互いの力を量る視線。要らない言葉は交わさない。


 私は卓に封書を並べ、偽印の疑いを手短に示した。ダリウスは蝋の腹を爪で撫で、綴じ糸を一度だけ弾く。


「封の“重さ”が違う。道中で差し替えられたか、王都のどこかの机で二系統を用意している。どちらでも対処は同じだ」


 彼は指で三つの輪を卓上に描く。


「便を三本に分ける。一つは従来路。一つはギルド経由で拓写のみを先行させ、ギルド印の追印を付ける。最後の一本は写しの連鎖を第三者(行商組合の古印)で繋げ。封に封を重ね、“途中で割れば痕が増える”仕掛けにする」

「偽印を疑うのではなく、偽れない形に寄せるのね」


 私は頷き、写し棚の一角を空けた。老執事が静かに紙束を移す。数字が視界の隅でそっと上がる。照合網 0.62 → 0.70。触れない。自然に育ってほしい。


「もう一つ」ダリウスは薄い封書を持ち上げた。「書式で動きを止めに来るなら、こちらは動いたまま守る。訓練の“撤退”を、兵だけでなく物資にも適用する。搬出の導線を二本に増やし、混んだらすぐ切り替える。視察の矢は、紙でも飛んでくる」


 アーサーが口の端だけで笑った。


「紙の矢か」

「当たれば死ぬ」


 短いやり取り。だが空気は重ならず、前へ出る。



 午下の鐘がひとつ鳴る。受渡台でアデリナが新しい帳の背を叩いた。


「写しは私の手で回すわ。ギルド印はこの位置。印紙は空けておく。――クラウス査察官、見届けを」


 壁際にいたクラウスが頷く。「印紙の順だけは王都式で。だが写し先行に異論はない」


 彼の眼鏡がわずかに光る。筆が乾いた音を立て、紙の山が低く響く。その瞬間、視界の端で集計の列が 8□5 → 835 と刹那に欠けて戻る。耳の奥の金属音。私は顔に出さず、胸の帳に点を置いた。紙でも、揺れる。いつも通りだ。



 訓練場の端に立つ。私はガレスに旗の位置だけ示し、あとは下がった。兵はガレスの号令で動き、ダリウスがラインの切り替えを見ている。私は外周で、帰還板と鐘の運用を確かめる。白線の外には子どもたち。笛は胸の前。黄札は影。赤は搬送。


「軍曹、列の詰まりが半間」

「右二列、半歩切り落として前へ」


 言葉は少ないのに、砂の波が整う。アレンの踵が一度もたつき、すぐ直った。集中 0.46 → 0.49。触れない。直ったのは彼自身だ。


 ダリウスが低く言う。


「撤退課目、物資込みで一度」

「了解」


 ガレスの号令が走り、列がほどける。荷は中央、楯は後、槍は側。搬出の箱が黄の導線を滑り、詰まりが生まれた瞬間に二本目へ切り替わる。戻るときほど、目を落とす――ここは変わらない。私は帰還板に刻を差し、砂時計をひとつ伏せる。行き 0.48/帰り 0.96。定規は今日も働いた。



 書状の仕分けに戻ると、老執事がそっと一枚差し出した。重さの違う二通のうち“軽い方”――そこには短い文。


――王都軍務局・臨時通達。観閲記録の提出様式を変更。写しを認めず、原本のみ受理。


 私は息を吸い、文面を卓に置いた。アデリナが肩をすくめる。


「つまり“止まれ”と言ってる」

「止まらない」


 私は黒板の隅に小さく書く。「連鎖写し・第三者印・封の連鎖」。ダリウスが頷いた。


「原本を出せと言うなら、“原本は常に複数”だとこちらが定義する。王都の“原本”は王都の机の上にしか存在しないが、辺境の“原本”は現場にある。場を原本にする」


 クラウスがわずかに眉を上げる。「興味深い表現だ」


 私は返事をしない。代わりに、薄い蝋の封を掌に乗せる。重さはやはり軽い。封蝋の腹に爪を当てた刹那、数字がまた跳ねた。税収予測 1243 → 12□3 → 1243。紙/橋/井戸/炉――欠けの点は、今日も増えた。帳の余白に点をひとつ。線にするのは、まだ先。



 執務室に灯を寄せ、私は返書の骨子を立てる。写し先行・本紙追認/第三者追印/搬送二系統/途中開封検査の記録化。言葉は刃だ。こちらの刃は紙でできているが、鈍くはない。


 扉が控えめに鳴り、アーサーが入ってくる。外套の裾に砂が少し。


「道の鈴は黙った。ガレスが楔を打ち直している」

「助かる。――偽印、掴みどころは薄い。でも重さは嘘をつかない」


 アーサーは私の手の中の封を一度だけ持ち、置いた。その置き方が静かだ。


「重さで選べ。刃は俺が受ける。君は流れを作れ」


 胸の奥で数字がわずかに上がる。信任 0.74 → 0.76。触れない。自然に育つ数字は、触らなくていい。


「ダリウスはどうだ」

「戦場の匂いが残っている。紙でも戦える」


 短い会話で、足りる。足りるときは、それがいちばん強い。



 夜、私は“欠け帳”を開く。井戸の薄明、橋の薄明、鍛冶場の火、訓練場の角、そして今日の封。点を時刻付きで並べる。日暮れと夜明けに寄る傾向は、やはり変わらない。水・木・火・砂・紙。場が揃うと、数は揺れる。揺れても、記録は残る。


 最後に黒板の端へ二行。


「便を三本化。写し連鎖と第三者印で“紙の矢”に備える」

「弁明まで、残り十二日」


 窓の外、帰還板の札が静かに並んでいる。鐘は鳴らない。鳴らない夜は、明日に力を残す。私は灯を落とし、インクの匂いを深く吸った。紙は刃にも盾にもなる。こちらの選び方次第だ。

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