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第94話 永久機関は缶コーヒーの味がした

 日本の夏は、その暴力的なまでの湿気と暑さでアスファルトの上の陽炎のように人々の理性を揺らがせる。だが、富士山麓の地下300メートルに広がるIARO(国際アルター対策機構)特殊技能研究棟の空気は、真夏とはおよそ無縁の、摂氏22度、湿度50%に完璧に管理された、無機質な静寂に支配されていた。

 その静寂のど真ん中で、佐藤健司は死んだ魚のような目をしていた。

「……で、次はなんすか、博士」

 彼の声は、やる気のなさを一切隠そうともしない、平坦な音の羅列だった。目の前では、白衣を着た研究者たちが、何やら複雑な測定器を彼が先ほど召喚した自動販売機に取り付けている。

「うむ! もう少し待ってくれたまえ、佐藤君!」

 研究チームを率いる青木博士は、少年のように目を輝かせながら答えた。その手は、興奮で微かに震えている。

「今、君が召喚したこの自販機が放出している、ごく微弱なタキオン粒子を測定しているのだ! これが解析できれば、異次元エネルギー供給の謎に一歩近づけるかもしれん!」

「……はあ。で、俺、もう帰っていいすか?」

「まだだ! 君には、これから最低でもあと50回は召喚と消去を繰り返してもらう! 統計データは、多ければ多いほど良いからな!」

「……マジすか……」

 健司は、深く、深いため息をついた。

 IAROに「保護」されてから、もう半年。彼の日常は、かつての四畳半アパートの怠惰なそれとは似ても似つかぬ、規則正しく、そして終わりの見えない実験の連続となっていた。

 彼のスキル、【自動販売機召喚】改め、【観測済み自販機・概念複製】。

 そのあまりにもくだらない能力が、実はとんでもない戦略的価値を秘めていることが判明して以来、彼はIAROにとって最も重要な研究対象、いわば「歩く国家機密」と化していた。

『ベンディングマシン・ドロップ』による拠点攻撃。『不壊属性』を利用した絶対防御の盾。そして、辺境の部隊へ飲料や食料を補給する、奇想天外な兵站術。

 健司は、不本意ながらもいくつかの作戦に参加させられ、その度に面倒くさそうに、しかし確実に成果を上げていた。

 だが、青木博士は満足していなかった。

「こんなものではないはずだ……」

 彼は毎晩、自室でぶつぶつと呟いていた。

「このスキルの本質は、もっと根源的な、世界の理を覆すほどの何かを秘めている。だが、それが何なのか……。あと一手、あと一手なんだ……!」


 その「一手」は、最も予想外の場所から、もたらされた。

 その日、研究室の片隅で待機させられていた健司が、いつものようにスマホでネットサーフィンをしていた時のことだった。彼が見ていたのは、とある匿名掲示板のオカルト板。「世界の謎・オーパーツ総合スレッド Part.312」。


『――なあ、お前ら。IAROが最近やたらと使ってるっていう、あの自販機シールドあるだろ? あれって、エネルギー源なしで存在し続けるらしいじゃん』

『だとしたらさあ、思ったんだけど』


 その、何気ない一言。

 健司は、最初、その書き込みを気にも留めなかった。だが、その後に続いた言葉に、彼は思わずスクロールする指を止めた。


『電力出力出来るように改造した自販機があれば永久機関完成じゃん』


「………………は?」

 健司の口から、素の声が漏れた。

 永久機関。

 中学の理科で習った、実現不可能な夢のエネルギー源。

 そんなものが、自販機で?

 馬鹿馬鹿しい。

 彼はそう思った。だが、そのあまりにも突飛で、あまりにも子供じみた発想が、なぜか彼の脳裏に焼き付いて離れなかった。

「……博士」

 彼は、おもむろに立ち上がった。

「ん? どうしたね、佐藤君。ついにやる気になってくれたか!」

「いや、そういうわけじゃないんすけど……。ちょっと、これ見てくださいよ」

 健司は、自分のスマホの画面を、青木博士に見せた。

 青木は、その書き込みを一瞥すると、最初は鼻で笑った。

「……永久機関だと? ネットのオタク君が考えそうな、三流のSFだな。そんなものが可能なら、物理法則は……」

 彼の言葉が、途中で止まった。

 彼の、その天才的な頭脳が、猛烈な勢いで回転を始める。

【概念複製】。

【不壊属性】。

 そして、【無限エネルギー】。

 健司のスキルを構成する三つの要素。そして、ネットの片隅に転がっていた、一つのあまりにも馬鹿げたアイデア。

 その四つの点が、彼の頭の中で結びつき、一つの、あまりにも恐ろしい、しかしあまりにも美しい星座を描き出した。

「………………まさか…………」

 青木の顔から、血の気が引いていく。

 彼は、健司の肩を、がしりと掴んだ。

「佐藤君……! 君は……! 君は、とんでもないことに気づいてしまったのかもしれない……!」

「え、俺?」


 その日から、IARO特殊技能研究棟の空気は一変した。

 青木博士は、黒田事務総長に緊急の計画案を提出。そのあまりにも荒唐無稽な内容に、黒田は最初、博士が過労で正気を失ったのだと思った。

 だが、青木のその狂気に満ちた、しかし完璧な理論武装で展開されるプレゼンテーションを聞くうちに、黒田の、その鉄仮面のような表情もまた、驚愕と、そして底知れない畏怖の色に染まっていった。

 計画は、承認された。

『プロジェクト・プロメテウス』以来となる、IAROの最高機密プロジェクト。

 その名は、『プロジェクト・ジェネシス』。


 IAROの、ありとあらゆる部門の天才たちが、一つの目的のために集結した。

 エネルギー工学の権威、概念物理学の第一人者、そして特殊技能に精通した技術者たち。

 彼らが挑むのは、ただ一つ。

「電力出力可能な、特殊改造自動販売機」の開発。

 だが、それは困難を極めた。

 ただ発電機を内蔵するだけではダメなのだ。健司のスキルは、あくまで「自動販売機という概念」をコピーする。その概念から逸脱した改造を施せば、スキルがそれを「自販機」として認識しなくなる可能性がある。

 青木博士は、逆転の発想を提案した。

「『電力を売る』自動販売機を作ればいいのだ」


 彼らが数ヶ月かけて設計し、作り上げたプロトタイプ。

 それは、外見はどこにでもある、ごく普通の自動販売機だった。

 だが、その内部構造は、人類の叡智の結晶だった。

 商品サンプルには、「100kWhバッテリーパック」や「家庭用小型蓄電池」といったダミーの模型が並んでいる。そして、その購入ボタンを押して、専用のトークン(硬貨の代わり)を投入すると、自販機の内部に搭載された超小型のトカマク型核融合炉が瞬間的に起動。排出されるバッテリーを遥かに上回る、膨大な量の電力を生成し、外部の送電ケーブルへと出力する。

 それは、あまりにも馬鹿馬鹿しく、そしてあまりにも天才的な、エネルギーの錬金術だった。


 そして、運命の日。

 希望ヶ島の、地下深くにある最大級の隔離実験フィールド。

 その中央に、プロトタイプ『ジェネシス・マークⅠ』が、静かに鎮座していた。その機体からは、都市一つを賄えるほどの電力を送るための、極太の送電ケーブルが何本も伸びている。

 実験フィールドを見下ろす観測室には、黒田をはじめとするIAROの最高幹部たちが、固唾を飲んでその光景を見守っていた。

 フィールドの中央には、ただ一人、いつものようにやる気のない顔をした佐藤健司が立っていた。

「……じゃあ、やりますか」

 彼は、青木博士から渡された専用のトークンをポケットに入れ、プロトタイプに近づくと、その複雑な機体をじっと、数秒間だけ見つめた。

 これで、「観測」は完了した。

 彼は、プロトタイプから数十メートル離れた場所に移動した。

 そして、ポケットから100円玉を取り出すと、心の中で、ただ一言、念じた。

(……ジェネシス、コピー召喚)


 ガコン!

 次の瞬間、プロトタイプの隣に、寸分違わぬもう一台の『ジェネシス』が、完璧な形で出現した。

 観測室が、どよめいた。

「……召喚、成功!」

「すごい……。あの複雑な内部構造まで、完全にコピーされている……!」

 青木博士が、マイクに向かって叫んだ。

「佐藤君! そのコピーした方に、トークンを投入してくれ!」

「……ういーす」

 健司は、だるそうに返事をすると、コピーされた方の『ジェネシス』に近づき、そのトークン投入口に、専用のコインを滑り込ませた。

 そして、商品選択ボタンの中から、適当に「100kWhバッテリーパック」と書かれたボタンを押した。


 その、瞬間だった。

 コピーされた方の『ジェネシス』が、何の動力源もないはずなのに、静かに起動音を鳴らし始めた。ディスプレイが点灯し、内部の冷却ファンが回り始める。

 そして、商品排出口から、ガコン、という音と共に、小さなバッテリーパックが一つ、転がり出てきた。

 それと、同時だった。

 観測室の、全てのモニターが、警告のアラートで赤く染まった。

「――エネルギー出力、急上昇!」

「第一ゲート、臨界突破! 第二ゲートへ移行!」

「ダメです、博士! このままでは、この施設の全電力系統が吹き飛びます!」

「馬鹿な! ありえん! 理論値の、10倍以上のエネルギーが流れ込んできているぞ!」

 青木博士が、絶叫した。

 コピーされた『ジェネシス』から伸びる極太のケーブルが、凄まじいエネルギーの奔流に耐えきれず、火花を散らしながら赤熱していく。

 その、あまりにも圧倒的な、そしてあまりにも美しい光景。

 黒田は、椅子に座ったまま、ただ呆然と呟いた。


「……成功、したのか……」

「……我々は……。本当に……神の領域に、手を出してしまったのか……」


 そう。

 彼らは、成功してしまったのだ。

 エネルギー保存の法則を完全に無視した、無限のエネルギー源。

 人類は、ついに自らの手で「永久機関」を、この世に生み出してしまった。

 そのあまりにも偉大で、あまりにも危険な奇跡の中心で。

 佐藤健司は、排出されたバッテリーパックを手に取ると、首を傾げた。

「……これ、スマホの充電とかに使えるんすかね?」

 彼の、そのあまりにも場違いな一言は、観測室の喧騒にかき消され、誰の耳にも届かなかった。

 だが、彼の、そして人類の運命は、この瞬間、後戻りのできない、全く新しいステージへと、その駒を進めてしまった。

 神ですら、おそらくは予想していなかったであろう、最も滑稽で、そして最も壮大な物語の、本当の幕開けだった。

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