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第80話 神獣vs英雄

 西暦20XX年X月XX日、金曜日、深夜0時13分。

 IARO(国際アルター対策機構)本部、中央司令室の空気は、絶対零度の絶望に支配されていた。壁一面を埋め尽くす巨大モニターが映し出す光景は、そこにいる全ての職員から思考能力を奪い去るには、十分すぎるほどの冒涜的な現実だった。

 東京湾の中央に屹立する、神話の怪物。

 破壊神ガドラ。

 その巨体は、東京タワーの特別展望台に匹敵する高さにまで達している。濡れた岩石のような漆黒の皮膚は、臨海副都心のサーチライトを鈍く反射し、その背中に林立する山脈のような背びれは、不気味な青白い光を周期的に明滅させていた。その光は、まるで巨大な心臓の鼓動に呼応しているかのようだった。

 そして、その燃えるような赤い双眸が、ゆっくりと陸地――人間の文明が築き上げた光の絨毯へと、向けられる。

 誰もが、理解した。

 あれは、ただの巨大な生物ではない。あれは、明確な「意志」と「目的」を持った、超越的な存在なのだと。


「……総理に繋げ」

 司令室の喧騒のど真ん中で、黒田事務総長の声だけが、氷のように冷静だった。

「自衛隊、警視庁、海上保安庁、全ての機関とのホットラインを開け。避難勧告を、避難『命令』に切り替えろ。対象は、東京23区全域だ!」

「し、しかし室長! それでは、都民1400万人がパニックに!」

「パニックの方が、マシだ!」

 黒田は、怒鳴った。その目は、恐怖ではなく、純粋な怒りで赤く充血していた。

「死ぬよりはな! 急げ! 一分一秒を、争うぞ!」


 だが、その黒田の必死の指揮も、神の掌の上では、あまりにも無力な人間の足掻きに過ぎなかったのかもしれない。

 ガドラは、その巨大な脚をゆっくりと持ち上げた。

 そして一歩、芝浦埠頭へと踏み出した。

 ズウウウウウウウウンッ!!!!

 地響き、という言葉では生ぬるい。地殻そのものが悲鳴を上げるような、低く、重い衝撃が関東平野全域を揺るがした。地震計は、直下型震度7を記録していた。

 着地した足元の、何十年という歳月をかけて建設されたはずの頑強なコンテナターミナルが、まるで子供が踏みつけた砂の城のように、いとも簡単に粉砕され、陥没していく。

 その、あまりにも絶望的な光景。

 だが、その地獄絵図の中に、一条の、しかし絶対的な希望の光が、天から降り注いだ。


 ガドラの、その巨大な頭上。

 何もないはずの夜空が、一瞬、強く発光した。

 次の瞬間、黒い流線型の戦闘服に身を包んだ一人の青年――神崎勇気が、音もなくその神獣の鼻先に降り立っていた。

 その登場は、あまりにも静かで、あまりにも唐突で、そしてあまりにも美しかった。


「――ジャベリン!!!!」


 IARO司令室で、誰かが叫んだ。

 その声に呼応するように、絶望に沈んでいた職員たちの顔に、一斉に希望の光が灯った。

 そうだ。我々には、彼がいる。

 人類最強の、神の槍が。


 神崎勇気は、自らの足元で蠢くこの巨大な神獣を、ただ無感情に見下ろしていた。

 彼の脳内には、IAROのスーパーコンピュータ『ヤタガラス』が弾き出したガドラの分析データが、リアルタイムで流れ込み続けていた。


『――対象の神性反応、カテゴリーS級を大幅に超過。測定不能。SSS級と仮定』

『――表皮サンプル、分析不能。既知のいかなる物質とも一致せず』

『――背びれの周期的発光より、体内に超高エネルギーの蓄積を確認。熱線放射、あるいは荷電粒子砲の予兆と推測』


 勇気は、その無機質なデータの羅列を、ただの参考情報として処理した。

 彼の耳に装着された超小型のインカムから、黒田の緊迫した声が響く。


『……聞こえるか、勇気君。状況は、最悪だ』

「ええ、まあ。見ての通りですね」

 勇気は、まるで他人事のように、実に軽い口調で答えた。

『君に、人類の、いや、この国の未来の全てが懸かっている。……済まない』

「いえいえ。それが、俺の仕事ですから」

 勇気は、ふっと息を吐いた。

「それより、黒田さん。一つ聞いてもいいですか?」

『……何だ』

「アメリカの二人、ジョシュア・レヴィンとクロエ・サリヴァンが来る状況は?」


 その、あまりにも唐突な問い。

 黒田は、一瞬言葉に詰まった。

『……DAA(アメリカ超常事態対策局)には、既に緊急支援を要請済みだ。だが、彼らが日本の領海内で活動するには、閣議決定と超法規的な承認プロセスが必要だ。……最速でも、到着まで30分はかかる』

「30分、ですか」

 勇気は、納得したように頷いた。

「……まあ、それだけあれば十分すぎるかな」


 その、あまりにも自信に満ちた、しかし何の感情も乗っていない声。

 黒田は、ぐっと唇を噛み締めた。

 この青年は、5年間で確かに人類最強の英雄へと成長した。

 だが、その代償として彼が何を失ってしまったのかを、黒田は痛いほど知っていた。


「ガドラが、東京に上陸しようとしてますね」

 勇気は、眼下の神獣を見下ろしながら、まるで天気予報でも解説するかのように淡々と言った。

「うーん……取り敢えず、巨大化スキルで巨大化して戦います」


 その、あまりにも常識を逸脱した作戦内容。

 黒田は、思わず問い返した。

「巨大化だと!? 君の【万能者の器】に、そんな能力のストックが……」

「ええ、ありますよ」

 勇気は、こともなげに答えた。

「5年前、鬼頭丈二と戦った後、彼のスキル【金剛力・不壊】を解析してたら、副次効果として身体の質量とサイズを一時的に増大させる機能があることが分かったんで。まあ、燃費は最悪ですけど、こいつ相手なら出し惜しみしてる場合じゃないでしょう」

「それと、黒田さん。一つお願いが」

「……何だ」

「余波が東京に行かないように、防御フィールドを張ってください。俺のコピーしたスキルの中に、使えるやつがあるはずです。IAROのシステムとリンクさせれば、広域での展開も可能でしょう」

「あと、瓦礫も注意してください。俺とこいつが暴れたら、とんでもない量の破片が都心に降り注ぐことになる。それの迎撃も、お願いします」

「……了解した。……必ず、やり遂げる」

「どうも」


 勇気は、それだけ言うとインカムの通信を一方的に切った。

 そして彼は、自らの内に眠る規格外の力を解放した。


「じゃあ、巨大化して戦いまーす」


 その、どこまでも軽い呟き。

 それが、神話の始まりの合図だった。

 勇気の身体が、凄まじい黄金色のオーラに包まれる。

 彼の筋肉が、骨格が、細胞の一つ一つが、物理法則を無視して爆発的に巨大化していく。

 10メートル、30メートル、50メートル……。

 ほんの十数秒後、そこに立っていたのは、もはや人間の青年ではなかった。

 ガドラの巨体と、ほぼ同じサイズ。

 全身が光り輝くオーラで覆われた、黄金の巨人。

 それこそが、神崎勇気の本当の姿だった。


 ガドラは初めて、その赤い瞳に明確な「驚愕」の色を浮かべた。

 目の前の、ちっぽけな蟻のような存在が、突如として自分と同じ神々の領域へと到達した。その事実が、この神獣の本能を、そしてプライドを激しく揺さぶった。


 ゴオオオオオオオオオオオッ!!!!


 ガドラが、怒りの咆哮を上げる。

 それに対し、黄金の巨人と化した勇気は、ただ静かにファイティングポーズを取った。

 そしてガドラが、その巨大な顎を大きく開き、体内のエネルギーを収束させ始めた、まさにその瞬間。

 勇気は、動いた。

 彼は、ガドラの顔面に向かって渾身の右ストレートを叩き込んだ。

 ズウウウウウウウウウウウウウウンッ!!!!

 衝撃波が、大気を震わせ、周囲の海面が爆発したかのように、数十メートルの高さまで吹き上がった。

 ガドラの、山のように巨大な頭部が、横殴りに大きく傾ぐ。

 そして、そのあまりの衝撃に、巨体そのものがバランスを崩し、まるでスローモーションのように、東京湾の海の中へと派手な水飛沫を上げて倒れ込んでいった。


「……よし」

 勇気は、短く呟いた。

「まずは、第一ラウンド」


 彼は、そのまま海の中へと飛び込んだ。

 そしてガドラを、まるで巨大なマグロでも引きずるかように、その首根っこを掴み、沖へ、沖へと、東京の中心部から引き離すように誘導し始めた。

 壮絶な、水中のバトルが始まった。

 東京湾の比較的浅い海底が、二柱の神々の殴り合いによって抉られ、砕け、地形そのものが作り変えられていく。

 その一部始終は、IAROの無人偵察機と報道ヘリによって、全世界に生中継されていた。

 人々は、息を飲んでその光景を見守っていた。

 それは、もはや人間同士の争いではなかった。

 それは、神話だった。

 ギリシャ神話の、ティターン神族とオリュンポスの神々の戦い。

 北欧神話の、神々と巨人族の最終戦争、ラグナロク。

 それらが今、21世紀の東京を舞台に、現実のものとして繰り広げられていた。


 海中で体勢を立て直したガドラが、再び怒りの咆哮を上げた。

 そして、その口から全てを焼き尽くす灼熱の火炎放射を、至近距離の勇気へと叩きつけた。

 海の水が、一瞬で蒸発し、凄まじい水蒸気爆発が起きる。

 だが、勇気はその全てを、両腕をクロスさせて正面から受け止めていた。


「――熱い、熱い、熱いッ!!!!」


 黄金の巨人の口から、初めて苦悶の声が漏れた。

 だが、彼は一歩も引かなかった。

 彼のスキル【万能者の器】が、その灼熱のエネルギーの本質を猛烈な勢いで解析し、コピーし、そして自らの力へと変換していく。

「……なるほどな! ただの火炎放射じゃない! 信仰エネルギーを、純粋な熱量に変換してるのか! シンプルだけど、厄介だぜこれは!」

 彼は、そのエネルギーを自らの体内で完全に吸収しきった。

 そして、次の瞬間。

 彼の両の掌に、ガドラのそれとは比べ物にならないほど高密度に圧縮された、純白のエネルギーの光球が生成された。

「――お返しだッ!!!!」

 彼は、そのエネルギーを極太のビームとして、ガドラの無防備な腹部へとゼロ距離で弾き返した。


 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!


 閃光。

 轟音。

 東京湾全体が、一瞬、真昼のように白く染まった。

 その光景を、固唾を飲んで見守っていた東京の市民たち。

 彼らは、どちらからともなく叫び始めていた。


「うおおおおおおおおおお!」

「ジャベリン! がんばれー!!!!」

「負けるな! 俺たちの英雄!」


 その声援は、最初は小さかった。

 だが、それは波のように伝播し、やがて東京中を、日本中を、そして世界中を巻き込んだ、一つの巨大な祈りの合唱へと変わっていった。

 その何億という人間の、純粋な希望の祈り。

 それが、黄金の巨人の力へと、僅かながら、しかし確実に上乗せされていくのを、黒田は司令室のモニターの前で、確かに感じていた。


 その、あまりにも人間的で、あまりにも美しい光景。

 それを、日本の安アパートの一室で、一人の神が最高のエンターテインメントとして観測していた。

 空木零は、特大サイズのポップコーンを実に美味そうに頬張りながら、モニターに映るその神話的な戦いを、心の底から楽しんでいた。


「ははは! 素晴らしい! 実に、素晴らしいじゃないか、勇気君!」


 彼は、涙を流して笑っていた。

 彼がほんの少しだけ背中を押してやっただけで、人間たちはここまで見事に、壮大なスペクタクルを演じてくれる。


「これだよ、これ! 英雄と怪獣! 光と闇! そして、それを応援する無力な大衆! これぞ、物語の王道! 最高の、最高のエンターテインメントだ!」


 神は、笑う。

 自らが作り出したこの最高の舞台で、役者たちが最高の演技を繰り広げてくれていることに、心からの満足と、そして最大級の喝采を送りながら。

 彼の退屈な日常は、今日もまた世界の新しい悲劇と、そして何よりも最高の喜劇を糧として、静かに、そして永遠に続いていく。

 戦いの火蓋は、今、切って落とされたばかりだった。



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