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第7話 神の悪戯、悪魔の誕生

 夜が、その深い藍色を、東京の空に広げていた。

 無数のビル群が放つ人工の光が、地上に偽りの星空を描き出す。その光の海の一角、どこにでもあるような凡庸なマンションの一室で、空木(うつぎ) 零は、世界の裏側で起きた、小さな、しかし決定的な変化を、ただ静かに観測していた。

 彼の意識は、電子世界の神(デジタル・ゴッド)の権能によって、物理的な制約を超越している。彼が望めば、首相官邸の奥深く、盗聴など絶対にあり得ないはずの、最高機密レベルの会議室の空気の振動すら、手に取るように感じることができた。室内に飛び交う微弱な電波、電子機器が発する僅かなノイズ、それらを拾い集め、再構築することで、彼はその場で行われた会話の全てを、完璧に把握していた。

 警察庁の黒田、そして高坂総理。彼らのやり取りは、零にとって、実に興味深い人間ドラマだった。


「……うーん、動きが早いな。流石に、お偉いさんは有能だねぇ」


 零は、カップ焼きそばを啜りながら、感心したように呟いた。その声には、脅威を感じている様子など微塵もない。まるで、シミュレーションゲームの中で、想定以上によくできた思考ルーチンを持つAIの動きを褒めるかのような、どこか他人事の響きがあった。


「俺が彼らの立場だったら、多分、今頃あたふたするだけなのに。ちゃんと危機感を共有して、組織を立ち上げて、国際社会とも連携しようとする。大したもんだ」


 彼は、かつての自分を思い出していた。会社という小さな組織の中で、理不尽な上司や、迫りくる納期に、ただおろおろと対応していた、無力な自分。それに比べて、彼らは、この荒唐無稽な事態に直面してもなお、秩序を保とうと必死にもがいている。その姿は、滑稽であると同時に、ある種の敬意すら抱かせた。

 だが、同時に、彼は新たな「不満」も感じていた。


(……でも、このままだと、彼らの認識が凝り固まってしまうな)


 黒田たちの報告を聞く限り、日本政府が現在認識している「スキル」とは、『錠前開錠(ロックピック)』や『紙幣複写(ペーパーコピー)』といった、あくまで既存の犯罪の延長線上でしかない、小悪党のための能力だ。彼らは、これを「新たな形の犯罪」として捉え、法律や組織の力で「対処」しようとしている。

 それは、違う。

 零が与えようとしているのは、そんなちっぽけなものではない。世界の法則そのものを塗り替える、絶対的な「力」だ。

 このままでは、彼が作り上げた遊戯盤の、本当の面白さが伝わらない。


「うーん……小物ばかりがスキルだ、と思われても心外だな。ここらで一つ、ドカンとでかい爆弾でも投下してみるか」


 彼の言う「爆弾」とは、比喩ではない。

 既存の法や、警察力、あるいは軍事力といった、人間が築き上げてきた秩序の象徴。それらを、たった一人で、赤子の手をひねるように無力化してしまうほどの、圧倒的な「暴力」の化身。

 そういう存在を、世界に解き放ってみたくなったのだ。


「銃も爆弾も効かない、超怪力。……いいじゃないか。古典的で、分かりやすくて、そして何より、絶望的だ」


 彼は、その新しい「駒」の性能を、頭の中で設計し始めた。

 ただ、あまりに強力すぎても、面白くない。最初からラスボスが登場してしまっては、物語がすぐに終わってしまう。


「暴れる理由として……そうだな。初期段階では、『すごく強い』程度でいいか。警察の特殊部隊くらいなら圧倒できるけど、軍隊が本気で出てきたら、どうなるか分からない。そういう、恐れられ、注目されるには十分だけど、まだ無双するには至らない、絶妙な強さにしよう」


 その方が、彼が追い詰められ、足掻く姿を、より長く観測できる。

 概念は固まった。

 空木零は、静かに目を閉じる。彼の意識は、彼の内なる宇宙、スキルを作るスキルスキル・クリエイションの工房へと深く沈んでいった。

 彼の脳裏で、無数の情報が組み合わさり、新たな法則が編纂されていく。

 人体の筋繊維の限界突破。皮膚組織の、ダイヤモンド以上の硬度への変換。衝撃エネルギーの、体内での吸収と拡散のメカニズム。

 それは、神の設計図だった。


 ▶ 要求概念:『通常兵器に対する絶対的防御力及び超人的な身体能力』

 ▶ 機能分析:外部からの物理的衝撃を無効化する身体硬化能力。筋繊維のリミッターを解除し、数トンの物体を軽々と持ち上げる筋力増大。

 ▶ ランク設定:A

 ▶ スキル生成を開始します。

『スキルを作成しました:【金剛力・不壊(こんごうりき・ふえ)】ランク:A』


 新たなスキルが、彼の膨大なリストの中に、静かに追加された。Fランクのスキルが蔓延し始めた世界に投下される、初めてのAランクスキル。それは、生態系に放たれた、獰猛な外来種にも等しかった。


「さて、と。これを、誰に上げようかな」


 彼は、再び電子世界の神(デジタル・ゴッド)の力で、日本の裏社会を覗き込んだ。

 ヒーロー候補には、純粋な魂を持つ、平凡な学生を選んだ。

 ならば、ヴィラン候補には、純粋な悪意と欲望を持つ人間が相応しい。


「……ヤクザでいいかな」


 安直だが、合理的だった。彼らは、力を手に入れれば、躊躇なくそれを行使するだろう。そこには、一般人のような葛藤や、倫理観のブレーキは存在しない。彼の実験を加速させるには、うってつけの駒だ。

 彼は、警視庁のデータベースに侵入し、暴力団関係者のリストを検索する。巨大組織の幹部では、動きが鈍い。もっと、若く、血の気が多く、そして現状に強い不満を抱えている男がいい。

 彼の目に、一人の男のデータが留まった。

 鬼頭(きとう) 丈二。32歳。新宿を拠点とする、小規模な広域暴力団の若手組員。傷害、恐喝、銃刀法違反で、複数回の逮捕歴。特に、敵対組織との抗争では、その凶暴性で知られている。だが、その性格が災いしてか、組織内での立場は低い。燻っている。力を渇望している。

 完璧だ。


「君に、決めた」


 零は、モニターに映る鬼頭の顔写真に向かって、楽しそうに指を差した。

 その時、鬼頭は、新宿・歌舞伎町の、場末のバーで一人、安いウイスキーを呷っていた。数時間前、敵対組織のシマで暴れ、組の幹部にこっぴどく叱責されたばかりだった。

「……チクショウが」

 誰に言うでもなく、悪態をつく。もっと力があれば。金があれば。誰も俺を馬鹿にしねえのに。

 彼の全身から、黒々とした負のオーラが立ち上っているのを、零は感じていた。

 今だ。

 零は、指先一つ動かさない。ただ、意志の力だけで、創造したばかりのスキル金剛力・不壊(こんごうりき・ふえ)のデータを、鬼頭の魂へと直接、撃ち込んだ。


「――ほいっと」


 神の、あまりに軽い、一撃。

 その瞬間、歌舞伎町のバーで、鬼頭は、頭をかち割られるような、凄まじい衝撃に襲われた。


「ぐっ……あア゛ア゛ッ!?」


 熱い。脳が、内側から焼かれているようだ。全身の血管が、沸騰したように脈打つ。

 彼の脳裏に、直接、情報が流れ込んでくる。

 【金剛力・不壊(こんごうりき・ふえ)】ランク:A

 意味不明の文字列と、そして、自分の身体が、鋼鉄の塊にでもなったかのような、圧倒的な全能感。

 鬼頭は、カウンターに突っ伏し、数秒間、荒い呼吸を繰り返した。バーのマスターが、何事かと駆け寄ってくる。

「おい、あんた、大丈夫か!」

「……るせえ」

 鬼頭は、ゆっくりと顔を上げた。その目は、尋常ではない光で爛々と輝いていた。

 彼は、よろめきながら立ち上がると、無言で店を出て、薄暗い路地裏へと入っていった。

 何が起きた?

 混乱する頭で、彼は、目の前のコンクリートの壁を、忌々しげに睨みつけた。

 そして、衝動のままに、拳を叩きつけた。

 ゴッ!!!

 凄まじい轟音と共に、コンクリートの壁が、まるで豆腐のように、粉々に砕け散った。直径50センチほどの、クレーターがそこに出現していた。

 だが、彼の拳は、擦り傷一つ、負っていない。

「…………は?」

 鬼頭は、自分の拳と、砕けた壁を、交互に見つめた。

 そして、次の瞬間、彼の口から、獣の咆哮のような、歓喜の笑いがほとばしった。

「は……ハハ……ハハハハハ! なんだこりゃあ! すげえ! すげえぞオオオ!!」

 彼は、神からの贈り物を、瞬時に理解し、そして受け入れた。


 空木零は、その一部始終を、路地裏の防犯カメラの映像を通して、満足げに眺めていた。

 実に、素晴らしい反応だ。期待通り。いや、期待以上かもしれない。


「よし。これで、そのうち暴れるだろ」


 零は、鬼頭の今後の行動を予測する。


「敵対組織を、まず潰すかな。俺なら、そうする」


 圧倒的な力を手に入れた彼が、これまで自分を虐げてきた者たちに、牙を剥くのは時間の問題だろう。警察が、銃が、法律が、一切通用しない、歩く災害。

 政府がようやく認識した「小物犯罪」とは、次元の違う、本物の「脅威」。

 それに対して、黒田たちがどう立ち向かうのか。そして、あのSS級の「器」を持つ少年は、この暴力の化身と出会った時、どう動くのか。

 物語の盤上に、強力で、そして予測不能な駒が、また一つ、投下された。


「さて、どうなるか。楽しみ、楽しみ」


 空木零は、新しいカップ焼きそばにお湯を注ぎながら、子供のように、無邪気に笑った。

 彼の退屈を癒すための、壮大な遊戯は、まだ始まったばかりだ。

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