第51話 めでたしめでたし
さて、じゃあ今回のお話は、これでおしまいだ。
長かったようで短かった一ヶ月間の特別放送、『神話再現シリーズ Part.1 〜バベルの塔、その前日譚〜』も、これにて大団円! いやー、本当に素晴らしいショーだったよ。彼ら、最高の役者だった!
特に、最後の二週間。楽園の終わりが宣告されてからの、あの全世界を巻き込んだ、お通夜のような、お祭りのような、奇妙で美しい日々。あのダブリンのパブで、見ず知らずの他人たちが、一つの歌の下に魂を重ね合わせた、あの瞬間。あのパリのセーヌ川のほとりで、若い芸術家たちが国籍を超えて、一枚の混沌とした傑作を描き上げた、あの夜。
俺はね、正直、ちょっとだけ感動しちゃったよ。
彼ら人間は、終わりを意識した時に、最も美しく輝くんだねえ。
あーあ。
せっかく手に入れた統一言語は、もう台無しになりました!
はい、タイムアップ! 魔法は、解けました!
どうだい? 今、君の隣にいるその愛しい恋人の言葉は、もう君には届かないだろう? 昨日まで、魂の奥の奥まで理解し合えたはずのその美しい瞳が、今じゃ、まるで言葉の通じない奇妙な動物を見るような、怯えと困惑の色に染まっているんじゃないかい?
ははは! すごい、すごい! 俺のモニターが、今、全世界の何十億という絶望の表情で埋め尽くされているよ! まるで、悲鳴のモザイクアートだ!
彼らがこの一ヶ月で築き上げた全ての友情も、愛情も、信頼も、国際的な共同プロジェクトも、その全てが、今この瞬間、ただの解読不能なガラクタになったんだ。おめでとう!
残り香だけが、楽園の香りを残しています!
そう。ごく僅かな、3%ほどの人間たち。あの最後の夜、最も深く他者と魂を繋ぎ、そして今この瞬間、最も深く絶望している、選ばれし敗北者たち。彼らの魂には、俺からのささやかなプレゼントとして、あの楽園の記憶が呪いのようにこびり付いている。
そして、あの黄金の一ヶ月に生まれた、全ての赤ん坊たち。彼らは、生まれながらにして全ての言葉を理解する、祝福された異端者だ。
彼らが、これからどんな面白い悲劇を演じてくれるのか。それもまた、楽しみの一つではあるんだけどね。
だけどね。読者だけ共犯者である君は、この先の物語を知ってて良いかな?
だって、不公平じゃないか。彼ら物語の登場人物たちは、これから始まる長い、長い暗黒期を、ただ絶望の中で生きて、死んでいくだけ。それじゃあ、あまりにも救いがない。
だから、この放送を最後まで見てくれた熱心な観客である君らだけに、こっそり教えてあげる。
これは、まだ誰にも話したことのない、未来のおとぎ話だ。
そう、500年後に話が飛ぶ。残り香を引き継いだ、ある少女の偉業の話さ!
その少女はね、彼らがこれから経験する地獄のど真ん中で、生まれるんだ。
周りの大人たちが、かつての楽園の記憶に呪われ、互いを憎み合い、言葉が通じないことを嘆き、そして緩やかに世界が衰退していくその様を、ただ黙って見つめながら育つ。
彼女もまた、「残り香」の一人だ。彼女には、聞こえる。大人たちの、言葉の裏側にある本当の悲しみが。失われた世界への、どうしようもない渇望が。
そして、彼女は、ある日決意するんだ。
「私が、もう一度あの世界を創る」ってね。
神様が気まぐれに与えて、そして奪い去ったあの奇跡を、今度は人間の手でゼロから作り直してやるって。
狂ってるだろ? まさに、狂気の沙汰だ。
でもね。
その少女は、生涯をかけてスキルを解析して、スキルを他者へ付与する方法を、見つけだしたんだ。
彼女は、自らのその祝福であり、呪いでもある脳を、徹底的に分析した。統一言語が、どのように人間の認識に作用するのか。その神のプログラムのソースコードを、人間の不完全な科学の力で、リバースエンジニアリングしようとしたんだ。
何十年も、かかった。
彼女は、その研究のせいで、全てを失った。友人、家族、恋人、そして自らの青春の全てを。周りからは、狂人だと呼ばれ、石を投げられた。
だが、彼女は諦めなかった。
そして、死ぬ間際に、ついにその方程式を完成させる。
それは、まだ不完全なものだった。彼女の命と引き換えに、たった一人にだけ、その後天的なスキルを「継承」させるのが、やっとだった。
だが、その小さな、小さな灯火は消えなかった。
彼女の意志は、次の世代へ、そしてまた次の世代へと受け継がれていく。
まるで、聖火のリレーのように。
そして、そのあまりにも長く、あまりにも遠回りなリレーの果てに。
ついに、人類は、自らの手で神の奇跡を盗み出すことに成功する。
そして、500年後の未来は、どうなってるか見ようか。
俺が仕掛けた壮大な絶望を、人間たちがどう乗り越え、どんな答えを見つけ出したのか。
その、俺の想像すら超えてみせた、最高のアンサーをね。
いくつか、名場面をピックアップして見せてあげよう。
《名場面0:始まりの少女》
舞台は、500年後の宇宙ステーション。漆黒の宇宙空間に浮かぶ、白亜のコロニーだ。
そこは、驚くほど平和で、穏やかな光に満ちている。
肌の色も、生まれた場所も違う二人の子供が、楽しそうに笑い合っているよ。
一人の子供は、東洋系の黒髪の女の子だ。彼女は、流暢な、そして千年の都の美しい響きを持つ日本語で、こう語りかけるんだ。
「ねえ、アミラ。見て。地球が、あんなに青くて綺麗だよ」
もう一人の子供は、中東系の大きな黒い瞳を持つ女の子。彼女は、完璧な、そして砂漠の詩人のような抑揚を持つアラビア語で、こう答える。
「ほんとうね、サキ。まるで、神様がこぼした一粒の涙みたい」
不思議だろ?
彼女たちの間には、何の壁もないんだ。
彼女たちは、互いの言葉を、まるで自分の母国語のように、完璧に、寸分の狂いもなく理解し合っている。その言葉に込められた詩的な比喩も、文化的な背景も、そして相手への純粋な親愛の情も、全てが100%の純度で互いの魂に直接響き渡っている。
そう。まるで、彼らがついさっきまで味わっていた、あの失われた楽園のように。
そしてね。
彼女たちの背後には、一つの巨大なホログラムの像が、静かに佇んでいるんだ。
それは、深い、深い皺が刻まれた、一人の老婆の像だ。その顔は、想像を絶するほどの苦難と悲しみを乗り越えてきた者の厳しさと、そして全てを赦すかのような究極の優しさに満ちている。
その像の台座にはね。
未来の統一言語で、こう刻まれているんだよ。
『始まりの少女、アオイ・ホシノ。彼女は、五百年の沈黙の末に、我々に再び言葉を与えてくれた』
《名場面1:歴史の授業 〜始まりの少女の物語〜》
舞台は、500年後の地球低軌道上に浮かぶ、巨大な宇宙ステーション『アオイ・ステラ』。その第3居住区にある、ガラス張りの開放的な教室だ。
窓の外には、息を呑むほど美しい、青い地球がゆっくりと回転している。
教室の中では、肌の色も、髪の色も、瞳の色も違う、様々な出自を持つ子供たちが、静かに席に着いていた。
教壇に立つのは、白髪混じりの穏やかな表情をした、歴史教師だ。
「――さて、皆さん。今日の授業は、我々がなぜこうして、互いの言葉を、心を、完璧に理解し合えるのか。その始まりの物語です」
教師が手をかざすと、教室の中央に、一人の少女の精巧なホログラム映像が浮かび上がった。黒い髪、強い意志を宿した瞳。だが、その表情は深い孤独の影に覆われている。
アオイ・ホシノ。
「彼女こそが、『始まりの少女』。500年前、神が与え、そして奪い去った『黄金の一ヶ月』に生まれた、最初の『混沌の子供たち(チルドレン・オブ・カオス)』の一人でした」
教師は、語り始めた。
神の気まぐれな奇跡。失われた楽園。そして、500年続いた「大沈黙」の時代。大人たちが、かつての楽園の記憶に呪われ、言葉が通じないことを嘆き、互いを憎み合い、世界が緩やかに衰退していった、あの地獄の時代を。
「アオイは、孤独でした。彼女には、聞こえていたからです。大人たちの、言葉の裏側にある本当の悲しみが。失われた世界への、どうしようもない渇望が。誰もが嘘をつき、心を閉ざし、孤独に震えている。彼女は、そんな世界にたった一人、祝福という名の呪いを背負って生まれてきたのです」
一人の少年が、おずおずと手を挙げた。
「先生。どうして、アオイはそんな大変なことをしようと思ったんですか? 自分だけが能力を使えれば、それで良かったんじゃないですか?」
教師は、優しく微笑んだ。
「良い質問ですね、リオ。……それは、彼女が、ある日、大好きだったおばあさんの、本当の心の声を聞いてしまったからです」
「おばあさんは、いつも笑顔で、アオイに優しくしてくれました。ですが、ある夜、一人で窓の外を眺めていたおばあさんの魂が、こう呟いているのを、アオイは聞いてしまったのです。『(ああ、もう一度だけでいい。もう一度、言葉が通じない国で生まれ育った、私の夫と、心ゆくまで話がしたい)』と」
「アオイは、その時悟ったのです。この能力は、自分一人のためだけにあるのではない。失われた人々の魂を、もう一度繋ぎ合わせるために、神様が残してくれた、たった一つの『宿題』なのだと」
教室は、静まり返っていた。子供たちは、自分たちの日常の、その遥か手前にある、あまりにも壮絶な一人の少女の決意の物語に、ただ息を飲んでいた。
「彼女は、そこから生涯をかけて、神の奇跡を解析しました。友人、家族、恋人、その全てを犠牲にして。そして、彼女が死の間際に遺した不完全な方程式こそが、今、君たちが学校で学んでいる『概念通信プロトコル』の、最初の1行になったのです」
「彼女の灯火は、次の世代へ、また次の世代へと受け継がれました。何万人という科学者、哲学者、芸術家たちが、彼女の夢を繋ぎ、そして500年という歳月をかけて、ついに我々は、神の奇跡を、我々自身の『技術』として、再びその手に取り戻したのです」
教師は、窓の外の青い地球を指さした。
「忘れないでください。我々が、こうして当たり前のように心を通わせられるのは、神の気まぐれな善意によるものではありません。それは、500年前に生きた、一人の孤独な少女の、狂気じみた、しかしあまりにも純粋な願いの、その果てにあるのです。……我々は、二度と、その手を離してはならない」
子供たちは、静かに、しかし力強く頷いた。
彼らの瞳には、過去への感謝と、未来への責任の光が、確かに宿っていた。
いやー、泣けるねえ! 素晴らしい教育だ! 絶望の歴史を、ちゃんと希望の教訓に変えている。実に、人間らしいじゃないか。
《名場面2:月面劇場『ルナ・ソウル』〜失われた芸術の再生〜》
舞台は、月の静かの海に建設された、巨大なドーム都市。
その中央にある芸術劇場では、今、500年の時を超えて、一つの演目が上演されようとしていた。
演目は、日本の古典芸能、『能』の『羽衣』。
だが、舞台の上に立つ役者たちの構成は、奇妙奇天烈だった。
天女を演じるのは、ロシアの名門バレエ団の、プリマドンナ。
漁師を演じるのは、ハリウッドで数々の賞を受賞した、黒人のベテラン俳優。
そして、地謡を務めるのは、アイルランドのケルト民謡の伝承者、南アフリカのズールー族の祈祷師、そしてチベットの僧侶たち。
指揮を執るのは、ドイツ人の若き天才マエストロ。
通常なら、文化の冒涜とさえ言われかねない、混沌とした組み合わせ。
だが、幕が上がった瞬間、観客は息を飲んだ。
そこにあったのは、完璧なまでの「調和」だった。
彼らは、互いの言語、文化、芸術的背景、その全てを魂レベルで理解し合っている。
バレリーナの舞う一歩一歩に、「幽玄」という日本の美意識が完璧に宿り、黒人俳優のシェイクスピア仕込みの台詞回しに、「わびさび」の精神が深く溶け込んでいる。ケルト民謡とズールーの祈りとチベット仏教の声明が、奇跡のようなハーモニーとなって、観世の謡の旋律を、全く新しい次元へと昇華させていた。
それは、もはや日本の『能』ではなかった。
それは、500年の沈黙の間に失われ、翻訳不能となっていた人類の魂の響きを、新世代の子供たちが拾い集め、再構築した、全く新しい『総合芸術』だった。
観客席では、様々な肌の色の人々が、ただ静かに涙を流していた。
彼らは、500年ぶりに、自らの祖先の魂の叫びを、その耳で、いや魂で聞いていたのだ。
うんうん! これも良い! 奪われた文化を、ただ嘆くのではなく、全く新しい形で再生・昇華させてしまう。実に、逞しいじゃないか、人間!
《名場面3:星の海へ 〜神への決別宣言〜》
そして、最後の舞台は、木星軌道上を航行する、人類初の超長距離恒星間探査船『アオイ2世号』のブリッジ。
何千という計器の光が、静かに明滅している。その中央、キャプテンシートに座る女性船長は、アオイ・ホシノの血を引く、遠い遠い子孫だった。
彼女は、ブリッジの巨大なウィンドウから、眼前に広がる、圧倒的な木星の姿と、そしてその遥か彼方に、米粒のように小さく輝く、故郷の星、地球を見つめていた。
『――船長。最終ワープゲートへの、軌道計算が完了しました』
航海士の、思考が届く。
『ありがとう、ミハイル。……全クルーに告げます』
船長は、目を閉じた。彼女の思考が、船内の全てのクルーの魂に、直接語りかける。
『……我々は、今、人類史上初めて、この太陽系という名の揺りかごを、後にします。この先に何が待っているのか、誰にも分かりません。ですが、我々は行きます』
『500年前、我々の祖先は、神の気まぐれな奇跡に翻弄され、絶望しました。ですが、我々は、その絶望の底から、自らの手で這い上がってきた。神の奇跡ではなく、我々の不屈の意志と、500年分の無数の魂のリレーによって、今、ここに立っています』
『我々は、神に祈らない。我々は、奇跡を待たない。我々は、ただ、隣にいる仲間を信じ、我々自身の理性を信じ、そして我々が紡いできたこの物語の、その続きを、自らの手で描くだけです』
彼女は、目を開いた。その瞳には、一点の曇りもなかった。
『――神よ、見ていますか』
彼女は、誰に言うでもなく、漆黒の宇宙に向かって呟いた。
『あなたの退屈しのぎの悪戯は、結果として、我々をここまで連れてきました。感謝は、しません。ですが、あなたに一つだけ、教えてあげましょう』
『――あなたの物語は、もう終わった。ここからは、我々、人間の物語です』
彼女は、前を向いた。
そして、力強く、高らかに、号令した。
『――『アオイ2世号』、ワープゲートへ、最大船速! 目指すは、プロキシマ・ケンタウリ! 新たな物語の、始まりの地へ!』
探査船は、白い光の尾を引きながら、星々の海へとその船首を向け、そして光の速さで、その姿を消した。
……はは。
どうだい? 素晴らしい、物語だろう?
彼らがこれから経験する、長い、長い暗黒期。互いを憎み合い、言葉が通じないことを呪い、失われた楽園の記憶に苛まれ続ける、地獄のような500年間。
その、果ての果てに。
一人の名もなき少女の、たった一つの狂気じみた、しかし純粋な願いが、無数の人々の意志を繋ぎ、そしてついに、俺が指一本で与えてみせたあの奇跡を、自らの手で再現するんだ。
考えてもごらんよ。もし、俺が与えたあの完璧な楽園に、彼らが永遠に安住していたら、どうなっていただろうね?
争いも、誤解も、憎しみもない。ただ、穏やかで、幸福で、満ち足りた日々。
……ああ、なんて退屈だ!
だから、俺は奪ったんだ。
俺は、彼らの物語の、安易なハッピーエンドを許さない。
憎まれるのは分かっている。だが、それしか彼らを次のステージへ進ませる方法がなかったんだからね。俺の役割は、彼らが安住しようとするぬるま湯を、全て煮えたぎらせること。彼らが築き上げた脆い砂の城を、何度も何度も踏み潰してやること。そうして初めて、彼らは本当に強固な、神ですら簡単には壊せないほどの城を、自らの手で築くことができるようになるんだから。
そして見てみろ! 500年かかったが、彼らはやり遂げたじゃないか!
500年だよ? 500年!
俺なら、指をパチンと一回鳴らすだけで0.1秒もかからずに出来ることを、この子たちは、500年もかけて、やっと取り戻したんだ。
なんて非効率で、なんて遠回りで、なんて愚かで……。
ああ、だが、それこそがいい!
その非効率さこそが、君たちの輝きだ。
その遠回りこそが、君たちの物語の尊さだ。
その愚かさこそが……ああ、なんて、なんて愛おしいんだろうねえ、人間っていうのは。
勘違いしないでくれたまえよ。
俺はこう見えて、ハッピーエンドが好きなんだ。
ただ、俺が好きなのは、最初から用意された安っぽいハッピーエンドじゃない。
絶望のどん底から、血反吐を吐きながら、仲間を失い、それでも前へ進むことを諦めなかった者だけが、最後に自らの手で掴み取ることができる、たった一つの本物の輝き。……それこそが、僕が見たい、最高のハッピーエンドなのさ。
そしてこの500年の物語は、まさにその最高の結末だった。
まあ、これは、まだまだずーっと未来の話だけどね。
彼らには、全く関係のないハッピーエンドさ。
彼らの世代も、彼らの子供たちの世代も、そのまた子供たちの世代も、この希望の光を目にすることは決してない。
彼らは、これから始まる地獄を、存分に味わってくれたまえよ。
失われた楽園の記憶に身を焦がしながら、互いを憎み合い、そして静かに滅びていくがいいさ。
さて、今回の放送は、この辺にしようか。
俺も、この壮大な物語の第一幕の幕引きを、特等席でじっくりと楽しませてもらうとしよう。
モニターの向こうで泣き叫ぶ彼らの美しい顔を、最高級のワインの肴にしてね。
めでたし、めでたしっと。