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番外編 二柱の神への個人評価と邪神君レビュー

【主要登場人物別:二柱の神への個人評価】

◆ 黒田(IARO事務総長)

人類の理性と秩序の最後の砦として戦う彼の神々への評価は、信仰や畏怖ではなく、極めて現実的で複雑なものとなっている。


スキル神への評価:『チェス盤の向こう側にいる、気まぐれな後見人』

黒田はスキル神を「味方」とは考えていない。むしろ、自らを駒として動かす、巨大なチェス盤の向こう側にいるプレイヤーに近い存在だと認識している。『秩序の物語』を好むという点で利害は一致しており、時折与えられる助言や『秩序の呪印』のような介入には感謝している。しかし、決して人類の勝利を保証してくれるわけではなく、あくまで彼の「好み」の範囲でしか動かない超越者であると理解している。その気まぐれさと底の知れなさに、常に緊張感を抱いている。信頼ではなく、打算に基づいた緊張関係。それが黒田のスキル神に対する評価である。


邪神への評価:『人類の尊厳を弄ぶ、最悪の精神的テロリスト』

黒田にとって邪神は、単なる破壊者や悪ではない。彼の行動原理が「退屈しのぎ」であり、人類の苦悩や葛藤そのものを娯楽として消費している点に、最も深い嫌悪と恐怖を感じている。邪神は物理的な破壊よりも、人間の倫理観や価値観を内側から破壊する「精神的なテロ」を仕掛けてくる。故に、黒田は彼を人類の尊厳に対する最大の脅威と断じている。その悪趣味な知性にはある種の戦慄を覚えつつも、決して屈してはならない絶対的な敵として、その存在の全てを否定している。


【邪神(空木 零)から見た主要登場人物たちへの本音レビュー】

◆ 黒田(IARO事務総長)

評価:『見てて飽きない、最高のおもちゃ』


いやー、黒田ちゃんは本当に傑作だね! マジでこんな人がいるんだって、俺、ちょっと感動しちゃったもん。

何が面白いって、彼はいつだって本気マジなんだよ。人類の理性! 秩序の尊厳! くだらない! 実にくだらない! でも、そのくだらないものを、彼は命懸けで、涙を流しながら守ろうとする。その姿が、滑稽で、惨めで、そして最高に美しいんだ。


俺がちょっと石を投げれば、彼は全力でその石の軌道を計算し、被害を予測し、対策本部を立ち上げる。俺が意味もなく雨を降らせば、彼はその一滴にすら深遠な意図があるんじゃないかと勘ぐって、徹夜でレポートを書き上げる。そのあまりにも過剰で、あまりにも誠実なリアクション! これ以上に面白いおもちゃがあるかい?


彼がいるから、俺の仕掛ける混沌カオスが、より一層輝くんだ。彼こそが、この物語の真の主人公だよ。だから、絶対に壊さないように、大事に、大事に、遊んであげないとね!


◆ 神崎 勇気(日本の英雄『ジャベリン』)

神に選ばれ、人類の希望という重すぎる役割を背負わされた彼の評価は、感謝と同時に深い葛藤と孤独に満ちている。


スキル神への評価:『逃れることのできない、絶対的な上司(あるいは親)』

5年前、力を与えられた当初は純粋な感謝があったかもしれない。だが、5年間の隔離と英雄としての役割を強いられる中で、その感情は複雑に変質した。スキル神は、自分をこの戦いの舞台に引きずり込んだ絶対的な存在であり、逃れることのできない運命そのもの。感謝や信仰よりも、むしろ「これが自分の仕事(役割)だから従う」という、ある種の諦観に近い感情を抱いている。自分を人間から引き離した元凶であるという、微かな憤りも心のどこかにあるかもしれない。


邪神への評価:『自らの『役割』を終わらせるための、最終目標』

邪神は、彼にとって倒すべき明確な「敵」であり、自らに課せられたこの不自由な英雄という役割を終わらせるための、唯一の目標となっている。その行動には純粋な怒りを感じているが、同時に、同じく規格外の力を持つ存在として、奇妙な好敵手のような意識も芽生え始めている可能性がある。邪神を倒すことだけが、自分を「神崎勇気」という一人の人間に戻してくれる唯一の道だと信じている。


【邪神(空木 零)から見た主要登場人物たちへの本音レビュー】

◆ 神崎 勇気(日本の英雄『ジャベリン』)

評価:『ノリで選んじゃった、可哀想な主人公(笑)』


勇気君には、マジで同情するぜ? いやホント、あの時はゴメンね。たまたま電車で気持ちよさそうに寝てるのが目に入って、「あ、こいつでいっか」くらいのノリで決めちゃったんだ。悪かった、悪かった。


でもさあ、その結果どうだい? SS級なんていう、身の丈に合わない最強の力を与えられちゃって。周りからは英雄だって崇められ、IAROにはペットみたいに管理され、もう自分自身が誰なのかも分からなくなってきてる。その、虚無と諦観に満ちた瞳! 最高だよ!


君みたいな、ごく普通の、何の取り柄もない少年が、いきなり世界の命運なんていうクソ重い十字架を背負わされて、苦悩する姿。それこそが、物語の王道だろ? 君は、その「役割」を完璧に演じてくれてるよ。まあ、そのせいで君の人生がメチャクチャになったとしても、それはそれ。俺の知ったこっちゃないけどね!


◆ ジョシュア・レヴィン(米国の英雄『自由の盾』)

死の淵から救い出された彼の神々への評価は、作中人物の中で最もシンプルで、純粋な信仰に貫かれている。


スキル神への評価:『命の恩人であり、信仰の全てを捧げるべき唯一神』

ジョシュアにとって、スキル神はただ力を与えてくれた存在ではない。不治の病を癒し、自分に「命」そのものを与えてくれた、文字通りの救世主である。彼のスキル神への感情は、黒田のような打算や勇気のような葛藤とは無縁の、100%純粋な信仰と感謝。自らの力と命は全て神から与えられたものであり、それを神の御心(秩序の維持)のために使うことは、聖なる義務だと考えている。彼は、神の敬虔な「聖騎士」である。


邪神への評価:『信仰の対極にいる、絶対的な悪魔アンチ・キリスト

スキル神が「生」の象徴であるならば、邪神は「死」と「絶望」の象徴。ジョシュアにとって、邪神は神学的な意味での絶対悪であり、討伐すべき悪魔サタンに他ならない。命の尊さを誰よりも知る彼にとって、命を娯楽として弄ぶ邪神の存在は、生理的にも倫理的にも決して容認できない。彼の戦いは、正義と悪の戦いというよりも、聖と邪の戦いという、極めて宗教的な意味合いを帯びている。


【邪神(空木 零)から見た主要登場人物たちへの本音レビュー】

◆ ジョシュア・レヴィン(米国の英雄『自由の盾』)

評価:『ちょっと真面目すぎて、つまらない優等生』


うーん、ジョシュア君ねえ。彼は、なんていうか、出来すぎなんだよな。

スキル神(っていうか、俺が演じてる方の神様ね)に命を救われたからって、盲目的に信仰しちゃってさ。一点の曇りもなく「正義」を信じて、人類のために戦う聖騎士様。実に、実に、つまらない!


物語には、彼みたいな分かりやすい光のキャラクターも必要だってのは、分かるよ? 分かるけど、見てるこっちとしては、葛藤とか、闇堕ちとか、そういう面白い展開が一切期待できないんだもん。彼のスキルは超一流だけど、キャラクターとしては二流だね。まあ、勇気君の対比役としては、ちょうど良い置物かな。


◆ クロエ・サリヴァン(米国のエージェント『ゲートキーパー』)

DAAのトップエージェントとして、常に現実的な視点を持つ彼女の評価は、信仰や思想とは無縁の、極めてプロフェッショナルなものである。


スキル神への評価:『面白いガジェット(能力)をくれた、謎のスポンサー』

彼女はスキル神を信仰の対象として見ていない。むしろ、自らの切り札である空間転移能力を供給してくれた「源泉」あるいは「スポンサー」程度の認識である。その力は任務を遂行するための極めて有用なツールであり、感謝はしている。しかし、その人格や思想に深い興味はない。相棒であるジョシュアの純粋な信仰心を微笑ましく思うことはあっても、自身が祈りを捧げることはない。彼女にとってスキル神は、あくまで理解不能な現象の一つ。分析と活用を行う対象でしかない。


邪神への評価:『仕事を増やす、ろくでもない災害発生源』

邪神への評価もまた、極めてシンプルだ。彼は、世界に混乱を撒き散らし、自分たちの仕事を増やし、アメリカの国益を損なう「災害発生源」。その行動原理が退屈しのぎであろうと深遠な思想があろうと、クロエにとっては関係ない。対処すべきターゲットであり、無力化すべき脅威。それ以上でもそれ以下でもない。彼の引き起こす現象を冷静に分析し、どうすれば最も効率的にその被害を抑え込めるかを考える。それが彼女の仕事であり、邪神への唯一の評価である。


【邪神(空木 零)から見た主要登場人物たちへの本音レビュー】

◆ クロエ・サリヴァン(米国のエージェント『ゲートキーパー』)

評価:『結構お気に入りの、クールな脇役』


クロエは、良いね! 彼女、神様のこと、全然信じてないだろ?

スキル神のことも、邪神(俺)のことも、ただの「現象」とか「解決すべき案件」くらいにしか思ってない。そのドライな感じ、俺は結構好きだよ。

ジョシュアみたいな狂信者の隣に、彼女みたいな現実主義者がいるからこそ、物語に深みが出るってもんさ。彼女のスキルも、応用が利いて見てて飽きないしね。

まあ、彼女も結局は、自分がこの巨大なゲーム盤の上の駒に過ぎないってことには、気づいてないんだろうけど。その勘違いも含めて、愛すべきキャラクターだと言えるかな。



◆ ケイン・コールドウェル(カオス同盟大元帥)

混沌の思想を体現する彼の評価は、二人の神を自らの思想の文脈で再解釈したものとなっている。


スキル神への評価:『旧世界の偽善を象徴する、老いぼれた偽神』

ケインにとって、スキル神が掲げる「秩序」とは、停滞・腐敗・格差を内包した偽りの秩序に過ぎない。彼は、その偽りの平穏を守ろうとするスキル神を、変化を恐れる老いた神、あるいは既得権益層に媚びる偽善者として、心の底から軽蔑している。スキル神の信奉者たちは、真理から目を背け、偽りの楽園に安住しようとする哀れな羊の群れにしか見えていない。


邪神への評価:『真の解放者であり、自らの思想を肯定してくれた唯一神』

邪神は、彼にとって崇拝すべき神であると同時に、自らの思想の正当性を証明してくれた「同志」のような存在でもある。邪神がもたらす混沌と破壊は、ケインが元々抱いていた世界への破壊願望や虚無思想を、神の御心という形で肯定してくれた。彼は邪神の駒であると同時に、最も熱心な預言者であり、その思想の最も忠実な代行者であることに、至上の喜びを感じている。


【邪神(空木 零)から見た主要登場人物たちへの本音レビュー】

◆ ケイン・コールドウェル(カオス同盟大元帥)

評価:『俺の脚本を120%の演技力で再現してくれた、最高の役者』


ケイン! 彼こそが、俺の最高傑作だ!

俺は、彼に少しの力と、ほんの少しのきっかけを与えただけ。それなのに、彼はどうだい? 俺が思い描いていた「混沌の使徒」の役を、完璧に、いやそれ以上に演じきってくれている!

彼のカリスマ性、人心掌握術、そして旧世界への底なしの憎悪。その全てが、俺の退屈な世界を彩る、最高の絵の具になってる。彼は、俺の駒であると同時に、この物語の共同脚本家でもあるのかもしれないね。彼が次にどんな面白い破壊を見せてくれるのか、俺はいつもワクワクしながら待ってるんだ。頑張れ、俺の魔王様!


◆ その他の主要アルターたちの視点

秩序派に与する善のアルターたち(カナダのノア、ケニアのアベバなど)

黒田の魂の叫びに呼応して立ち上がった彼らの評価は、人間への信頼に基づいている。


スキル神への評価:『大いなる力の『源泉』、しかし忠誠の対象ではない』

彼らは、自らの力がスキル神に由来するものであることは理解している。その意味で、彼は敬意を払うべき超越的な存在だ。しかし、彼らが立ち上がった直接のきっかけは、神の命令ではなく黒田という一人の人間の涙と覚悟だった。故に、彼らの忠誠心はスキル神ではなく、「人間の理性と尊厳を守ろうとする戦い」そのものに向けられている。スキル神は、その戦いのための力を与えてくれた、遠い空の上の神秘的な後援者という認識である。


邪神への評価:『守るべき人々を脅かす、具体的な脅威』

彼らにとって邪神は、観念的な悪ではない。邪神の思想に感化されたテロリストや怪物は、彼らが守ろうとしている森を焼き、人々を病に罹わせ、日常を破壊する、極めて具体的で現実的な敵である。彼らは、邪神の思想の是非を議論する前に、目の前の脅威を排除することに全力を注ぐ。その行動原理は、正義というよりも、自らが守ると決めた者たちへの責任感に基づいている。


混沌派に与する悪のアルターたち(エヴァ、ソカ、ペドロなど)

旧世界で社会から爪弾きにされた彼らにとって、神々の評価は自らの存在意義そのものと直結している。


スキル神への評価:『自分たちを虐げた旧世界の守護神』

スキル神が守ろうとする「秩序」とは、彼らにとっては自分たちを監獄に閉じ込め、怪物と呼び、社会から排斥した忌まわしいシステムそのものである。故に、スキル神は憎悪と打倒の対象。自分たちの自由を縛る、偽善に満ちた旧世界の神として認識している。


邪神への評価:『呪いを祝福に変えてくれた、唯一無二の解放者』

彼らにとって邪神は、ケイン・コールドウェル以上に絶対的な救世主である。なぜなら、邪神とケインは、彼らが「呪い」だと思っていた自らの能力を、「祝福された才能」だと初めて肯定してくれた存在だからだ。変身能力者はその欺瞞を、発火能力者はその破壊を、疫病能力者はその汚染を、新世界では価値ある力だと認められた。彼らは、自らの存在そのものを肯定してくれた邪神に対し、犬死をも厭わない狂信的なまでの忠誠を誓っている。


ニューヨーク事変の生存者たち(マリア、デビッド、ジョン・ミラーなど)

神々のゲームを最も間近で、最も悲劇的な形で体験した彼らの評価は、他の誰とも違う、深いトラウマと矛盾に満ちている。


スキル神への評価:『沈黙した神、あるいは不在の神』

彼らが地獄の7日間を過ごしている間、スキル神は何もしてくれなかった。秩序の神を名乗りながら、ニューヨークが見捨てられたという事実は、彼らの心に拭い去れない深い傷と不信感を残した。秩序派の理念に賛同することはあっても、スキル神そのものに信仰心を抱く者は少ない。「あの時、彼はどこにいたのか」という問いが、彼らの信仰を永遠に妨げ続ける。


邪神への評価:『悪魔であり、同時に救世主でもある、理解不能な矛盾存在』

これが、最も複雑な評価である。彼らにとって邪神は、自分たちの日常を破壊し、仲間を死に追いやり、心を弄んだ、紛れもない悪魔だ。その憎しみは決して消えない。

しかし、同時に、その邪神の気まぐれな「奇跡」によって、死んだはずの全ての仲間が蘇り、街が再生され、自らの傷も癒やされたという厳然たる事実が存在する。

この、「最悪の悪魔」と「最高の救世主」という、決して両立し得ない二つの側面を同時に内包した存在。それが、ニューヨーク市民の邪神に対する共通認識である。彼らは邪神を語る時、単純な憎悪や感謝の言葉ではなく、畏怖と、混乱と、そして自分たちの理解を超えた存在に対する、ある種の宗教的な諦観を滲ませるのだ。



◆ 一般市民(全世界の平均的な視点)

大多数のスキルを持たない人々にとって、神々はより抽象的で、日和見的な評価の対象となっている。


スキル神への評価:『遠い空の上の、保険のような存在』

平穏な日常が続いている限り、スキル神は「まあ、良い神様なんだろう」程度の、漠然とした好意の対象。自分たちの日常を守ってくれている「秩序」の象徴として、保険のようにその存在を信じている。しかし、その信仰は極めてご都合主義的であり、ひとたび日常が脅かされれば、簡単に揺らぐ脆さも併せ持つ。


邪神への評価:『天災と、禁断の果実』

基本的には、いつ自分たちの身に降りかかるか分からない「天災」のような、畏怖と恐怖の対象。しかし、ニューヨークの奇跡や、カオス同盟がもたらす局地的な恩恵(干ばつを終わらせる雨など)を見聞きするたびに、心のどこかで「自分もあの奇跡の恩恵に与りたい」と願う、禁断の果実のような存在でもある。この「邪神への密かな期待」こそが、秩序派国家にとって最大の不安定要因となっている。




【主要宗教勢力別:二柱の神への神学的評価】

◆ キリストヴァチカンからの視点

『矛盾を抱えた、理解不能な「神の顕現」』


ヴァチカンは、自ら発見してしまった「矛盾した福音」という神学的な爆弾を抱え、最も苦しい立場にいる。彼らは、二柱の神を単純な善悪二元論で断罪することができない。


スキル神への評価:『父なる神の「秩序ロゴス」の側面』

スキル神は、天地創造に見られるような「秩序」を司る、父なる神の側面として解釈されている。彼のスタンスは、旧約聖書に見られる、人類と契約を結び、法(律法)を与え、その営みを静かに見守る厳格な神の姿に重なる。しかし、その態度はあまりに超越的で人間的な感情が希薄なため、新約聖書が説く「アガペー」としての神の姿とは異質であり、完全な信仰の対象とはなり得ていない。畏怖すべき「ことわり」の神、それがヴァチカンの基本的な見解である。


邪神への評価:『キリストの奇跡を模倣する、冒涜的な「力の顕現」』

邪神は、最も深刻な神学的問題となっている。彼の行う「死者の蘇生」や「自己犠牲による救済」といった奇跡は、あまりにもイエス・キリストの御業と酷似しているからだ。故に、彼を単純な「悪魔サタン」として断罪できないジレンマを抱えている。一部の急進派は彼を「アンチキリスト」と見なすが、教皇庁の公式見解は「我々の理解を超えた、神の試練、あるいは不可解な力の顕現」。ソーニャの物語は、人類の罪を背負ったキリストの受難の、あまりに歪んだ模倣であり、その神意を測りかねている。


【邪神(空木 零)から見た主要宗教勢力への本音レビュー】

◆ キリストヴァチカンの皆さんへ

レビュー:『深読みしすぎ! それ、ただのイタズラ書きだから!』


彼らは、俺が昔のヒマな時に、古代エジプトのそこらへんにいた修道士の頭の中にちょこっと書き込んだ、あの矛盾した預言。『混沌こそ奇跡』と『秩序こそ奇跡』。あれを「神の深遠なる御心」だとか言って、今も頭を抱えて悩んでるんだろ?

あー、もう、面白すぎる!

違うんだよ、神父様。あれに深遠な意味なんて、何一つない。ただ、どっちも書いといたら面白いかなって、その場のノリで書いただけのイタズラ書きなんだ。君たちが、俺のしょうもない落書きのせいで信仰の危機に陥ったり、世界会議を開いたりしてるのを見ると、もう最高に愉快だよ。君たちのその真面目さが、一番のエンターテインメントさ!



◆ イスラム教(最高ウラマー会議など)からの視点

『唯一神アッラーの御心を試す、天使と偽メシア』


厳格な唯一神教であるイスラム世界の見解は、他の宗教よりも遥かに明確で、断固としている。


スキル神への評価:『秩序を司る、高位の天使またはジン

イスラム教において、神はアッラーただ一人である。故に、スキル神は神そのものではなく、アッラーの御心に従い、世界の秩序シャリーアを維持するために遣わされた高位の天使、あるいは強大な力を持つジン(精霊)の一種と解釈されている。彼の存在は、アッラーの偉大さを示す一つの証左であり、敬意を払うべき対象ではあるが、決して崇拝の対象ではない。


邪神への評価:『終末に現れる、最大の偽善者『ダッジャール』』

邪神の評価は、一点の曇りもなく「絶対悪」である。コーランやハディースが預言する終末の日に現れ、死者を蘇らせるなどの偉大な奇跡をもって人々を欺き、自らを神だと信じさせる最大の偽善者「ダッジャール(偽メシア)」、そのものであると断定されている。ニューヨークの奇跡は、信者たちの信仰を試すための、神が許した最後の、そして最大の試練。彼に与することは、アッラーへの最も重大な背信行為と見なされる。


【邪神(空木 零)から見た主要宗教勢力への本音レビュー】

◆ イスラム教(最高ウラマー会議)の皆さんへ

レビュー:『俺がダッジャール!? 光栄です! もっと言って!』


彼らは、すごいよね。俺のことを、一瞬の迷いもなく「偽メシア・ダッジャールだ!」って断定してくれた。いやー、気持ちいいね! 分かりやすくて!

自分たちの教科書に書いてある悪役に、俺をバチーン!って当てはめて、「はい、解決!」みたいな。その思考停止っぷり、俺は大好きだよ。

ニューヨークの奇跡も、全部「あれはまやかしだ!」の一言で片付けちゃうんだろ? 実際は、俺が本気で蘇生させてるのにさ。

まあ、そのおかげで信者の結束は固まるし、物語としては一番盛り上がるよね。これからも、ぜひ俺を史上最悪の敵として、全力で憎み続けてくれたまえよ! 応援してるぜ!


◆ ヒンドゥー教(高位のグルたち)からの視点

『宇宙の法則を体現する、二柱の偉大なる神格』


循環する宇宙観を持つヒンドゥー教にとって、二柱の神の対立は、驚きではなく、むしろ世界の真理が顕現した姿として、極めて自然に受け入れられている。


スキル神への評価:『世界の維持を司る、ヴィシュヌ神の化身』

世界の秩序とダルマが乱れる時、それを維持するために現れる最高神ヴィシュヌ。スキル神の役割は、まさにそのもの。彼は、宇宙の秩序を維持するための一つの側面であり、崇拝すべき偉大な神格のアヴァターラ(化身)と見なされている。


邪神への評価:『破壊と再生を司る、シヴァ神の化身』

邪神の行う破壊は、「悪」ではない。宇宙が新たな時代へ移行するために必要な、古き世界を破壊し、再生を促すための「聖なる破壊のターンダヴァ」である。彼は、破壊神シヴァの最も純粋な顕現。その混沌の中には、次の創造の種が内包されている。彼らは、邪神を討伐の対象ではなく、宇宙のサイクルの一部として畏敬し、受け入れるべき対象だと考えている。二柱の神の戦いは、善悪を超えた壮大な宇宙の遊戯リーラなのである。


【邪神(空木 零)から見た主要宗教勢力への本音レビュー】

◆ ヒンドゥー教(高位のグル)の皆さんへ

レビュー:『解釈が一番オシャレ。でも、理由が全然違うんだよなあ』


ヒンドゥー教の解釈は、正直言って一番オシャレだよね。「邪神は破壊神シヴァの化身であり、その破壊は次の創造のための聖なる遊戯リーラだ」ってやつ。

うーん、クール! かっこいい!

半分合ってて、半分違うんだよなあ。確かに、俺は世界をぶっ壊して、新しい面白い世界が見たいと思ってる。でも、そこに「聖なる」とか「再生のため」みたいな、高尚な目的は一切ないんだ。

理由は、たった一つ。「退屈だから」。

君たちが、俺の退屈しのぎに、そんな壮大で哲学的な意味付けをしてくれちゃってるのを見ると、なんだか申し訳ない気もするけど……まあ、その勘違いが面白いから、いっか!



◆ 仏教(高僧たち)からの視点

『衆生を惑わす天魔と、仏法を守護する護法善神』


創造神という概念を持たない仏教では、二柱の神もまた、輪廻の輪の中にある強大な力を持った存在として解釈される。


スキル神への評価:『仏法を守護する『護法善神』』

スキル神は、仏法(ブッダの教え)を守護し、人々が悟りへと至る道を整える「護法善神」の一柱、例えば帝釈天や梵天のような存在と見なされている。彼の秩序は、人々が心の平穏を得て、正しく修行するための環境そのもの。彼は、悟りへの道を照らす、慈悲深い天部の一員である。


邪神への評価:『悟りを妨げる、第六天魔王『マーラ』』

邪神は、修行者の前に現れ、あらゆる奇跡や欲望、恐怖をもって悟りを妨げようとする天魔「マーラ」そのものである。ニューヨークの奇跡は、人々を「生」や「死」といった現世の出来事に執着させ、輪廻の苦しみから抜け出せなくするための、最も強力な幻術。仏教徒にとって、邪神は物理的に倒す敵ではなく、自らの心の修行によってその幻術を見破り、乗り越えるべき内なる課題の象徴なのだ。


【邪神(空木 零)から見た主要宗教勢力への本音レビュー】

◆ 仏教(高僧)の皆さんへ

レビュー:『俺のこと「幻」だと思って、見ないフリしてるの、バレバレだぞ?』


仏教徒の人たちは、面白いよね。俺のことを「悟りを妨げる天魔マーラだ」って言って、物理的に戦うんじゃなくて、「あれは幻だ、くうなのだ」って、精神的に勝利しようとしてる。

その、争いを避ける平和主義的なスタンス、嫌いじゃないよ。

でもさあ、俺、幻じゃないんだよな。現実に、ここにいるんだ。君たちが一生懸命「無」になろうとしてる横で、俺はニューヨークを消したり、言語を統一したり、めちゃくちゃ物理的に干渉してるんだけど、それも見ないフリ?

その、現実逃避っぷり。一周回って、もはやロックだと思うよ。いつか、君たちの瞑想の邪魔しに、直接お邪魔しちゃうかもしれないから、その時はよろしくね!

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