第34話 【独占分析】謎多き「スキル神」は人類の味方か? 政府関係者から漏れる複数の証言が示す、その驚くべき「秩序」への意志
20XX年X月XX日 特別取材班:山本 健太郎
ヴァチカンが「矛盾した神の伝承」を発表して以来、世界は新たな混乱の時代に突入した。ある者は「混沌こそ奇跡」と叫び、ある者は「秩序こそ奇跡」と信じる。人類が神々の壮大な物語に翻弄される中、その存在そのものが最大の謎とされてきた二柱の神――「邪神」と「スキル神」。
特に、日本と浅からぬ因縁を持つ「スキル神」については、その正体も目的も、全てが厚いヴェールに包まれている。彼は人類の救世主なのか、それとも邪神と同じく、我々を弄ぶ超越的な観測者なのか。
今回、我々『現代インサイト』取材班は、超常事態対策室(以下、対策室)や政府中枢に近い複数の関係者への極秘取材に成功。断片的ながらも、これまで決して表に出ることのなかったスキル神に関する驚くべき噂話の数々を、ここに独占的に報じたい。それらの証言を繋ぎ合わせることで見えてきたのは、彼が少なくとも、日本政府が進める「秩序の維持」に対して、明確に肩入れしているとしか思えない驚くべき姿だった。
証拠1:『秩序の呪印』は「発見」ではなく「授与」だった
まず、スキル神の力が本物であることは、もはや疑いようがない。日本を「くだらない奇跡」の洪水から救った切り札、【秩序の呪印】。政府の公式見解では、これは「スキル神の遺した遺物を解析・量産したもの」とされている。
しかし、ある対策室OBは我々の取材に対し、匿名を条件にこう語った。
「遺物などではない。あれは、黒田室長がスキル神本人から直接『授けられた』ものだ。対策室が機能不全に陥り、彼が絶望の淵にいたまさにそのタイミングで、スキル神は現れ、『これを汝らに与えよう』と。まるで、我々の苦境を見透かしたかのように……」
この証言が事実だとすれば、意味合いは大きく異なる。スキル神は、ただ遺物を残すだけの受動的な存在ではない。彼は日本の、ひいては人類の状況をリアルタイムで観測し、自らの意志で秩序を回復するための「武器」を、的確なタイミングで与えたことになる。これは、明確な「介入」であり、「意志」の表れだ。
証言2:繰り返される「神との謁見」
スキル神が公の場(あるいはそれに準ずる形)で姿を現したのは、神崎勇気君にスキルを授けた時と、対策室の刑事たちの前、そして高坂総理(当時)との謁見の、計三度とされている。
だが、防衛省のある幹部筋は、声を潜めてこう明かす。
「公式記録に残っているのは、それだけだ。だが実際には、黒田室長はあの日以降も複数回、スキル神と『謁見』しているという噂が、ごく一部の幹部の間で囁かれている。内容は、最高機密事項。だが、いずれも邪神の新たな動きに対する、極めて断片的な、しかし的確な『警告』や『助言』のようなものだったらしい」
この噂が示唆するのは、スキル神と黒田室長との間に、我々が想像する以上に緊密なホットラインが存在する可能性だ。彼は、一方的に助言を与えるだけで、直接的な力は貸さない。だが、その助言は常に黒田たちが進むべき道、すなわち「秩序を守るための戦い」を、暗に後押しするものだという。
証言3:なぜ「日本の少年」だったのか
そもそも、スキル神が人類側の最初の希望として選んだのは、日本のごく普通の高校生、神崎勇気君だった。なぜ、彼だったのか。
対策室の心理分析官の一人は、興味深い見解を示した。
「もちろん、神崎君自身の『器』が規格外だったことが最大の理由だろう。だが、なぜアメリカでもヨーロッパでもなく、日本だったのか。スキル神が黒田室長や日本政府に肩入れしているという仮説に立つならば、その答えは自明だ。彼は、自らが信奉する『秩序』の概念を最も体現している国として、日本を選んだのではないか」
確かに、日本は他国に比べて、アルター犯罪の発生率やカオス教団の活動が比較的抑制されている。それは、国民性という曖昧な言葉で片付けられるものではなく、社会の隅々まで張り巡らされた、緻密な「秩序」の賜物かもしれない。スキル神は、その日本の持つ秩序のポテンシャルを見抜き、自らの「物語」の主役にこの国を選んだ、とも考えられる。
結論:スキル神は「秩序の物語」を好む、気まぐれな支援者
これらの証言を総合すると、一つの仮説が浮かび上がる。
スキル神は、絶対的な善でも、人類の無条件の救世主でもない。彼は、ヴァチカンが示した伝承の通り、「秩序こそが神が人間にもたらした奇跡である」という物語を、個人的に「好んで」いる、超越的な観測者なのだ。
そして、その「秩序の物語」の最も優秀な脚本家兼主演俳優として、黒田室長と日本政府をある種の「お気に入り」として観測し、時に舞台が壊れない程度の、ささやかな手助けをしているのではないか。
彼の目的は、人類の勝利ではないのかもしれない。彼が望むのは、自らの好む「秩序の物語」が、邪神の描く「混沌の物語」にいかにして立ち向かい、苦悩し、そしてそれでもなお気高く足掻いていくか。その「過程」そのものを、楽しむことなのかもしれない。
我々は、神の掌の上で踊らされているという点では、邪神のゲームと何も変わらない。だが、少なくともスキル神という観客は、我々が「秩序」という名の茨の道を歩む限りにおいて、時折温かい拍手を送ってくれる、気まぐれな支援者であると言えるのかもしれない。
今後の我々の選択が、彼の「好み」にどう影響していくのか。日本の、いや人類の未来は、そのあまりにも不確かで、あまりにも気まぐれな「神の視線」に委ねられている。