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第3話 神の遊戯盤

 自らの全てのスキルをEXランクに設定し終えた空木零うつぎ れいは、静かな満足感に包まれていた。彼の内なる世界は、今や完璧な秩序と絶対的な階級制度によって統治されている。彼自身を頂点とした、揺るぎないピラミッド。それは、彼がこれから始めようとしている壮大な「実験」の、いわば運営本部であり、神の心臓部だった。

 だが、まだ準備は終わっていない。

 彼はこれから、箱庭の外――すなわち、現実世界に干渉しようとしている。それは、未知の変数との遭遇を意味する。彼のシステムは完璧だ。彼の力は絶対だ。しかし、彼は本質的に臆病で、面倒くさがりで、そして何よりも「不確定要素」を嫌悪する。

 実験を始める前に、二つの重要なツールを準備する必要があった。一つは、実験対象に「介入」するためのツール。そしてもう一つは、万が一、本当に万が一、実験が彼の想定を遥かに超える形で破綻、あるいは彼自身の身に危険が及んだ場合の、「保険」である。


 まずは「介入」の手段だ。

 彼のスキル《全自動スキル生成(オートマティック・ファクトリー)》は、既に膨大な数の下級スキルを生成し、ストックし始めていた。問題は、これをどうやってターゲットに与えるかだ。直接会って授ける? 面倒だし、そもそも《絶対追跡不可(パーフェクト・ステルス)》のスキルを持つ彼が、自らを表に出すなどあり得ない。アイテムにスキルを付与して、それを拾わせる? 確実性に欠ける。

 もっとスマートで、神秘的で、そして何よりも「神」らしいやり方はないか。

 彼の思考は、人間という生き物の、最も無防備で、そして最も不可思議な領域へと行き着いた。

 ――夢。

 そうだ、夢の中に現れ、「啓示」としてスキルを授ける。これならば、彼の正体が露見する心配はない。受け取った側も、それが神からの贈り物だと信じるかもしれない。それは、彼のちっぽけな自尊心をくすぐり、実験をより面白くするスパイスにもなるだろう。


(対象の夢に干渉し、スキルを『天啓』として授けるスキル……)


 概念は定まった。彼の脳内で、新たなシステムが構築されていく。


▶ 要求概念:『夢への介入及びスキル付与』

▶ 機能分析:対象の夢への侵入、夢内世界の再構築、アバターによる顕現、対象へのスキル譲渡。

▶ スキル生成を開始します。

『スキルを作成しました:【夢幻干渉・天啓付与(ドリーム・インターフェア)】ランク:EX』


 これで、観測者たる彼が、初めて被験者と「接触」する手段が確立された。

 そして、最後のピース。究極の保険。

 彼は、自らの死を想像した。万が一、彼の防御スキルを貫通するような、未知の攻撃が存在したら? あるいは、彼が作り出したスキルが暴走し、彼自身を蝕んだら? 可能性は限りなくゼロに近い。だが、ゼロではない。その僅かな可能性すら、彼にとっては許容しがたいリスクだった。

 あるいは、もっと単純な話。

 実験の結果が、彼の気に入らないものだったら? 世界が、彼の興味を惹かない、退屈な形で安定してしまったら?

 彼は、全てを「やり直せる」権利を欲した。ゲームで言うところの、セーブとロード。それも、究極の安全性を備えたものを。


(世界の状態を、指定した一点に記録する。そして、もしもの時は、その時点まで世界そのものを巻き戻す)


 それだけではない。彼は、より完璧な安全装置を考案した。それは、彼が意識的に発動させるだけでなく、彼自身に何かがあった場合に「自動で」発動する仕組み。いわゆる、デッドマン装置だ。


(俺が、一日一回、このスキルに対して『更新』の意志を送る。もし、二十四時間以上更新が途絶えた場合――俺が死んだか、行動不能になったと判断し、自動で世界をセーブポイントまで巻き戻す。よし、これでいこう)


 あまりに自己中心的で、傲慢な発想。だが、今の彼にとっては当然の権利だった。


▶ 要求概念:『世界の記録・復元及び自動復旧機能』

▶ 機能分析:指定時点での世界情報(因果、物理法則、全生命体情報を含む)の完全記録。手動及び自動(トリガー:術者の安否確認信号の途絶)による世界復元。

▶ 警告:当スキルの生成は、膨大な概念エネルギーを消費します。

『スキルを作成しました:【世界基点回帰(ワールド・リロード)】ランク:EX』


 スキルが生まれた瞬間、零は僅かな疲労感を覚えた。神の力をもってしても、世界そのものをセーブするという行為は、相応のコストを支払うらしい。だが、得られた安心感は、その比ではなかった。

彼は、早速《世界基点回帰》を発動させた。

「セーブポイントを設定。現在時刻、2025年8月7日、午前9時46分」

 彼の意志に呼応し、スキルが起動する。彼の魂とでも言うべき領域に、この瞬間の全世界のあらゆる情報が、バックアップデータとして完璧に記録された。

 そして彼は、自らに一つの日課を課した。「毎日、このスキルを更新する」と。


「……これで安心だな。もしも死んでも、巻き戻せる」


 もちろん、巻き戻った場合、その間の記憶を保持するのは彼だけだ。そのための設定も、既にスキルに組み込んである。

 彼は、絶対的な安全圏を手に入れた。何をしても、どんな失敗をしても、全てを「なかったこと」にできる。これ以上ない、完璧な遊戯盤。

 さあ、駒を動かそう。


「そして、記念すべきスキルを上げる一号を、決めようか」


 誰に、最初のスキルを与えるか。

 彼は少しの間、考えた。有名人? 政治家? アスリート?

 いや、駄目だ。そういう特殊な人間は、初期の実験データとしてはノイズが多すぎる。もっと、ありふれた、平凡な人間がいい。社会の歯車として、ただ毎日を繰り返しているだけの、かつての自分のような人間。そういう人間が、力を与えられた時、どう変わるのか。それが見たい。

彼は《電子世界の神》の力を行使した。彼の意識は、物理的な肉体を離れ、光の速さで情報網の海へとダイブする。

 東京。世界で最も人口密度の高い都市の一つ。その全ての監視カメラ、スマートフォン、ドライブレコーダーの映像が、彼の知覚下に流れ込んでくる。何百万、何千万という人々の営み。その全てが、彼にとってはリアルタイムで観測可能なデータに過ぎなかった。

 彼は、山手線の車内カメラの映像に意識をフォーカスした。朝のラッシュが僅かに和らいだ時間帯。それでも、車内は多くの人々で埋まっている。スマホを眺める者、本を読む者、音楽を聴く者。そして――。


(……うーん。居眠りしてる、適当な東京の学生で良いかな)


 彼の目に留まったのは、一人の男子学生だった。高校生だろうか。窓に頭をもたせかけ、口を半開きにして、気持ちよさそうに眠っている。その無防備で、何の変哲もない姿が、零の興味を引いた。

 君に決めた。記念すべき、被験者第一号だ。

 零は、その学生の意識に、そっとマーキングを行った。そして、《夢幻干渉・天啓付与》を発動させる。


     ◇


 ガタン、ゴトン。

 規則的な揺れと、耳障りな走行音。それが、男子学生の世界の全てだった。昨夜、遅くまでゲームをしていたせいで、猛烈な眠気が彼を襲っていた。次の駅で降りなければならないのに、瞼は鉛のように重い。

 だが、ふと、その音が遠のいていくのに気づいた。揺れも、人々のざわめきも、全てが潮が引くように消えていく。

 あれ、と彼が思った瞬間、世界は、暗転した。


 次に目を開けた時、彼は、見知らぬ場所に立っていた。

 そこは、床も、壁も、天井もない、無限の空間だった。足元には、磨き上げられた黒曜石のような床がどこまでも続いているが、その床自体が、満天の星空が広がる宇宙空間に、ぽつんと浮いているようだった。上下左右の感覚が曖昧で、恐ろしいほどの静寂が支配していた。


「……どこだ、ここ?」


 夢だ。彼はすぐにそう理解した。だが、それはいつものような、脈絡のない曖昧な夢とは明らかに違っていた。あまりに、鮮明すぎる。

 彼が混乱していると、その空間の奥、星々の輝きを背にして、一つの人影がゆっくりと浮かび上がってきた。


「――目覚めなさい、眠れる子羊よ」


 声が、空間全体から響き渡るようだった。男の声か、女の声か、それすらも判然としない、不思議な響きを持っていた。

 人影は、フードの付いたローブをまとっており、その顔は深い影に覆われていて見えない。だが、その姿からは、人間にはない、超越的な存在のオーラが放たれていた。

 零が、この邂逅のために作り上げたアバター、『スキル神』だった。


 学生は、腰を抜かさんばかりに驚き、後ずさった。

「な、誰だ、あんた!」

「我が名は、スキル神。人に天啓を、世界に理を授ける者」

「すきる……がみ?」

「いかにも」


 スキル神――零は、芝居がかった口調でそう名乗った。なかなか、様になっているのではないか、と彼は一人、悦に入っていた。

 目の前の学生の反応が、面白い。恐怖、混乱、好奇心。それらが混ざり合った、実に人間らしい表情。データとして、非常に興味深い。

 さて、そろそろ本題に入るか。

 零は、現実世界の時間を、完全に停止させた。彼のマンションの窓から見える景色が、ぴたりと動きを止める。これで、心置きなく最初の「神託」を執り行える。


 スキル神は、学生に向かって厳かに告げた。

「朝の電車で眠る学生よ。汝の魂に、僅かながら輝きを見た。故に、我が汝に、一つの機会を与えようと思っての」

「き、機会……?」

「うむ。汝に、スキルを与えたい」

「……は?」

「聞こえなかったかな? スキルを、与える、と言ったのだ」


 学生は、呆気に取られて口をあんぐりと開けている。その反応もまた、零にとっては愉快だった。


「さあ、選ぶがよい。どんなスキルが良いかな? 汝の望みを、言うてみよ」


 スキル神がそう問いかけると、学生は我に返り、しかし、さらなる混乱の渦に叩き込まれた。

「え、えーと……の、望みって言われても……」

 突然、神を名乗る謎の存在に、何でも願いを叶えてやると言われたのだ。すぐに答えられるはずもなかった。空を飛ぶ力? 大金持ちになる力? それとも、好きなあの子の心を射止める力? 無数の欲望が、彼の頭の中を駆け巡っては、現実感のなさにかき消されていく。


 その様子を、スキル神は満足げに眺めていた。

「うむ、うむ。いくらでも悩むと良い」


 そして、決定的な一言を告げる。


「現実世界の時間は、我が止めておいた。故に、汝が答えを出すまで、ここでは無限の時間が流れる。さあ、心ゆくまで悩むが良いぞ、人間の子よ」


 その言葉は、学生にとっては、途方もない猶予と、そして途方もないプレッシャーとなった。

 無限の時間を与えられた、たった一つの選択。

 空木零の、神としての最初の遊戯が、静かに、そして確かに始まった瞬間だった。

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