第19話 世界が真実を知る日
総理大臣官邸記者会見室。
その場所は、異様な熱気と嵐の前の静けさが、矛盾したまま同居する、特殊な空間と化していた。
数時間前に、各報道機関に対して突如として通達された、『内閣総理大臣による国民の皆様への重要なお知らせに関する緊急記者会見』。
そのあまりに物々しい告知に、永田町は激震した。いったい何が起きるのか。北朝鮮によるミサイル発射か、大規模な金融危機か、あるいは総理の突然の辞任表明か。
あらゆる憶測が、情報という名の海を、津波のように駆け巡った。
会見室を埋め尽くした何百人という記者たちの顔には、期待と不安、そして歴史的瞬間を前にしたジャーナリストとしての興奮が、浮かんでいた。
会見室に隣接する控え室。
高坂総理は、硬い表情で、鏡に映る自分の姿を見つめていた。隣には、官房長官と、そしてこの会見の事実上の脚本家である、黒田の姿があった。
「……本当に、よろしいのですな、総理」
官房長官が、最後の確認のように尋ねる。その声は、かすかに震えていた。
「我々は、パンドラの箱を開けることになる」
「ああ、分かっている」
高坂は、静かに頷いた。
「だが、もう箱には亀裂が入ってしまっている。我々が開けなくとも、いずれ中身は溢れ出してくる。ならば、我々の手で、覚悟を持って開けるしかない」
彼は、黒田の方を向いた。
「黒田君。君が、この国の、そして世界の歴史の証人となる。……準備は、いいな」
「……はっ。いつでも」
黒田は、深く頭を下げた。彼の心臓は、まるで警鐘のように、激しく鼓動していた。
これから自分たちが世界に解き放とうとしている「真実」。
それは、もはや後戻りの出来ない、人類という種の新たな一歩だった。
午後3時、定刻。
高坂総理は、官房長官を伴い、無数のフラッシュが焚かれる会見室の演台へと、その一歩を踏み出した。
テレビカメラの赤いランプが、一斉に灯る。
日本中の、いや、世界中の人々が、固唾を飲んでその瞬間を見守っていた。
高坂はマイクの前に立つと、一度深く息を吸い込んだ。そして、用意された原稿には一切目を落とすことなく、カメラのその向こう側にいる一億二千万の国民に向かって、直接語りかけ始めた。
「……国民の皆様。本日はお忙しい中、こうして私の話に耳を傾けていただくことに、感謝いたします。……本日、私が皆様にお伝えしなければならないことは、我が国が、そして全世界が、今、直面している未曾有の危機についてです」
その重々しい切り出しに、記者たちの間に緊張が走る。
「皆様も、ここ最近、国内外で発生している不可解な事件の数々を、報道で目にしていることと思います。新宿で警察の部隊を一人で壊滅させた暴力団員、その怪物をさらに不可解な力で制圧した謎の少年、アメリカで発生した大規模な刑務所からの脱走事件。……それらは、全て関連しています。そして、もはや我々が隠し通すことのできない、厳然たる事実です」
彼は、一度言葉を切った。
そして、歴史を永遠に変えることになる、その一言を告げた。
「――現在、我々の世界に、科学では説明のできない特殊な能力を持つ人間たちが、出現し始めています。……政府は、これらの人々を、仮に『アルター』と呼称します」
その瞬間、会見室は爆発した。
怒号、閃光、シャッター音。記者たちが、一斉に叫び、立ち上がる。
「総理、それはどういうことですか!」
「超能力者がいると、言うのですか!」
「静粛に! 静粛に!」
官房長官が、必死に場を収めようとする。
高坂は、その喧騒を、手のひらで制した。そして、さらに衝撃的な事実を語り始めた。
「……そして、これらのアルターには、二つの種類が存在します。一つは、その力を自らの欲望のために悪用し、社会に混乱をもたらす『悪のアルター』。そしてもう一つは、その力を人々を守るために使おうとする、『善のアルター』です」
彼は、モニターにいくつかの証拠映像を映し出した。
それは、超常事態対策室が極秘裏に収集した、悪のアルターたちの犯行の記録だった。
紙幣複写によって、偽札が生み出される決定的瞬間。
軽度の透明化によって、誰もいないはずの部屋の機密書類が、宙に浮き上がる不気味な映像。
「悪のアルターたちは、既に、我々の社会の水面下で、その悪意ある活動を開始しています。彼らの目的は、金や名誉、そして何よりも、我々が築き上げてきたこの平和な社会の秩序を、破壊することです」
会見室は、静まり返っていた。
誰もが、そのおぞましい真実に、言葉を失っていた。
そして高坂は、最後の、そして最も信じがたい核心部分へと、踏み込んでいく。
「……皆様は、疑問に思うでしょう。では、これらのスキル、能力は、一体どこから来たのかと。……我々が掴んだ情報によれば……これらの力は、我々人類を遥かに超越した、二つの存在によって与えられている、とのことです」
神。
その非科学的な単語が、一国の総理大臣の口から、発せられようとしていた。
「一つは、善なる者に力を与え、我々人類を守護しようとする存在。……我々は、敬意を込めて、彼を『スキル神』と呼びます。先日、鬼神を打ち破った神崎勇気君も、このスキル神によって選ばれた、希望の一人です」
「そしてもう一つ。悪意ある者たちを選び、世界に混沌をもたらそうとする邪悪なる存在……『邪神』です。アメリカでテロ組織を率いているケイン・コールドウェルも、この邪神によって生み出された、最悪の使徒です」
神々の代理戦争。
そのあまりに壮大で、あまりに荒唐無稽な「真実」が、今、公式に、全世界へと公表された。
高坂は、その衝撃的な告白を、力強い決意の言葉で締めくくった。
「……国民の皆様。我々の平穏な日常は、終わりを告げました。我々は今、神話の時代に匹敵する、大きな変化の渦中にいます。……ですが、絶望してはなりません。我々の中にも、希望はあります。政府は、超常事態対策室の権限を強化し、善のアルターたちと連携し、この国難に立ち向かう覚悟です。……どうか、国民の皆様も、冷静に、そして強い意志を持って、この新しい時代を、共に歩んでいただきたい。我々は、決してこの見えざる脅威に、屈しません」
会見が終わる。
世界は、永遠に変わった。
テレビの前で、人々は呆然と立ち尽くした。
ネットの掲示板は、天と地がひっくり返ったような、お祭り騒ぎとなった。
各国の首脳たちは、日本のこの出し抜くような情報公開に驚愕し、そして自国も追随すべきか否か、究極の選択を迫られた。
政府の保護施設にいた神崎勇気は、自分が日本の希望として公に紹介されたことに戸惑い、そしてそのあまりに重い使命に、唇を噛み締めた。
そして。
全ての元凶、空木 零は、自室で、その歴史的な記者会見の一部始終を、実に楽しそうに見ていた。
「……うん。高坂総理、なかなか良いスピーチだったじゃないか。演技指導した甲斐があったな」
彼は、まるで自分が監督した映画の完成披露試写会を見ているかのようだった。
彼が紡いだ壮大な「嘘」。
善と悪の神々の戦い。
その偽りの物語が、今や全世界の公式見解、「カノン」となったのだ。
「さて……」
彼は、満足げに伸びをした。
「これで、役者も観客も、みんな同じ舞台に上がったわけだ。……ここからが、本番だな」
空木零は、楽しそうに笑った。
彼の退屈を癒やすための壮大な遊戯は、今まさに、その第二幕の幕を開けようとしていた。




