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第18話 国家という名の船、嵐の海へ

 本来であれば、多くの国民が穏やかな週末の昼下がりを過ごしているはずの時間。しかし、総理大臣官邸の地下大ホールに、週末の安らぎなど微塵も存在しなかった。

 そこに集っていたのは、この国の事実上の最高意思決定機関。

 高坂総理大臣を議長とし、全閣僚、そして超常事態対策室室長である黒田をはじめとする、各省庁の事務方トップ。彼らは巨大な円卓を囲み、まるでこれから始まる第三次世界大戦の戦略を練るかのように、一様に硬い表情を浮かべていた。

 部屋の空気は、鉛のように重かった。

 議題は、ただ一つ。

『特殊技能保持者――アルターの存在を、国民に公表すべきか否か』。


 会議が始まって、既に二時間が経過していた。

 対策室の室長として末席に座る黒田は、苛立ちと、そして深い絶望にも似た無力感を感じていた。

 彼の目の前のモニターには、世界中からリアルタイムで寄せられる最新の「アルター」関連情報が、絶え間なく表示されている。

 アメリカでは、終末の使徒アポストル・オブ・ジ・エンドを名乗るケイン・コールドウェル率いるテロ組織が、州兵の防衛線を突破し、ユタ州の一部を事実上の支配下に置いたと。

 ヨーロッパでは、ローマのバチカンで、癒やしの手(ヒーリング・ハンド)を持つとされる謎の修道女が奇跡を行い、新たな「聖女」として、熱狂的な信者を集め始めていると。

 そして、日本国内でも、悪のアルターたちの暗躍は、日に日にその深刻度を増していた。

 紙幣複写(ペーパーコピー)のスキルを持つ者たちの活動は、今や個人の小遣い稼ぎのレベルを、完全に逸脱していた。彼らはSNSの闇ルートを通じて徒党を組み始め、地方の金融機関をターゲットに、計画的な経済攻撃を仕掛けてきている。その結果、いくつかの信用金庫では、取り付け騒ぎ寸前のパニックが発生していた。

 さらに厄介なのは、物理的な被害を伴わない、サイバー空間でのアルター犯罪だった。

 情報汚染インフォ・ポリューション

 ランクEの、ささやかな精神干渉系スキル。それは、ネット上にフェイクニュースや陰謀論を、あたかも真実であるかのように拡散させる能力。その能力者が今、複数、日本国内で暗躍しているのだ。「アルターは政府が秘密裏に開発した生物兵器である」だの、「某国が日本を支配するために超能力者を送り込んでいる」だの。そういった悪意に満ちたデマが、人々の不安を煽り、社会に不信と分断の種を蒔き散らしていた。


 黒田は、知っていた。

 派手な戦闘能力を持つ鬼頭やケインのような存在も、もちろん脅威だ。だが、本当にこの社会という複雑で脆いシステムを、内側から腐らせ崩壊させるのは、こういった目に見えない静かなる「悪意」なのだと。

 だからこそ、彼はこの会議で、「限定的な情報公開」の必要性を訴えていた。

 だが、会議は怒号が飛び交う、醜い泥仕合と化していた。


「――公表など論外だ! 時期尚早というレベルの話ではない!」


 そう叫んだのは、財務大臣だった。彼は禿げ上がった頭に青筋を立て、顔を真っ赤にして、反対意見を述べていた。


「考えてもみろ! 国民が超能力者の存在を知ったらどうなる! パニックだ! 間違いなく、未曾有の社会パニックが起きる! 株価は暴落し、円の価値は地に落ちる! 日本経済は、一夜にして崩壊するぞ!」

「その通りだ!」

 官房長官が、それに同調する。

「我々が今、何よりも優先すべきは、国民生活の平穏の維持だ。コントロールできない情報を世に放つなど、自殺行為に等しい。マスコミがどう報道するか、人々がどう反応するか、誰にも予測できんのだぞ!」


「では、このまま真実を隠し続けろと、おっしゃるのか!」


 今度は、防衛大臣が机を叩いて反論した。


「アメリカの惨状を見ろ! あれはもはや犯罪ではない、戦争だ! 我が国で、第二、第三の鬼頭が現れないと、誰が保証できる? その時になって、国民に『実は超能力者がいました』と説明するのか! 政府への信頼は、完全に失墜するぞ!」

「だからこそ、水面下で対策を進めているのだろうが!」

「水面下の対策だけで、本当に対応できるのかね!? あの鬼神(きじん)を止めたのは、我々ではない! 神崎(かんざき)勇気という、たった一人の謎の少年だった! 我々は、彼のような『善』のアルターに、ただ祈ることしかできんのか!」


 荒れる会議。

 誰もが、自らの省庁の利益と、自らの信じる「正義」を叫んでいる。

 高坂総理は、その光景を、硬い表情のまま、じっと見つめていた。

 そして、彼はこれまで沈黙を守っていた黒田に、その視線を向けた。


「……黒田室長、君の意見を聞かせてくれ」


 その一言で、室内の全ての視線が、黒田一人に集中した。

 黒田は、静かに立ち上がった。そして、集まった日本のトップたちを一人一人見回した後、重々しく口を開いた。


「……皆様が懸念されているパニックのリスク、それは私も重々承知しております。ですが……」


 彼は、一度言葉を切った。


「……ですが、我々が本当に恐れるべきは、目に見えるパニックではありません。我々が本当に恐れるべきは、水面下で静かに、そして確実に、この社会の土台そのものを蝕んでいる、『見えざる脅威』です」


 黒田は、自らのタブレット端末を操作し、会議室の巨大なモニターに、いくつかのデータを映し出した。


「これは、ここ数日で急増している、SNS上の特定の陰謀論に関する拡散データ。これは、いくつかの地方銀行で観測されている、不自然な電子データの改竄の痕跡。そしてこれは、某大手電機メーカーから極秘裏に盗み出された、次世代半導体の設計図に関する情報漏洩の記録です」


 彼は、続けた。

「いずれも、従来のサイバー攻撃とは全く手口が異なります。まるで内部に幽霊でもいるかのように、物理的な痕跡を一切残さない。……我々は、既に、見えない敵によって、経済も、情報も、そして人心すらも、攻撃され始めているのです」

「……それが、アルターの仕業だと言うのかね」

「断定はできません。ですが、その可能性が極めて高い。皆様が、鬼頭やケインのような分かりやすい『暴力』に目を奪われている間に、敵は我々の足元を、静かに崩しにかかっているのです」

「……」

「このまま国民に何も知らせず、隠し続ければどうなるか。我々は、見えない敵と暗闇の中で戦い続けることになる。国民は、何が起きているのか何も知らぬまま、じわじわと社会が崩壊していくのを、ただ甘受するしかない。そして、いつか隠しきれない決定的な破局が訪れた時、その時のパニックこそ、本当にこの国を終わらせるでしょう」


 黒田の、魂の叫びだった。


「……情報を、限定的にでも公開すべきです。国民に、『こういう新しい脅威が存在する』という最低限の知識と心構えを持ってもらう。そして、協力を仰ぐのです。不審な人物、不可解な現象。国民一人一人が、この国の監視の目となる。我々は、もはや国民を、守られるだけのか弱い存在として扱うべきではない。共にこの新しい時代を戦うパートナーとして、信頼すべきです」


 その力強い演説に、あれほど騒がしかった会議室が、水を打ったように静まり返った。

 誰もが、黒田の言葉のその重みを、理解したからだ。

 高坂総理は、しばらくの間、目を閉じ瞑想していた。

 そして、ゆっくりとその瞼を開いた。


「……黒田君の意見を、支持する」


 その鶴の一声に、財務大臣たちが息を飲んだ。


「……し、しかし総理! パニックのリスクは!」

「覚悟の上だ」


 総理は、きっぱりと言った。


「我々は、未知の海に乗り出してしまったのだ。嵐が来るのが分かっているのに、船室に閉じこもって、乗客に『大丈夫だ、穏やかな航海だ』と嘘をつき続けることはできん。……船長として、嵐が来ることを正直に伝え、そして全員で備える。それしか、この船が沈まないようにする術はない」

「……」

「ただし、黒田君。公表の時期と方法については、細心の注意を払う。いきなり全てをぶちまけるのではない。段階的に、国民が受け入れられる形で、情報をコントロールしていく。……その具体的なロードマップの作成を、対策室に一任する。君に、全権を与えよう」


 それは、事実上の決定だった。

 日本は、アルターの存在を世界に公表する。その歴史的な一歩を、踏み出すことを決断したのだ。

 黒田は、深く頭を下げた。

 その肩に、この国の未来が、重くのしかかっていた。

 会議が終わる。

 閣僚たちが、まだ納得のいかない顔で、部屋を後にしていく。

 黒田は一人、その場に残り、巨大なモニターに映し出された混沌の世界地図を、見つめていた。

 彼の脳裏には、あの自らを「スキル神」と名乗った超越的な存在の言葉が、蘇っていた。

『この世界が破滅しても、何らおかしくはない』。

 我々は、神々の掌の上で踊らされているだけなのかもしれない。

 だが、それでも。

 人間には、人間の意地と誇りがある。

 彼は、固く拳を握りしめた。

 戦いは、まだ始まったばかりだ。

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