第11話 邂逅する鬼神と器
空木 零は、満足していた。
彼の城――都内の安アパートの一室。その壁一面を埋め尽くす、巨大なマルチモニター。そこに映し出されているのは、地獄そのものだった。
炎と黒煙を上げる、霞が関のビル群。紙くずのように散乱する、パトカーや装甲車両の残骸。そして、その中心に、まるで魔王のように君臨し、咆哮を上げる、一人の男。
鬼頭 丈二。
彼が、ほんの気まぐれで生み出した、Aランクの「怪物」。
その怪物は、彼の期待を遥かに超える、素晴らしい働きを見せてくれていた。日本の国家権力の中枢を、たった一人で、完膚なきまでに叩き潰したのだ。その光景は、日本全国、いや、提携する各国の衛星回線を通じて、全世界に生中継されていた。
恐怖が、伝播していく。
人々の恐怖を喰らい、金剛力・不壊のスキルは、その特性畏怖収集・自己強化によって、留まることなく強化されていく。Aランクだったスキルは、今やSランクに片足を突っ込むほどの、凄まじいエネルギーを放っていた。
「うんうん、良いじゃん、良いじゃん。実に素晴らしいデータだ」
零は、カップ麺を啜りながら、実に楽しそうに呟いた。
この絶望的な状況に、日本政府がどう対応するのか。あるいは、アメリカが、自国の特殊部隊の投入を申し出てくるのか。どちらに転んでも、面白い展開が待っている。
彼の実験は、大成功だった。
そう、彼が、モニターの片隅に、ある「ノイズ」を認識するまでは。
それは、現場から逃げ惑う人々の流れとは、明らかに逆行する、一つの人影だった。
野次馬ではない。警察関係者でも、マスコミでもない。
ただ、まっすぐに、躊躇なく、地獄の中心――鬼頭がいる場所へと、歩を進めている。
零は、その人影に、すっと意識をフォーカスさせた。
そして、その顔を認識した瞬間、彼は、思わず、食べていたカップ麺を吹き出しそうになった。
「――えっ、マジで? ここで、そう来るか、少年」
そこにいたのは、彼がほんの数日前に、最初の「奇跡」を与えた、あの男子学生だったからだ。
被験者第一号。SS級スキル万能者の器の所有者。
零は、彼の行動を、もちろん把握していた。彼が自宅で、テレビ中継を見ていたことも。そして、何かを決意したように、家を飛び出してきたことも。
だが、まさか、このタイミングで、真正面から鬼頭に接触しようとするとは、さすがに予測していなかった。
神の気まぐれが生んだ、二つの駒。
「無限の可能性」と、「絶対的な暴力」。
それが今、何の演出も、何のシナリオもなく、互いの意志だけで、邂逅しようとしていた。
零は、カップ麺を置いた。
そして、モニターの前に、身を乗り出した。
これは、予定外の、最高のイベントだ。
◇
瓦礫と硝煙の匂いが、鼻を突く。
神崎 勇気は、地獄と化した霞が関の路上に、ただ一人、立っていた。
数分前まで、彼は、自室のテレビで、この光景を見ていた。鬼と呼ばれる男が、街を破壊し、人々を恐怖に陥れる様を。誰も、彼を止められない。警察も、自衛隊も、ただ蹂躙されていくだけ。
その光景を見ながら、彼は、自分の中に宿った、あの規格外の力を、感じていた。
万能者の器。
あの日以来、彼は、その力の扱いに、悩み、そして試行錯誤を繰り返していた。
彼のスキルは、最初は空っぽだった。だが、テレビやネットのニュースを通じて、世界中で起こり始めた「奇跡」――スキルの発現を、彼は遠くから「見て」いた。
ブラジルの奥地で、植物を急成長させる少年。パリの街角で、誰にも気づかれずスリを働く、透明な怪人。彼は、それらの力を、不完全ながらも、自分の「器」にコピーしていたのだ。
だが、そのどれもが、使い道のない、ちっぽけな力だった。
しかし、今、目の前で暴れ回る、あの男の力は、違う。
あれは、本物の「力」だ。そして、彼は、今、この瞬間も、テレビ中継を通して、その力を、自分の器に注ぎ込んでいるのを感じていた。
金剛力・不壊。
自分なら、あれを、使える。
行かなければならない。
それは、正義感からか、義務感からか、あるいは、ただの好奇心からか。彼自身にも、分からなかった。だが、気づいた時には、家を飛び出していた。
勇気は、破壊の化身――鬼頭と、真っ直ぐに向き合った。
鬼頭は、瓦礫の山の上に立ち、自分の勝利に酔いしれていた。だが、自分に向かってくる、小さな人影に気づくと、不快そうに顔を顰めた。
「おい。その辺にしておけ」
勇気は、静かに、しかし、よく通る声で言った。
その言葉に、鬼頭は、心底可笑しそうに、腹を抱えて笑い出した。
「ハッハッハ! なんだ、テメエは。ヒーローごっこか? 小僧」
「……」
「おいおい、死にたいのか、小僧。相手にならんから、ママの所にでも帰りな」
鬼頭は、まるで虫けらでも払うかのように、手をひらひらと振った。
だが、勇気は、それを無視した。
彼は、深く、息を吸い込む。そして、自らの器に満たされた、新しい力を、解放した。
金剛力・不壊、発動。
彼の身体が、内側から、鋼鉄のそれに作り変えられていくような、全能感が全身を駆け巡る。
次の瞬間、勇気の姿が、その場から消えた。
いや、消えたのではない。常人には認識できないほどの、高速で、鬼頭の懐へと踏み込んでいた。
ドゴォッ!!
凄まじい衝撃音。
勇気の叩きつけた拳が、油断しきっていた鬼頭の脇腹に、クリーンヒットした。
鬼頭の巨体が、まるでボールのように、くの字に折れ曲がり、数メートル後方のビルの壁に、叩きつけられた。壁に、巨大な亀裂が走る。
一瞬の静寂。
遠巻きに見ていた警察関係者も、テレビの前の視聴者も、そして、何より、鬼頭自身が、目の前で起きたことを、理解できずにいた。
「……ぐ……ぅ……」
瓦礫の中から、ゆっくりと身を起こした鬼頭は、信じられない、という目で、勇気を見つめた。
「……てめえ……今、何をしやがった……?」
その問いに、勇気は、少しだけ、申し訳なさそうな顔で答えた。
「悪いな、ヤクザ野郎。既にお前のスキルは、コピーさせてもらった」
「な……」
「テレビ越しでも、コピー出来るからな、俺のスキル。便利だろ?」
勇気は、続けた。
「海外の奇跡とかは、使い道がなかったけど……アンタのは、使えそうだ」
「――何……だと……?」
鬼頭の顔から、余裕の笑みが、完全に消え失せた。
自分の、唯一無二であるはずの力が、目の前の小僧に、盗まれた?
あり得ない。理解できない。
だが、先ほど受けた一撃の、その重みが、彼の言葉が真実であることを、何よりも雄弁に物語っていた。
理解不能な事態への恐怖と、自らの神性を汚されたことへの、凄まじい屈辱。その二つが、鬼頭の中で、黒い怒りの炎となって、燃え上がった。
「……おもしれぇ……勝負だ、ガキィッ!!」
鬼頭は、獣のような咆哮を上げながら、勇気へと突進した。
規格外の「暴力」と、規格外の「器」。
二つの、あってはならない力が、今、東京のど真ん中で、激突した。
凄まじい殴り合い。
一撃一撃が、空気を震わせ、地面を砕く。その衝撃波だけで、周囲のビルのガラスが、次々と砕け散っていく。
二人の姿は、もはや、ただの残像と化していた。常人には、何が起きているのか、全く分からない。ただ、隕石が連続で落下しているかのような、破壊の音だけが、響き渡っていた。
最初は、互角だった。
同じスキル、同じパワー。だが、戦いが長引くにつれ、徐々に、そのバランスが崩れ始める。
押しているのは、鬼頭の方だった。
「ぐっ……!」
勇気は、鬼頭の重い一撃を腕で受け止め、数メートル後方まで吹き飛ばされる。
戦闘経験の差。それが、如実に出始めていた。
勇気の動きは、まだ、力を振り回しているだけの大振りだ。だが、鬼頭は、長年の喧嘩と抗争で培った、暴力のプロフェッショナル。相手の急所を的確に狙い、力の乗せ方、タイミング、その全てが、洗練されている。
彼は、恐怖を喰らって強化された、自らの力に、完全に順応し始めていた。
「おいおい、口だけだったみたいだなァ? だんだん、慣れてきたぜ?」
鬼頭が、余裕の笑みを取り戻し、勇気を嘲笑う。
事実、勇気は、防戦一方になり始めていた。このままでは、ジリ貧だ。
.(……ヤバいな。このままじゃ、押し切られる……!)
勇気は、鬼頭の猛攻を必死に凌ぎながら、打開策を思考する。
ただ殴り合うだけでは、勝てない。何か、別の手を。
彼の脳裏に、これまでにコピーしてきた、ガラクタのようなスキルたちが、高速でフラッシュバックする。
猫と話す力。スリをする力。そして――ブラジルの少年が使っていた、植物を成長させる力。
これだ。
「うーん……じゃあ、こういうのは、どうだ?」
勇気は、追い詰められているはずなのに、不敵に笑ってみせた。
「殴り合いしながらだけど……布石は、既にあるぜ?」
「あ? 何を言ってやがる」
鬼頭が、訝しんだ、その瞬間だった。
勇気は、叫んだ。
それは、彼がブラジルの少年からコピーした、ランクFのスキル、植物育成。それを、万能者の器の莫大なエネルギーで、強制的に、限界を超えて強化させる。
「――開花樹木となって、そのヤクザを、拘束しろッ!!」
その命令に応え、異変は、鬼頭の足元から、起きた。
ゴゴゴゴゴ……!
固いアスファルトが、内側からの生命力によって、メキメキと、音を立てて砕け散る。そして、その亀裂から、何本もの、巨大な樹木が、凄まじい勢いで、天に向かって伸びてきたのだ。
それは、ただの木ではない。鋼鉄のように硬く、大蛇のようにしなやかな、異形の樹木。
その枝が、鞭のようにしなり、鬼頭の身体に、四方八方から巻き付いていく。
「なっ……何だと!? ばかな!」
鬼頭は、自慢の剛力で、その枝を引きちぎろうとする。だが、枝は、ちぎられても、ちぎられても、瞬時に再生し、さらに強く、さらに太く、彼の身体を締め上げていく。
やがて、幾重にも巻き付いた樹木は、鬼頭の全身を、巨大な繭のように、完全に覆い尽くしてしまった。
身動き一つ、取れない。
鬼神は、生命の牢獄に、完全に拘束された。
「ふぅー……しんどかった……」
勇気は、その場に、へたり込んだ。全身、傷だらけだ。
「……植物を成長させる能力を、俺のスキルで強化しなきゃ、負けてたな……」
彼は、ぜえぜえと息を切らしながら、拘束された鬼頭を見上げた。
そして、まだ遠巻きに、こちらを呆然と見ているだけの、警察官たちに向かって、精一杯の声を張り上げた。
「――警察の皆さん! 終わったので、来てくださーい!」
その声は、マイクを通して、そして、テレビを通して、日本中に響き渡った。
怪物を倒した、謎の少年の、高らかな、勝利宣言だった。