第4話 人間なんて信じない
火はつけない。
音を立てるな。
深く眠るな。
その三つが、この世界で“俺”が生き延びるための鉄則になった。
森の奥。獣道の先の湿地帯。
ユウト・ミカヅキは、泥にまみれたマントを背に、ただじっと木陰に座っていた。
血のついた黒刀《朧月》が、膝の上で冷たく光っている。
三日前、王国の騎士を斬った。
妊婦を助けたというだけで、俺は、犯罪者の【指名手配犯】にされた。
それからというもの、町にも入れず、誰も信じられず、金も食い物も手に入らない。
(何が秩序だ……くだらねぇ)
掲示板に貼られた手配書には、こう書かれている。
【指名手配通達】
名:ミカヅキ・ユウト
罪状:王国騎士殺害、王命への反抗、王都秩序の撹乱
賞金:金貨3,000枚
“生死問わず”
金貨3,000枚。(結構 いい金額だな)
それは、冒険者なら一生暮らしていける額。
その金に釣られた人間たちが、毎晩のように俺を狙ってくる。
この三日間だけでも
“炎を操る女魔導士” 肉の焼く匂いで俺を誘い出した。
“双剣の傭兵兄妹” 弱者のふりをして助けを乞い、俺の寝込みを襲った。
“女冒険者アイラ《ブラッドファング》”の小隊 森の罠と弓矢で包囲してきた。
だが
誰も、俺の黒剣から逃れることはできなかった。
血は、もう数え切れないほど浴びた。
斬っても、斬っても、次が来る。
まるで、“人間”というものすべてが敵のように、俺を追いかけてくる。
(人間なんて、信じるんじゃなかった)
かつて、優しくしてくれた老婆は毒を盛った。
子供を助けたら、夜に盗賊を呼ばれた。
飯を分けてくれた旅人は、寝ている俺の喉に刃をあてていた。
俺が“人間らしく”しようとするたび、人間は牙を剥いた。
ガサリ、と草むらが揺れる。
また来た。
気配は三つ全員、武器を携えている。
「……ここだな、指名手配のユウトは」
「金貨三千枚……やっぱ高額賞金首は緊張するぜ」
三人とも、黒装束。
顔に化粧すら施した女戦士、片目に眼帯をした大男、そして矢筒を背負った金髪の少年。
ユウトはため息すらつかず、ただ立ち上がった。
「どうぞ、お好きに」
「斬られに来たか?」
「……いや、“人間”に、またがっかりしに来ただけだ」
次の瞬間。
“ザシュッ!”
眼帯の男が気づいたときには、喉元に《朧月》が埋まっていた。
また影から放たれた一閃《影閃》。
反応は一人もできなかった。
二人目、三人目も刹那で終わる。
静寂が戻った森。
ユウトはまた膝を折った。
(ものすごく眠い……けれど、寝れば死ぬ。殺される。)
腹が鳴る。
喉が渇く。
足の裏は裂け、皮膚は乾いている。
それでも、人を信じるよりはマシだった。
そのときだった。
「……お見事」
くぐもった声が隣から聞こえた。
反射的に《朧月》を構えると、木陰から現れたのは、フードを深く被った痩せた男。
「闇ギルド《ドレッドバインド》の仲介人、“ギル”です」
「……敵か?」
「いえ。転生者のあなたに、連絡を伝えに来ました」
その男は、どこか死神のように静かな声で続けた。
「“転生勇者アレス”が、あなたを探しています。ぜひ、一度会っていただけませんか?」
ユウトは黙っていた。
(転生者……俺と同じ、“前の世界”から来た奴か)
ギルは、小袋を差し出す。中には、食料、金、そして旅券。
「このままじゃ、あなたはまた“餓死”しますよ。」
ユウトの目が、わずかに揺れた。
(……そうだ。あの時も、子供の俺は誰にも助けてもらえずに、飢えて、死んだ)
「……いいだろう。会ってやるよ、そいつに」
ユウトはフードの男の背に続く。
だが、その胸の奥で、つぶやいた言葉は、冷えきっていた。
人間なんて、信じない。
たとえ、同じ“転生者”でも。




