第3話 人斬りユウト
この世界にも、一応“秩序”というものは存在しているらしい。
石壁に囲まれた王都〈レヴィン〉には門番の兵士たちが立ち、通行人を監視している。建物には区画整理がされ、広場には市場が並び、国王の肖像が街角に貼られていた。
……だが、秩序があるからといって、善良であるとは限らない。
(見た目が三十代の“おっさん”ってだけで、妙に周囲が丁寧だな)
俺――ユウト・ミカヅキは、転生者だ。
7歳で死に、32歳の肉体と剣の技を持ってこの世界にやってきた。
黒衣をまとい、腰には漆黒の刀《朧月》。不審者として排除されてもおかしくないが、どうやらこの世界は「力」に甘いらしい。
昼も過ぎ、町を歩いていると、ふと古びた酒場が目に入った。
店名もない。扉だけが静かに開いている。
(……ちょっと、飲んでみるか)
木造の店内は少し埃くさく、数人の冒険者風の連中がテーブルを囲んでいた。
カウンターに座り、適当に注文したのは《レヴィン・エール》。
酒場の名物らしいが、出てきたそれは土色の液体で、においは発酵した雑巾のようだった。
「……まずっ」
一口で顔をしかめた。
(親父は……こんなもんで、酔って暴れてたのか)
その瞬間、記憶の奥に沈んでいた男の顔が浮かんできた。
酒くさく、乱暴で、怒鳴り声と共に振るわれる拳。
母が去り、俺が飢えて死ぬまでの、地獄のような日々。
胸の奥から、冷たい怒りが湧いた。
「……やっぱ、クソだな、酒なんて」
金を投げて席を立ち、酒場を出た。
通りは夕暮れ。赤い陽が石畳に影を落とす。
そのときだった。
「や、やめてくださいっ!!」
悲鳴。女の声。
駆け寄ると、広場で数人の王国騎士たちが一人の妊婦の女性を取り囲んでいた。
剣が抜かれ、冷酷な視線が彼女を貫いている。
「王の馬車が通る道を無断で横切った罪、重いぞ」
「ちがうっ……病院へ……急いでて……!」
(は? それで“処罰”か?)
見れば、道の奥から装飾過剰な金の馬車が近づいてくる。
兵士の一人が拳を振り上げたその瞬間、俺は飛び出していた。
「……やめとけよ。そいつを殴ったら、お前らが死ぬ」
「誰だっ、貴様!」
「ただの通りすがりさ。だが女性が暴力を振られる姿は、俺は、もう見たくない」
騎士たちが一斉に俺を取り囲む。
(……じゃあ、見せてやるか。俺の“影”を)
「――《影閃》」
その瞬間、俺の身体が影に溶けた。
空気が張り詰める。視線が宙を泳ぐ。
次の瞬間――
“スパァッ”
ひとり、またひとりと騎士が喉を押さえて崩れ落ちる。
残像もない。音もない。ただ、黒い影が走っただけ。
「どこだっ!? どこに……!」
「……真後ろだ」
最後の兵士が斬られた時、俺は刀を納めていた。
(これが《影閃》。影と共に動き、気配も足音も消す。ただの剣技じゃない暗殺武術)
静かになった広場に、金の馬車が止まる。
中から現れたのは、派手な服に身を包んだ小男。
王冠をかぶり、いかにも「おれが王様」って顔をしていた。
「貴様っ……王国の兵を手にかけて、ただで済むと思うなよ!」
「俺は、ただ“守った”だけだ。……あんたの秩序ってのは、人を殺してでも保つもんか?」
「黙れえぇぇぇぇっ!!」
王は怒りに顔を赤くし、吐き捨てるように言った。
「貴様を全国に指名手配者として、全国に通達してやる!」
……ああ、そうか。
俺には“居場所”なんて、最初からなかった。
「それでいい。誰かに命令されて生きる気なんて、さらさら無ぇ」
女を安全な場所まで支え、静かに広場を去る。
夕暮れの中、俺の影だけが長く伸びていた。
こうして、俺には名がついた。
人斬りユウト。
だがそれは、ただの異名にすぎない。
この世界の“闇”に抗おうとする、ひとりの転生者の物語の始まりだった。




