第1話 愛をください。
過去の回想 斎藤優斗として記憶
部屋の片隅に、うずくまる少年がいた。
名は斎藤優斗。七歳。
壁は薄汚れ、床にはカビが生えたパンのかけらが散らばっている。蛍光灯の明かりはとっくに切れ、部屋はほの暗く、季節外れの寒さが隙間風と共に忍び寄っていた。
母親はもう、いなかった。
優斗が五歳の冬、父の怒鳴り声と共に、母は台所の皿を割って家を飛び出した。その背中が、最後だった。
そして残されたのは、父と優斗。
「金がねえのは誰のせいだっ! てめえが泣くから母ちゃんは――!」
拳が飛ぶ。足が飛ぶ。優斗の身体は小さな紙くずのように床を転がった。痛みはもう慣れた。泣かない。ただ、耐える。
優斗は知っていた。父はもう、壊れていた。
仕事はとっくに辞めていたらしい。昼間から酒を飲み、寝て、起きて、怒鳴って、殴る。時には優斗の名前すら思い出せない。
ごはんが、たべたい。
言ったこともある。でも、答えはいつも決まっていた。
「じゃあ働け。てめえが生まれたから、オレの人生は終わったんだよ」
ある日、父は帰ってこなくなった。
一日目。何も食べずに待った。
二日目。水道の水だけを飲んだ。
三日目。床に落ちたパンくずを舐めた。
四日目。もう、立てなくなっていた。
それでも、優斗は誰かが来てくれるのを信じていた。
「誰か、助けて」
か細い声は誰にも届かず、窓の外では車の音が遠ざかっていった。
そして、七日目の朝。
冷たい朝日が差し込む中、優斗はひとり、眠るようにその生を終えた。
……静かな風が、草原を通り抜ける。
少年は、白い光の中にいた。温かく、心地よく、どこまでも静かな空間。痛みも、飢えも、涙も、もうなかった。
「……ここ、どこ……?」
やがて、目の前に現れたのは、ローブを纏った一人の女性だった。髪は銀色に輝き、瞳は水晶のように透き通っていた。
「あなたの魂は、別の世界へと導かれます。……今度こそ、幸せになって」
彼女の手が優しく触れる。
その瞬間、優斗の心の奥で、凍っていたものがわずかに溶けた。
「愛を、ください……」
その小さな願いを胸に、少年は光の中へと還っていった
そして、新たな名を得る。
ユウト・ミカヅキ。黒月の剣士。
誰も信じず、ただ己の剣だけを信じる孤独な孤高の戦士が、やがてこの世界で運命を切り開いてゆくことになる。




