第1話 暗躍する情報屋と崩れた世界
その黒き巨塔は、もう存在していなかった。
かつて“魔導国家ネメシス=ギア”の象徴であり、千層を超える知識と魔術の殿堂だった
《ネメシスタワー》。
その巨塔はいま、黒煙を吐きながら瓦礫と変わり果て、世界にぽっかりと穴を開けていた。
「……まさか、本当にこんなになるとはな」
ゴブリン騎士の護は、崩れた塔の残骸に手を触れ、静かに呟いた。
魔導残渣が辺り一帯に漂い、空気は魔素で飽和している。
このままでは魔界と人間界との境界すら歪みかねない。そう思わせるほどの崩壊だった。
「世界が……裂けかけてる」
リザードセイジ・エミリーが、かすかに眉をひそめながら言う。
「……なんや、腹の底がずっと熱いわ。これが“滅びの気配”ってやつなんか?」
オークパラディン・デフリーは、槍を杖代わりについて立ちすくんだ。
「塔が…泣いとるように見える…」
フレイムトロールのコニちゃんが、瓦礫を見つめながら小さく呟いた。
そのときだった。
「……いやあ、立派に燃えたねぇ。地獄の焚き火かと思ったよ、まったく」
声がした。低く、粘りつくような、喉の奥で笑う声。
瓦礫の影から現れたのは、すすけたフードを目深にかぶった男。
片目は白く濁り、もう片方には獣のような鋭さを宿している。
「初めまして。ホブゴブリンの護さん……で、よろしかったですかね」
男は薄く笑い、頭を軽く下げる。
「俺の名はギル。《ドレッドバインド》って闇ギルドの仲介人です。魔王さんから、あなたの話は聞いてましてね。ええ」
護は眉をひそめる。「魔王が……? 何を話した」
「“人間と魔族の狭間を歩く者”だとか、“勇者と相対する資格を持つやつ”だとか。面白い称号がいくつもね。あの魔王様、意外と人を見る目がある」
ギルはくつくつと笑いながら懐から紙片を取り出す。
それは、血文字のような魔法印が走る封緘紙だった。
「今日は、お土産付きですよ。情報の内容は……」
彼は一度、残骸と化した《ネメシスタワー》を見上げた。
「“クロウ・サカキバラ”と、“イザベル=クロフォード”……ふたりの転生者を、勇者アレスが手にかけました」
空気が止まった。
「……おい、今なんつった?」
デフリーが拳を握る音が聞こえる。
「繰り返しましょうか?」
ギルは平然としたまま言った。
「勇者アレスが転生者たちを“処理”したんですよ。そして今、彼は次なる転生者メル・アリアという名の魔導少女のもとへ向かいました」
「アリア……ネバーアイランドの」
エミリーの声が震えた。冷静な彼女にしては珍しい。
「そう。あの島です。噂じゃ、そこに住む者は全員、操られているとか。生きたまま人形にされているとか。まあ、どこまで本当かは……あなたたちの目で確かめてください」
ギルが口を閉ざしたとき、風が焼けた塔の骨を吹き抜けた。
護は、灰の中から崩れかけの階段を踏みしめながら、ギルに言った。
「……あんたの話、信用してやる。だから言っとく。勇者アレスがどこまで狂ったのか……俺が確かめる」
ギルは片目を細めて笑った。
「……良い旅を、“魔族”さん。あの島には、綺麗な花が咲いてますよ。毒花ですけどねぇ」
そう言い残し、仲介人は瓦礫の向こうに姿を消した。
護は静かに仲間を見回し、言った。
「行こう。《ネバーアイランド》へ。今度こそ、“狂った勇者”を止めるために」
メル・アリアが支配する狂気の島ネバーアイランド
地獄の入り口は、すでに開いていた。




