第2話 転生勇者は救わない
復活の村エルシア。
かつて、伝説の勇者アレスが魔王軍を退け、一度は平和をもたらしたとされる村。
だが、今やその面影はなかった。
焼け焦げた家々。地に伏した死体。砕かれた祈りの石像。
そして、人々がすがるように集まる広場の中央に、ただ一人――
復活したと伝えられた転生勇者アレスこと南城大我が立っていた。
「アレス様……本当に、アレス様なのですか……?」
老いた村長が、震える膝で進み出る。
「ほんまに……勇者様が戻ってきてくれたんか……!」
「これで……助かる……!魔物から……この地獄から……!」
嗚咽と歓喜が入り混じる声。
人々は歓喜のあまり地に膝をつき、手を合わせる者までいた。
「見てください……! この村の惨状を……ッ!」
「赤ん坊まで、殺されたんです……! どうか、どうか仇を……!!」
若き母親が、血まみれの布に包まれた何かを胸に抱き、アレスの足元に縋りついた。
子どもはすでに動かず、その小さな体には牙の痕が残されていた。
「アレス様ぁ……お願いです……ッ! 村を、救ってくださいッ!!」
人々の希望、すべてがそこに集まっていた。
それはまさに勇者を信じる民の祈りだった。
しかし。
「…………」
勇者アレスは、しばらくその光景を無言で眺めたのち、
ゆっくりと、口を開いた。
「……勘違いしてるんちゃうか?」
その声は、冷たく、澱んだものだった。
「俺は……お前らを“救いに来た”んやない。ましてや、“戦いに来た”わけでもない」
「え……?」
「誰が助ける言うた? 俺はただ、復讐のために、ここにおるだけや。
俺はもう、“誰かのために剣を振るう”気なんか、さらさらあらへん」
凍りつくような沈黙が、村に流れる。
「ふざけるなあああああああああっ!!!!」
ひとりの男が、血走った目で叫び、
手にした農具を振りかざしてアレスに向かって突進した。
「娘を殺されたんだッ……! 妻も嬲られて、首だけにされて……!
あんたしか、あんたしかおらんのやあああああ!!」
だが、アレスは剣すら抜かず、ただ片手で男の首をつかんで持ち上げた。
「気安く触んな、ゴミが」
ボキリ、と鈍い音がした。
男の体がぐったりとぶら下がり、地面に投げ捨てられる。
「…………ッ!!」
誰もが言葉を失い、悲鳴すら飲み込まれた。
「お前ら、“勇者アレス”が帰ってきたら、世界が救われると思ったんやろ。
希望やとでも思ったんやろ」
アレスは笑った。狂気を含んだ、冷たい笑みで。
「けどな“勇者アレス”なんて奴は、もうどこにもおらん。
俺は……お前らの知ってる“あの伝説の勇者”とは、ちゃうねん」
「なぜ……なぜですか……! あなたは……! あなたこそ……!」
「俺が? お前たちモブを助ける? あはははは……それ、俺の役目ちゃうし」
炎が遠くで上がる。再び魔物の群れが、森を抜けて村へと迫っていた。
村人たちはパニックに陥る。
叫び、逃げ惑い、必死にアレスの名を叫ぶ。
「勇者様あああああああああああああああああああ!!!」
「お願いです……お願いです……! アレス様ぁあああああああッ!!」
それでも
転生勇者は、村人を見捨てて歩き去った。
アレスが背を向けて去ってから、わずか数分だった。
その静寂を、地響きが破った。
ドン……ドドン……ドドドドド……!!
「な、なんだ……この音……?」
誰かがつぶやいた瞬間、森の木々が弾け飛ぶように裂けた。
ガアアアア グァアア
“咆哮”
それは人の声ではなかった。耳を劈くほどの叫び。
黒煙を纏った魔物の群れが、牙を剥きながら一斉に突進してきたのだ。
先頭にいたのは、腐臭を放つ大口の魔獣“グラントヴァーム”。
その巨体は家屋を軽々と押し潰し、石垣を跳ね飛ばしながら突き進む。
「きゃあああああああああああ!!」
「逃げろォオオオオッ!!!」
人々は叫びながら逃げ惑う。しかし、逃げ場はなかった。
背後から追いついた魔獣が、老いた者、足の遅い者から順に食いちぎっていく。
農夫の青年が逃げようと手を伸ばすが、目の前で妻が喉を裂かれ、血飛沫が雨のように降り注いだ。
「うわぁあああああああッ!!やめろおおおおおおおッ!!!」
だが叫びは、魔物には届かない。
空には漆黒の翼を広げた《ヘルレイヴン》の群れが現れた。
空を飛べぬ村人たちは成す術もなく、
爪に掴まれ、宙を舞い、そして地面へと叩きつけられる。
ズシャアアアアアアアア!!!
小さな子供が、まるで人形のように叩き潰される。
「いやぁ……いやあああああああああああッ!!」
母親の絶叫も空しく、もはや地面は血の水たまりの赤で染まり始めていた。
後方からは、《マグナ・スパイン》と呼ばれる溶岩のような魔獣が村の中心に到達し、
咆哮とともに口から灼熱の炎を吐き散らす。
同時に、森の陰から現れた《ポイズ・マント》たちが毒霧を撒き散らしながら笑っていた。
白く濁る空気、咳き込む村人、痙攣し倒れていく者たち。
炎に包まれた家々は軒並み崩れ落ち、
倒壊した壁の下で女が泣きながら赤子をかばっていた。
「……だいじょうぶ、ママが……ママが守ってあげるから……」
だが次の瞬間、天井が落ちた。
彼女の声も、もう聞こえない。
こうして復活の村エルシアは
一夜にして“地図から消えた”。
希望とされた転生勇者アレスは何もせず去り、
村の人々はその名を叫びながら、惨たらしく死んでいった。
翌朝には、すべてが灰だった。
人の声も、祈りも、想いも、すべて焼け落ちた。
勇者は誰も救わなかった。
そして『伝説のブレイブ・レガリア』このゲームの世界もまた、ひとつ、確実に壊れていった。




