第3話 空色の糸、かすかな記憶
「ミューズ! わたしは、あなたを助けにきたの!」
アレスの叫びは、王都の空に反響していた。
その声が、破壊の氷嵐にかき消されようとも、彼女は走るのをやめなかった。
一方で、ラ・ミューズは機械のように無表情に言葉を返す。
「対話無効。排除行動……続行シマス」
杖が再び稲妻を放つ。地面が裂け、建物が崩れ落ちる。
だが、その一撃を――!
「バカヤローッ! 女の子に雷ぶっ放すなんて、オカマが許さないわよぉおお!!」
ゾンビ伯爵ロベールが、ゾンビらしからぬアクロバティック回避で稲妻を逸らす。
腰の刺繍バッグからこっそり投げたのは、空色の刺繍糸。
その糸が風に舞い、ふわりとミューズの頬に触れた。
「……」
彼女のまばたきが、一瞬だけ止まった。
「糸……これは、わたしが……?」
ロベールの目が潤む。
「そうよぉ! あんたが初めて刺繍したあの空色の糸! わたしと一緒に、あの本のしおりを縫ったでしょ!?」
「しおり……ロベール……」
揺らぐ瞳。
かすかに震える指先。
「……空色の糸……」
ラ・ミューズの白銀の髪が、風にゆれた。
一瞬、瞳に揺らぎが走る。けれど、それもすぐにかき消される。
「記憶干渉、無効。対象の存在価値――判定:排除対象」
そう言い放つと、ミューズの身体からさらに冷気が放出され、足元の石畳がバリバリと凍りついた。
「ダメだ……まだ完全に戻ってない」
アレスが後退しながら呟く。
ゾンビ伯爵ロベールは糸巻きの中身を抱きしめながら、悔しそうに唇をかんだ。
そのとき、護が鋭く言い放つ。
「……魔力が、あの子の意志を封じ込めてる。どこかから強力な“支配の核”が送られてるな」
アレスはハッと顔を上げた。
「じゃあ、それを止めれば……!」
護はうなずいた。
「魔力の干渉元は城の最上層だ」
一瞬の沈黙の後、アレスは剣を強く握りしめる。
「行こう。私たちで、彼女を取り戻すんだ!」
ロベールも大きくうなずくと、刺繍バッグの中からタオルハンカチを取り出し、ぐいっと涙をぬぐった。
「泣くのは後! あの子の“心のしおり”、一緒に探しに行くわよ!」
そして三人は、王都ローゼリアの中心、黒くそびえる王城へと向かって走り出した。
だが。
その背後から、鉄の足音が静かに響く。
「排除対象、逃走確認。追跡モード、起動」
ラ・ミューズがゆっくりと振り向く。
その両手に氷の刃を宿し、無表情のまま彼らのあとを追い始める。
彼女の周囲に広がる白い息。
それはかつて「感情」を持っていた少女の、心が凍てついた証だった。
追跡者、ラ・ミューズ。
運命の対決は、まだ始まったばかりだった!