第4話 はじめの一歩は、村の広場で
小さな村ヒメリア。
森と畑に囲まれた、素朴で静かなその村に、今ひとつだけ異質な存在があった。
それが、引きこもりの勇者アレス・スカーレットである。
ホブゴブリンの洞窟から逃げ帰り、行き場のなくなった彼女は、村の宿屋の二階の一室に身を潜めていた。昼夜を問わず布団にくるまり、誰とも話さず、部屋から一歩も出ない。食事は宿屋の老婆が部屋の前に置いていくが、それさえ残す日もあるという。
そんなアレスを、立ち直らせるべく、魔族たちが動き出していた。
「……ここか」
エルフ族のティリスが、宿屋の階段を上りながらそう言った。
その後ろには、見た目は小太りの妖精にしか見えないトロール族のコニちゃんが、重そうな弁当包みを抱えてついてくる。
まるまるとした頬、ふわふわのワンピース、三つ編みにした髪が揺れるたび、花の香りがした。
しかし、その正体は、岩も砕く怪力の持ち主。
見た目とのギャップがすさまじい、れっきとしたトロール族の戦士である。
「……アレスちゃん、まだ部屋にこもってるんだよね?」
「そうね。でも、少しずつでいい。まずは“顔を出す”ことから始めましょう」
ティリスは優しく笑い、部屋の前に立つ。
——コン、コン。
控えめなノックが木の扉に響いた。
数秒後、内側から、かすれた声が返ってくる。
「……だ、だれですか……?」
「アレス。あなたに会いに来たの。私と、コニちゃん」
「……こ、コニ……ちゃん?」
「そうだよ〜! おにぎり持ってきたよ〜! 10個もあるからね〜!」
「お、おにぎり……?」
「うん! 鮭、たらこ、唐揚げ、昆布、梅、チーズ、全部あるよ! あったかいよ〜!」
「……うぅ……ちょっと、待ってください……か、髪が……ぼさぼさで……」
「だいじょーぶ、コニなんて昔、寝癖で“角がアルファベットのS”になってたし!」
「……そんな寝癖あるの……?」
——クスッ。
ドアの向こうから、かすかに笑い声がもれた。
そして、カチャリと音がして、ドアがゆっくりと開く。
そこに立っていたのは、くしゃくしゃの髪、寝巻のままのアレス・スカーレット。
目は泣き腫らし、顔色も悪い。だが、その手には勇気が、ほんの少しだけ宿っていた。
「……その、おにぎり……食べても、いい……?」
「もちろんだよーっ!」
コニちゃんが弁当を広げ、ちゃぶ台にずらりと並べる。
その光景に、アレスの瞳がぱあっと明るくなった。
「……どうして、私なんかに……優しくするんですか……?」
アレスは、そっとおにぎりを手に取りながらぽつりとつぶやく。
ティリスが言う。
「だってあなた、勇者でしょ? 泣き虫でも、逃げても、まだ道の途中。だからこそ、今必要なのは」
「“小さな一歩”だよ〜」
コニちゃんがにっこり笑った。
「……一歩、って……?」
「うん。たとえば今日、私たちと一緒におにぎり食べて、外に出る。そしたら、もうそれだけで“勇者としての訓練第一歩”クリア〜!」
「そ、そんなことで……?」
「そんなことが、大事なんだよ〜。最初の一歩を出せる人は、いつか大きな一歩も出せる人だからね!」
アレスは、しばらく考え込むようにおにぎりをかじっていたが……やがて、ちいさくうなずいた。
「……あの、じゃあ、ちょっとだけ……広場まで、行ってみようかな……」
「わぁーっ! すごいすごいすごいーっ!」
コニちゃんが拍手をする。ティリスも優しく微笑む。
「いいわ。じゃあ、外に出たら、まずは深呼吸。それから、村の風を感じてみて」
そうして3人は、宿を出て、村の小さな広場へと向かう。
木々のざわめき、子供たちの笑い声、畑を耕す音……アレスはそのすべてを久しぶりに耳にした。
「あ、あったかい……風が……」
「そう、アレスちゃん。世界は、まだ優しいものに満ちてるんだよ〜」
だが、その優しいひとときは、長くは続かなかった。
「村の北に魔物が現れたぞーッ!! でっかいグレイウルフだ!!」
村の警備兵の声が響く。
アレスの目が真っ青になる。
「え、えええ!? む、無理! ムリですって! こ、殺されるぅぅぅぅ!!」
そして彼女は、反射的に広場の木陰へダイブした。
「……あーあ、戻っちゃった」
ティリスがため息をつきながら、腰の短剣に手をかける。
「コニ、行ける?」
「もちろんだよ〜! グレイウルフなんて、おにぎりの具にしちゃうぞーっ!」
2人が村の外へと駆け出していく。
アレスは木陰から、彼女たちの背中を見つめた。
「……怖い。でも……あの背中、すごく、きれい……」
そのとき、アレスの胸の奥に、勇者としての小さな灯がともった。
(わたしも、あんなふうになりたい)
これは、彼女にとっての“本当の勇者の冒険”の、はじめの一歩だった。




