4-3.非日常
沈黙のなかに、風が流れていた。
言葉がなくても、不思議と居心地の悪さはなかった。
それは、これまで何度か交わしてきた“いつもの空気”だった。
だけど今日は、それだけではいられなかった。
ほんの少しだけ、彼女の隣に座る距離を、いつもより詰めてみる。
ベンチの上、指先がかすかに触れるかどうかの距離。
彼女は何も言わず、ただ空からわずかに視線を外して、こちらを見た。
その仕草ひとつで、胸の奥に波紋が広がっていく。
「……なんで、いつもここにいるの?」
自分の声が、思ったよりも穏やかだった。
その問いは、以前から何度も喉元まで来ては、飲み込んできたものだった。
彼女は少し黙っていた。
風が、コートの裾と髪を優しく揺らす。
やがて、その沈黙の中に、淡く優しい声が重なった。
「ここはね……大切な場所なの」
そう言った彼女の声には、かすかな微笑みが混ざっていた。
けれど、それはまるで遠くを見ているような、どこか夢のような響きだった。
「大切……って?」
僕の問いに、彼女はゆっくりと目を細めた。
その表情は、少しだけ寂しそうで、けれどどこか、あたたかかった。
「昔、ここに、すごく大事な人とよく来てたの。
でもね、もう会えないの」
彼女の声は、嬉しそうに話しているのに、ほんのわずかに震えていた。
「会えないって……なんでか、聞いてもいい?」
聞いていいのかを考えるより先に、言葉が口をついて出ていた。
聞いてしまった後で、きっと真実は答えてはくれないと理解した。
わずかに彼女の肩が震えた。
そして、僕の顔を覗き込んで、まるで語りかけるように、静かで消え入りそうな声で、彼女は答えた。
「……遠くに行っちゃったんだ。
でも、ここに来るとね、また会える気がするの。
だから、ここが好きなの」
悲しいはずなのに、どこか幸せそうだった。
その矛盾に、胸の奥がきゅっと痛んだ。
何かを失ったことがある人の、強さとやさしさが、
その横顔には静かに宿っていた。
言葉が見つからず、僕はしばらく黙ったまま、彼女を見つめた。
そしてふと、心の中で、はっきりとひとつの想いが浮かび上がった。
ーー彼女のことを、もっと知りたい。
理由も、言葉もいらなかった。
ただ、そう思った。
それはきっと、これまで知らなかった感情で。
でも今は少しずつ、それがどういう名前を持つことかを、探し始めていた。




