4-2.非日常
丘のふもとに差しかかると、足元に落ちる影が、やけに長く伸びているのに気づいた。
ゆるやかな傾斜を登るにつれ、空はゆっくりと朱に染まりはじめる。
乾いた草の匂いと、肌をなでる風の感触が、やけに鮮明だった。
いつもの道だ。
何度も歩いたはずなのに、今日は何かが違って感じられた。
ーーあのベンチに、今日もいるだろうか。
歩くたびに、胸の奥が静かに高鳴っていく。
この感覚に、心がまだ追いつかない。
恋愛という言葉を、自分に当てはめるには、まだぎこちない。
だけど、確かに何かが、ゆっくりと自分の中で形を成そうとしていた。
丘の頂上が見えたとき、不意に、風がひときわ強く吹いた。
枝葉がそよぎ、遠くの雲が少しだけ形を変える。
そしてその向こうに、白いコートが、風の中でやわらかく揺れていた。
ーーそこにいた。
彼女は、少し斜めに身体を向けながら、空を見上げていた。
その姿は、まだ冬の名残を纏いながら、春を迎えに来たようだった。
視線を向けた瞬間、胸の奥がふっとあたたかくなる。
僕は何も言わず、ゆっくりと歩を進める。
彼女もこちらに気づいたようで、視線を向けた。
目が合う。
そして、ごくわずかに、本当にわずかに
ーー彼女が微笑んだ気がした。
「……今日も、いたんだ」
それだけの言葉が、ひどく頼りないように思えた。
けれど、彼女は何も言わずに、ただ小さく頷いた。
風が吹く。
白いコートの裾が揺れ、淡い髪が空に溶けていくようだった。
その瞬間、自分でも気づかぬまま、またひとつ、胸の奥で何かが芽吹く音がした気がした。
言葉は少ない。
距離もまだある。
けれど確かに、僕はこの場所でーー彼女に出会った。
そしてそれが、自分にとってどれほど特別なことかを、少しずつ、理解し始めていた。