表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
逆さまの蝶  作者: あさき
3/22

1-2.丘

彼女は、僕に気づいていたのかいなかったのか、

ただそこに、ふわりと立っていた。


冬と春のあわいをまとうように、静かに。


しばらく、何も起きなかった。

声もなく、動きもなく。


けれどその沈黙は、ひどく優しかった。

まるで、音楽が始まる直前の、息をひそめた時間のようで、

触れれば壊れてしまいそうな、張りつめた静けさが、そこにあった。


気づけば、心が少しずつ熱を帯びていた。

理由はわからない。ただ、目が離せなかった。


その存在のすべてが、どこか現実ではないように思えた。

それなのに、どうしてだろう

見つめるほどに、胸の奥がざわめいていく。


僕は立ち上がった。言葉もなく、ただ彼女の隣に立つ。


木の影が、二人の足元に重なる。

その瞬間、たしかに、何かが始まっていた。


彼女がこちらをゆっくりと見た。

目を細めたその表情は、微笑みにも、哀しみにも見えた。


まるで──どこか懐かしさを帯びたまなざしで。


けれど、彼女の唇は一言も語らなかった。

僕もまた、声を出せなかった。


言葉にすれば、この空気が崩れてしまう気がして。

彼女の輪郭が、今よりも遠ざかってしまう気がして。


沈黙は名もなき約束のように、そっと二人の間に流れていた。


やがて、彼女は静かに歩き出す。

僕は、躊躇いもなくその背中に続いた。


なぜだろう。

彼女を見送る、という選択肢が最初からなかった。


理由はまだわからない。

ただ、確かに思った。


この手が届かなくなる前に

この光が消えてしまう前に、

今ーー触れておかなければいけない。


その感情だけが、ずっと胸の奥で震えていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ