8.1
チャイムが鳴るまでの時間、教室はざわめいていた。
新しいクラスに緊張する空気と、久しぶりに再会した中学の友人たちの騒がしさが、入り混じっている。
「なー、沢城! おまえの席ってどこ?」
田中が笑いながら肩を叩いてくる。和音はその指差す方向に視線を向けた。
「ん……そこ」
短く返して、前列の席に鞄を置く。
雫の斜め前、少し距離がある位置。
(……結構近いな)
これ以上近づくと、呼吸が保てない気がした。
これ以上遠いと、彼女の姿が見えなくなる気がした。
その間に座る数秒のうちに、何人かのクラスメイトが和音の近くに集まってくる。
「え、てか中学どこ?」「あれ、田中の友達?」「イケメンじゃん」
知らない女子や男子の声が飛び交う。
田中が照れたように笑いながら言う。
「こいつ、寡黙系だから。話しかけても『ああ』くらいしか返ってこないけど、悪い奴じゃないってフォローしとくわ」
「クール系ってやつだ」
誰かが冗談めかして言い、笑いが起きる。
和音はその輪の中にいながら、ほとんど何も聞いていなかった。
ーー視線が、ぶつかった。
ふとした拍子だった。
誰かの声に合わせて顔を上げたとき、彼女の顔が、正面にあった。
長い髪のすき間から覗いた瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
「……!」
思考が止まった。
けれど、彼女の表情はどこか柔らかかった。
驚いたようでもなく、怯えたようでもなく、ただ静かにーー微笑んだ。
ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
それだけの笑顔だった。
でも、和音にはそれが、世界を揺らすほどの重さを持っていた。
(……気づいたんだ)
誰にも気づかれずに見ていたつもりだった。
けれど彼女は、ちゃんとこちらを見ていた。
認識して、笑ってくれた。
「おーい、沢城。聞いてんのか?」
田中の声が飛んできて、和音は軽く目を細めて頷く。
「ああ」
ただ、それだけ。
平然を装う。
いつもの自分を演じる。
誰にも気づかれないように、雫に視線が集まらないように。
自分が日常の一部であるふりをして。
この教室という舞台の、何の変哲もないひとりでいるふりをして。
心臓がうるさい。
だけど、顔は動かさない。
それが——今、彼女を守る唯一の方法だと思った。




