7.3
春の風が、制服の裾をかすかに揺らしていた。
桜の木の下に並ぶ新入生たちの列に、沢城和音は無言で立っていた。
周囲には見知った顔ばかり。
中学のときと同じクラスメイトがちらほらいて、その中心で田中が軽く手を振っていた。
「沢城!こっちこっち!」
声をかけてくる田中に、和音は小さく手を上げて応える。
特別な感情はなかった。
ただ、想像していたよりもずっと“いつも通り”だった。
朝、制服に袖を通したときは、もっと特別な何かがあると思っていた。
新しい始まり。
新しい人間関係。
新しい空気。
そんな漠然とした「非日常」を期待していたのかもしれない。
けれど、正門をくぐった瞬間に、その期待は肩透かしのように霧散した。
(…中学の延長線上、ってとこだな)
ざわめきに溶けるような思考。
新鮮味はなかった。むしろ、思った以上に何も変わっていなかった。
体育館へと移動する列の中でも、周囲の友人たちは変わらず、くだらない冗談を言い合っている。
「あの子可愛くね?」
友人の一人が誰かを指差しながら言った。
「誰指差してんのかわかんねーよ」
「あの髪長い人だって!」
田中が、いやあの子の方が可愛い、と早速知らない女子の話題で盛り上がる。
和音はただ、その様子を目の端でとらえながら、歩を進めていた。
しかし、体育館の扉が開いた瞬間——ふっと、息が止まった。
天井が高い。光が広く、静かに差し込んでいる。
知らない空間。知らない匂い。知らない音の響き。
友人達もそう感じたのか、一瞬にして雑談が終わる。
淡々と進行する入学式の中で、和音にとって唯一新鮮だったのは、その広さと静けさだった。
それが逆に、自分がどこか新しい場所に立っていることを、ほんの少しだけ実感させてくれる。
周囲の顔は変わらない。言葉も変わらない。空気すらも、ほとんど馴染み深い。
けれどこの体育館の天井だけは、自分に「ここはまだ知らない場所だ」と告げていた。