7.2
玄関を出ると、春の風が顔を撫でた。
空は薄く霞んでいて、日差しはまだ弱い。けれどその曖昧さが、和音には心地よく感じられた。
通学路は、どこか見慣れているようで、どこか違っていた。
同じ道なのに、制服が変わるだけで世界の景色まで変わって見えるのが不思議だった。
近所の家の庭には小さなチューリップが咲いていて、門の脇に吊るされた風鈴が、まだ少し季節を間違えたように揺れていた。
前を歩く学生の背中が見える。
隣に並んでいるのは、おそらく友達だろう。
どちらからともなく笑い声がこぼれた。
その音が、和音の歩幅を少しだけ遅くさせた。
ポケットの中でスマートフォンが小さく振動する。
ーー田中からだった。
〈もう出た?駅で合流しよーぜ〉
そういえば彼も同じ高校だった。
画面を閉じて、和音は返信もせずに歩き出す。
坂を上りながら、ふと思い出す。
丘の上のこと。夢のこと。
静かな風、滲む光、そして名前を呼んでも振り向かなかった少女。
「……なんだったんだ、あれ」
誰にでもなく、風に向かって呟いた。
答えは返ってこない。
ただ春の匂いだけが、和音のまわりを包んでいった。
駅のホームでは、すでに制服姿の生徒たちがちらほらと集まりはじめていた。
みんながそれぞれの春を始めようとしている。
ざわめきの中、和音は少しだけ息をついて、改札を抜ける。
これから、どんな日々が始まるのだろう。
心の奥にまだ残る、あの夢の余韻をかかえたまま、和音は静かにホームに立った。